2004年11月11日(木) |
「新選組!」第28・29話 |
●第28話「そして池田屋へ」
勇はふてい浪士の襲撃について松平から正式に出動を命じられる。 勇達の軍議の場で戦いに負けた時のことを話し合おうとする山南。 そんな彼に対し歳三がケチをつけるが、「あらゆることを考えておくのが軍議ではないか!」と珍しく山南が怒鳴り周りを驚かせる。次第に歳三と山南の間に溝ができたように思えた。
しかし会津藩は長州と事を構えたくないという考えから参戦する気はない。新選組出動の引き延ばしを画策したものだが、皮肉にもこれが新選組の台頭を許すことになる。 幕府を思う無謀なまでの一途な精神の前には姑息な策などは敵わないということか…。
長州の人間達が会合を開きそうな場所を、勇組と歳三組に分かれて必死に探索する新選組。 その頃捨助は池田屋で桂に会っていたのだが、桂の着物に粗相をしてしまう。これが桂の命拾いとなったのだ。 捨助がキーパーソンになるとは…。この展開には多少の無理があるとは言えばあるのだが(苦笑)、「大胆なところは大胆に」という三谷さんの有言実行なんでしょうね。
勇組がやっと池田屋に行き着く。主人はとぼけるが、総司が幕の裏側に隠された武器弾薬を発見する。 ここからはもうあの有名な「池田屋騒動」である。 しかし10人足らずの隊士達でよくあれだけ戦えたものだと思う。この時新選組の死者は殆んどいない。反対に長州・土佐の人間は殆んど戦死してしまったのだ。 これは奇跡と言ってもいいのではないだろうか…?新選組は雑草の強さがあったように思える。
土佐浪士の1人が桂の所へ助けを求めに行く。桂はそれを断る。文字通り門前払いを喰らわすのだ。 冷静である。その場の感情に流されず冷酷なまでに物事の先の先を見ている。 普通に武士の魂を持った者であったなら、迷いもなく池田屋に飛び出して行ったであろう。 もしこの時桂が池田屋に援護射撃に行ったのなら、歴史が大きく変わったのか・・変わらなかったのか・・そんなこと誰にも分るはずもないが、ただこの冷酷な冷静さが乱世の勝組みとなる条件の1つなのだと…ざらざらした気持ちで見ていた。
最後の坂本の嘆きが悲しい。 「なぜ日本人同士で殺しあうのか」「桂さん、なぜ助けてやらなかったのか」…余りにも普通の人間が抱く感情であるが故に不思議とそれが一番まともであり、そして哀しかった…。
宮部ていぞうが勇達に死の寸前に放った言葉。 「ワシらを斬ったところで時代の流れを止めることは出来ない。」 そうなのだ。大きくうねりをあげて変わろうとしている時代の流れなど誰にも止められないのだ。 しかし勇達はそれが分らない…。
□28話の総司□ 池田屋で隠された武器を発見した総司。利発そうな顔でしたよ。 見せ場の殺陣だが、前半は身体の線が細いからか・・少し迫力に欠けていたことは否めないが、後半、カメラが上方から映した辺りから素敵だった。決して動きは大きな派手なものではないのだが、キレがありました。 喀血の前、相手を追い詰めていくところの眼は残酷に光っており、その妖しい美しさが…これぞ美剣士!
