シュナール氏が沈痛な面持ちで謙治の机まで来た。 何事が起きたのだ? 新しいドライバーが働き始めて1ヶ月になっていたが、ラボルド氏は気に入らないのだそうだ。 彼を辞めさせろという。 謙治にドライバーに戻れというのであった。 そして、それはすぐに実行された。 謙治の抗議など全く聞こえないようであった。 難題山積のラボルド氏の状態は、謙治も良く分かっていた。 だからラボルド氏が不機嫌であったり横暴であったりしても、ある程度は理解を示す事が出来た。 だが鬱憤のはけ口を謙治にだけ向けているのではないのかと、時々謙治は思う様になった。 邦銀からの出向行員がぼつぼつ来始めていたが、彼等はラボルド氏の部下とは多少ニュアンスが違っていた。 懇願してやっと派遣して貰ったのだ。 彼等に対する不満があっても、おいそれと口に出すことが出来なかった。 ラボルド氏は孤独でもあった。 シュナール氏がアシスタントではあったが、彼を重要視せず、何かを相談している様子はなかった。 陽気で親切であったかつてのラボルド氏を知っている謙治は、辛くはあったが、ラボルド氏の鬱憤のはけ口としての役割に耐える事が出来たかも知れなかった。 しかし、忙しい最中、無意味なラボルド夫人の面倒を見るのには、最早、耐えられる限界を超していた。 謙治は辞表を提出した。 不思議な事に何の反応もなかった。 何日か後に口頭で駐在員事務所の最後の日に退社する旨を告げた。 「誰も私を助けてくれない」とラボルド氏が呟いた。 ラボルド氏を助ける事が出来るのは謙治を除いていない事は知っていた。 しかし、あの怠け者の、生きている価値の無い人間の暇潰しの手伝いは、どうあってもしたくなかった。 そして、それはラボルド氏には言えない事であった。 それでも、工事は順調に進み、3月31日土曜日には総てが整った。 謙治は奇麗に出来上がった店舗を、事務所を見てまわった。 真新しい壁1枚、机1台に何故か愛着を感じた。 謙治が精根傾けて、熟慮に熟慮を重ねて作り上げた店舗なのだ。 だが、謙治の働く場所では無くなっていた。 その日の夕方、新任のマネージャー、シャピュー氏夫妻を迎えに羽田空港へ行った。 ラボルド氏の下、シュナール氏の上司になるのだそうだ。 大柄でチョビ髭を蓄えたシャピュー氏は舌を縺れさせながら、ひどいフランス語訛りの英語をゆっくり喋る人であったが、夫人はアメリカ人であった。 「私は、あなたのドライバーです」と謙治が言うと、大きなジェスチュアーと、優しい笑顔を向けたが「でも、今日迄です」と続けると、大袈裟な落胆の表情をした。 あとで聞いたのだが、4月2日開店日の業務終了後、皆がバンキング・ホールに集まり、些細なパーティーを開いた。 記念写真を撮る事になり、全員が並んだ。 フランス人3人、出向行員5人、それぞれ臨時に各セクションに配置させられた前から居た3人の秘書達、それに新卒の男子1名の計12人であったが、ラボルド氏は何度も何度も数え、1人足りないと言っていたそうだ。
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