優雅だった外国銀行

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9 開設披露宴
2005年05月11日(水)

駐在員事務所開設披露宴を4月に開くべく準備が始まった。 頭取も来日する。 3人になった秘書たちと謙治、全員が未経験者である。 招待者の人選にまず困った。

発展途上国の援助を目的として、主に日本の大企業により組織された「アジア民間投資会社」というのにパリ国立銀行も参画し、その事務所がパリ国立銀行と同じ国際ビル9階に在ったのでよくお互いに行き来していた。 披露宴への人選はその中から始まった。 アジア民間投資会社に出資している数百の企業の代表者と財務のトップに、次々に電話したのである。

企業にもお付き合いというものがある。 アジア民間投資会社への出資金が、どのくらいの額なのか知らなかったが、多くの企業にとって、それはお付き合いなのである。 トップの秘書達の多くは、自分の勤務している企業が、そのような組織に協力していることすら知らない。 従って、なぜ、縁もゆかりもない外国の銀行から呼ばれなければならないのか不思議がられ、取りあえず招待状だけを送る羽目になったのである。

ほとんど白くなってしまった髪を刈り上げ、ややひょうきんに見えるパリ国立銀行頭取ルドゥー氏とその一行は、春のドカ雪の翌日に羽田に着いた。 急速に解け始めている雪であったが、首都高速道路は、頭取の滞在した4日間乾くことはなかった。 この時のルドゥー氏は、頭取になったばかりであったが、既に大ボスタイプで、どっしりと大局を見極める人であるとの印象を謙治は持った。 それとは対照的に小柄な頭取夫人は、腰が低く実にこまめに動き回り、少しでも世話になった人には、心よりのお礼を述べて回るのであった。

ホテルオークラでの盛大な開設披露と、それに先立つ頭取の記者会見は、成功とは言えなかったかも知れない。 新聞には「公務員頭取だから何も言えない」と言うようなことが書かれ。 披露宴の方は招待者の半分の出席もなかった。 それでも謙治と3人の秘書たちには、給料1ヶ月分の特別ボーナスが支給された。




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