先月、友人の1人に久しぶりに会った。中学時代からの友人で同じ市内に住んでいるのだが、普段は中々会えないものである。 ご主人の運転で私と友人と子供と…大人3人の用事を済ませ、とりあえずその日はそのまますぐ別れるつもりだった。 しかし彼女は旦那と子供を追い払い、どうも私と2人だけで話をしたい様子なのだ。 結局、ご主人に私の家の側の喫茶店で2人だけ降ろしてもらい、話が済んだらまたご主人に迎えに来てもらうという、彼女はとんでもない自己チューな行動に出た(笑)。
彼女はたわいない話を続けている。最初は気分転換のつもりでいるのかと思ったが、どうもそうでもないらしい。 もう30年近い付き合いなのだ。それ位は分る。
まだ中学生の頃、私たちは皆、お互いの殆んど全てのことに深く入り込んだ。それが私達の友情の証だったのだ。 自分の悩みを友人達に打ち明けることなど、何の抵抗もなかった。思春期の友情とはそういうものだったと思う。 あの頃、多少の家庭の事情の違いはあったが、私たちは殆んど皆同じ思春期の中にいた。 しかし年齢を重ねるにつれ、それが微妙に変化し出したのだ。それぞれ背負っているものが違ってきたのだ。 思春期のまだ蒼い悩みは次第に複雑なものになり、そして多様なものとなった。 主婦、OLと立場の違いはその程度である。それでも私達の人生は別々なものになってしまった。 「平凡な人生」という言葉をよく耳にする。もちろん全ての人がドラマに出てくるような日常を送っているわけではない。それでも私は「平凡な人生」などないと思っている。
辛抱強く彼女の話を待っていた。決してこちらからは切り出さない。 金銭の貸し借りは厳禁。必要以上にこちらから相手の家庭や交友関係に深く入り込まない…。いざ相談されたら、その時は積極的に行動に出す。・・・これが失いたくない友情を長く続けるコツだと、私たちは学んだ。まぁ時にはこの教訓を忘れ、未だに失敗することもあるのだが…(苦笑) 親しければ親しいほど、ある程度の距離をとっておくことが必要なのだと思う。
結局彼女は特別なことは話さなかった。だから詮索しなかった。 ほんの一時間余り…他人と話をして少し気がはれたのかも知れない。 悩みというものは解決した後に人に話せる場合がある。時には笑い話にさえなることもある。それと戦っている最中は不思議と話せないものだ。 「類は友を呼ぶ…」意地っ張りな私達には特にこの傾向がある(笑)。 極稀に、風の噂で友人の窮地を知ってしまうことがある。 そんな時も私達は「知っていたよ」とは言わないようにしている。「全然知らなかった」と…これが礼儀だと思うのだ。
別れ際、何かあったら連絡してね、とだけ伝えた。「私は何せこぶなしだから」と少しおどけて見せた。 「婆さんになったら、皆んなで温泉旅行に一週間行こう、って皆んなに言っといて!」 彼女は笑っていた。 皆んなで一週間の温泉旅行…後20年は先のことだろう…。 私達が本当に人生の辛酸を舐めるのは、ある意味これからだと思う(覚悟せよ!)。 20年後の温泉宿で…私達はいくつの笑い話を話せるだろうか。
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