さて、竜也くんもリキを入れた喀血シーン。 「最初に少し(血を)出して、後にドバーッと出したんですけどね。」とインタで話をしていたので、変態じみていると重々分ってはいても、その「ドバーッ」の部分を楽しみにしていたのだ…。 しかしその「ドバーッ」が省略され(汗)、「ちょっと出して」→「空白」→「既にドバーッの後」という何ともはや…中途半端…。 しかし自分の運命を覚った総司の表情は何故か冷静なだけに哀しくて…。静かな喀血がその哀れさをかえって際立たせたかもしれない。
原田と永倉に喀血したことを覚られた総司。「皆には言わないで…」 こんなことはすぐにバレるのだ。何故人間はすぐバレると分っている嘘をつこうとするのだろうか…。 いつもはおちゃらけている原田の自分を見つめる真剣な表情が事の重大さを物語っているではないか。 自分の運命を覚悟したとは言っても、まだそこに一縷の望みを抱いているようで…。切なかった・・切なかった・・切なかった…。
板に乗せられて皆に見守られながら退却する総司。 階段から落ちたと笑って謝る総司だったが、最後、誰を見たのだろうか?瞬間真剣な眼差しを向け、そしてそのまま視線を落とした…。
***第28話の私のつぼ*** ・紫陽花の花びらがひらひら…。私個人としては…あれはなかったほうが…あくまでも私の趣味のレベルなのですが…
●第29話「長州を討て」
長州兵が京に攻め込もうとしているため、勇は佐久間象山と共に松平に接見する。 その帰り際、勇は象山に自分の迷いを素直に打ち明ける。 「自分のやっていることが正しいことなのか…そんなことは誰にも分らない。国を思う気持ちに誠があれば迷うことなく己を信じて行きたまえ。」 勇は象山から心強い言葉を貰うが、この言葉は象山の遺言となってしまう。 その帰り道彼は河上という男に暗殺されてしまうのだ。また日本の未来の光が消えてしまったように思われた…。暗殺者の相手の名前を呆れてしまうほどにしつこく聞き、そして死の瞬間、笑みを見せた。 既に覚悟はできていたというような、不敵で大きな笑みだった…。
一方桂は、過激な長州藩士の暴発を食い止めようと説得に奔走するが、長州の若いエネルギーはとどまる事を知らない。 過激な尊王攘夷の思想・・それでも帝への忠誠心はあるのだ。 久坂らは「誠をもって接すれば、こちらの思いも帝に通じる。」と信じて止まない。 誠を持って…どうしてその気持ちで対立している者達と対話をしようとしなかったのであろう…。
その後、御所・蛤御門で長州藩士達は激烈な戦いを挑む。しかし勝機を掴めない。 最後の手段として鷹司邸の裏から御所に侵入しようと試みるが、それも失敗に終わる。 追い詰められた久坂らは「自分のやってきたことは意味のあることだったのだろうか…」と涙を流しながら自問自答する。 彼等はまげを切り落とし、それを桂に渡すように、たまたま側にいた捨助にたくして自刃するのだった。
昔の人はどうしてこうも死に急ごうとするのか…。自分のやってきたことを意味あるものにするには、まず生きていることが大前提だと思うのだが。「あの者達は何をしたかったのだろう?」結局帝に自分達の気持ちを理解してもらえなかった。 自ら命を落としてしまったら、自分は間違っていたと認めるようなものではないのだろうか…。 時には勇気ある撤退を決意し、チャンスが到来することを体制を立て直しながらじっくりと待てばいい。生き長らえることは少しも女々しいことではないと思う。 どうして桂が幕末の勝組となったのか…?「自らの信念を貫くためには、逃げることも決して女々しいことではなく、1つの戦略だ。」という新しい時代の価値観をいち早く持っていたことも1つの要因だったのかもしれない…。
「命は大事にしたほうが…」捨助が久坂らに言った言葉。いつもはどうしようもない捨助のこの言葉が、今回は不思議とまっとうなものに感じた…。
□29話の総司□ 自らの病気がただならぬものと察し、医者に診てもらいに行く。そこで自分の病名が労咳であることが決定的となってしまった。 「どうしてこんなことになるの?」「なんで私が?」と医者に怒ったように投げかける総司。 こんなことは誰にもわからないし、答えようのないことなのだが、不治の病にかかってしまった人間の素直な感情なのだと思う。 何に怒りをぶつけていいかわからなかったのだろう…。「このやぶ医者!」と丁度その時目の前にいた医者にぶつけるしかなかった総司が不憫でならなかった。
悪態をついたと思ったら、今度は「死ぬのですか…私は…」と急に神妙になってしまい…。その際、遠くを見つめる目の先には何が映っていたのだろうか…? 自分の死に際か…それとも試衛館時代の幸福な日々だったのだろうか。
それでも皆が待つ屯所に元気に戻ってきた。苦しい嘘をついて誤魔化したが歳三は既に気が付き始めている。 原田と永倉に呼び止められ、心配かけまいと精一杯明るく振舞うが、最後2人に向けた笑顔には力がなかった…。
***第29話の私のつぼ(藤原総司限定)*** ・医者に何故もっと早く来なかったのかと聞かれ、「だってぇ〜」とだっだ子のような総司。このシーン…何故か総司の哀れさが増した…。 ・怒鳴りながらも少し涙声になっていたように聞えた「このやぶ医者!」
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