人間何でも言ってみるものだ。上手く行けば近所のおばさんが「○○市のパン焼きのカリスマ」になれるかも知れないのだ。 50代半ばの女性だが、結婚して以来一度も外で働いたことがない。ご主人が許さなかったからだ。「女に働かせては男の立つ瀬がない。オレが稼ぐ!家族を養っているのはこのオレ様〜」と言った具合で、まぁ年配の男性にはこんな不思議な考え方もありなのだろう。おばさんは穏やかな女性なので、おじさんの言い付けをそれはそれは貞淑に守っていた。旦那さんが右を向けと言えば右、左を向けと言えば左と、少しは私もおばさんの爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいのかも知れない。
おばさんはパンを焼くのが得意である。味は玄人並だが形に1割素人ぽさが残っていて、何とも美味で愛嬌のあるパンを焼く。 おばさんは自分が作ったものを皆が「美味しい、美味しい」と食べている、その光景を見ることに幸福を感じるとても奇特な人だ。 私がおばさんのパンを頂き始めたのはもう20年以上前になるが、当初おばさんは無料でそれをご近所に配っていた。その時私が言ったのだ。 「おばさん、商売しなよ。」
時に日本人はお金の話を持ち出すことを嫌う傾向があるが、私は必ずしもそうではない。ビジネスと割り切って取引きした方がお互い気を遣わなくても済む。それに材料費だってばかにならないと思ったからだ。 「でも…」とおばさんはためらったが、私は母に言って強引にお金を受け取ってもらった。我が家のこの動きにならい、近所の人達もお金を払うようになった。お金を受け取るようになって自覚と責任感が出てきたのか、おばさんの腕はめきめき上がった。 「おばさん、ここでチマチマやっているより、外で自分の実力を試してみたら?」 私はまた言った。「そんなぁ…無理よ。」とまたおばさんは引いた。私もそうは言ってみたものの、現実にはなかなか難しいだろうと内心では思っていた。
しかし、あれから15年以上経った今になってそれが実現しようとしている。私がおばさんに何気なく言った(決して無責任に言ったわけではない)言葉を、おばさんはずっと心の中で暖めていたのだ。「いつか私も…」と。 市で開催されたイベントにボランティアでおばさんは自分が焼いたパンを出品した。それがあっという間に売れ、1人のパン職人の目に留まったのだ。 「私があなたを○○市のパン焼きのカリスマに育てます。」 実は2〜3年のうちに、私達の家の近くの駅に巨大なショッピングセンターだかテーマパークだかが建設される。もちろんそこに食品コーナーもあるわけだが、その1画に「カリスマコーナー(?)」とかの店が出店し、ケーキや漬物など、兎に角様々な食品のカリスマを一同に集めるそうだ。そこでおばさんは「我が町のパンのカリスマ」となるわけだ。今、具体的に話を進めているらしい。
ご主人が私に言った。「あっちゃんがウチのに変なこと炊き付けるからさぁ…まいったよ。」 あら、ごめんなさい、おじさん。でも子供達も成人して社会人になったことだし、もうそろそろおばさんを解放してあげたらぁ〜?もう少し精神的に奥さんから自立しなさい、とは言わなかったが…。 おじさんが定年を迎えたら、今度はおばさんの仕事を手伝ってあげればいい。夫婦仲良くね。
打てば響く人間は大好きである。今度おばさんにまた言ってみようか…。 「これが成功したら今度はおばさん、本を書いてみなよ。“中高年主婦の巣立ち!”みたいなやつ。世の中高年のご婦人に勇気づけてあげなよ〜♪」
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