|
|
■■■
■■
■ ピピッ
例えば目の前に
白い画用紙がある その真ん中らへんに黒い『・』が ひとつ。
そういうシーンが あるとする。
それを見て
・誰かが汚したのかな?
・汚れているから取り替えてもらおう
・むしろ、その『・』に気づかない
というタイプの 人。
・白い紙と黒い『・』に「意味」を問う
・その『・』に「存在」を見出す
・『・』が点くまでの、ストーリーを想像する
というタイプの 人。
人間には二種類 あるような気がしています。
もちろんそれは 時と場合などによって
一人の人間の中で 即座に入れ替わったりもする もの
なのでしょうけれど。
隠さなくても 分かりますね ww
特にエンピツ という場では
つとめてそう。
自身が そういうタイプだから、言えるのですが
こういうタイプの人間というのは 往々にして 疲れる
もんです。(苦笑)
それに 接している人はもちろん
それを 生み出してる自分も ね。
こういう精神活動を主とした場合 一見 難解で複雑で回りくどい思考が
くるくる、 むしろ ぐるぐる
行きつ戻りつしながら
ピピッ という音をたてて繋がるまで 続けられますし 続けられずに放り出すことも多々。
さらには結果、うまい具合に その ピピッ という音とともに 導き出されたモノがあったとして
それが
正しいか正しくないかなんて 誰にも判断できませんし
もっと言うと
生産性なんて言葉とは とてもとても 縁遠いもの でもある。
現実として 私の場合
良いも悪いも こういう精神活動をベースとした生業で 日々の糧を得ていますから
職業病と言えばそうなんでしょうし
そういうタイプの人間だったから こういう職業に落ち着いた
ということに なるんでしょうけど。
そういう意味では 生産性がありますね。(笑)
目に見える『・』 を 『・』として 受け止められるタイプ。
とても潔いことだと思いますし
惚れ惚れすることもあります。
それは 憧れにも近い。
巨匠と呼ばれる日本画家が 岩絵の具を塗り重ねた『赤 』にも
魅力を感じますし、
その感情を言葉にしたいという欲求にも駆られる。
けれども
レゴブロックの『赤 』を見て 『青 』や『黄色 』や『緑 』ではない
その『赤 』 を
単純に受け入れられる精神にも惹かれる。
そう言えば 私がこれまで好きになった男の人たち
基本、基本のベースは
『・』 を 『・』として
見るようなタイプの人
で ありました。
その簡潔で、カラリと気持ちよく乾いた精神に
私は己の 湿り気を帯びて形を成さない精神を
そっと 寄り添わせる。
寄り 添わせたいと そう思う。
あぁ… それが 私にとっての恋愛
なのかも しれないなぁ と。
秋の夜長に
静かに鳴る ピピッ という音。 w
2008年09月20日(土)
|
|
|