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8 日常茶飯の交通事故
正月2日の正午過ぎに、ラボルド氏から電話が入った。 「いま伊豆にいる、交通事故を起こした」恐れていた事なのだ。 ラボルド氏は、自分で運転して出かける事が多かったが、出かければ事故を起こした。 それまでは大きな事故ではなかったが、買ったばかりの日産プレジデントの左右前後を頻繁にこすっていたし、特に左前のフェンダーは、修理やさんが困るほど何度もぶつけていた。 ほとんどの場合、相手は電柱か塀であったため、たいして警察を煩わす事が無かったが、こんどのは軽乗用車が相手だと言う。
海外からの客の週末の観光には、箱根か伊豆に行くことが多かった。 特に西伊豆はラボルド氏のお気に入りのコースで、めったにお目にかかれなかったが、夕日に映える富士山が入り江に映ってでもいたら、彼は有頂天になって日本の美の代弁者になるのであった。 もちろん、いずれの場合も謙治が運転していた。
道路がまだ整備されてなかった時代の西伊豆である。 そこへ家族サービスの危険極まりない運転者が、しかも交通量の特に多い正月に行ったのだから、事故が起きても不思議はない。 場所は、大瀬崎の近くの細い路で片方が断崖、もう少しで軽乗用車を海に突き落とすところであったという。 正月は、賠償交渉で始まった。
これを皮切りに、謙治は、代わる代わるやって来る外国人派遣員たちが起こした交通事故の後始末を頻繁にやる事になったのだが、欧米人の交通事故に対する考え方は一般的な日本人のとは少し違っていて、自分は保険会社に通報するだけでいっさい相手方との交渉には応ぜず、相手が負傷していても、見舞いにさえ行かないのである。 そのことが交渉を一層困難なものにしたと謙治は思っている。
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