昨日の飲み会は最悪だった。あんなお見合いパーティーは私には向かない。女性は悪くなかった。年の割にきれいな人もいた。でも変な男がいて私を仲間外れにした。何であんなやつがいるんだ。理解できない。それともああいう場はあれが普通なのか。最近腰痛とうつによる不眠で限界だ。ヤンキーに「ダニ」といわれた。それがこたえている。あんな職場はもう嫌だ。何で眼の敵にされなければいけないのか。私は女だ。だから女が耐えられない。たまらなく嫌だ。もう性欲さえない。近づく理由さえない。昨日も女を見たとき不細工ではないのにもかかわらずたまらなく嫌だった。あの事件がこたえているのだ。私はあのババアを受け入れることができない。当然受け入れるべきと主張してどこまでも来るその態度が我慢ならない。世の中にはいろんな人間がいる。女を特にババアを受け入れられない男がいてもいいだろう。なぜそれで非難されたり迫害されたりしなければならない。女が嫌になってきた。本当に嫌になってきた。これが私の偽らざる気持ちだ。女が嫌い、嫌だという気持ち。それに嘘をつくと風俗とかs○とか異常な行動に走ってしまう。嫌だったら近づかないのがお互いのためだ。それを無理やり近づいてくる、近づいてもいいと考えるババアの病的な考えがたまらなく嫌だ。ヨン様みたいに商売だったら我慢できるだろう。でも私は商売ではない。お前らなんかの相手をするのが商売ではない。 創作の世界は嘘をつかなくていい。創作に打ちこもう。自信にもなるし、うつも切り抜けられる。昨日あんな不愉快な目に遭っても耐えることができたのは文学のおかげだ。人を観察したいという意欲だ。義務感だ。人に優越して仕事をしている喜びだ。アサーティブに主張していこう。今色々考えるが、考えの筋が良くなってきたのでうつにはならない。 おんなが嫌でも良いじゃないか。嫌だという気持ちをアサーティブに出していこう。自分の本当の気持ちが何かさえわからなくなっている。私はナルシストなのかもしれない。男も女も愛せないならば自分を愛するしかないだろう。女は女が嫌に決まっているのに表面上は仲良くしている。社会的には弱者なので同盟を組んでいるのだ。私はそんなことはできない。大嫌いなのに何でいっしょに行動しなければいけないのか。 性欲と感情が分離している。だから風俗なんかに走ったりする。それだったらせめて近づかないことだ。それは幸せを諦めることではない。安全を守り、利益を守り、誇りを守ることだ。 ノーといえない人間、自分の利益を守れない人間はだめだ。今までずっとそうだった。ババアが嫌でも嫌といえない。全ての人に好かれようと無理をする。その結果が迫害されたり、差別されたり、排除されたりということか。そしてそれに対しても抗議できない。アサーティブに行こう。自然にできるまでは意識していこう。そうすればうつにも効果がある。自分に加えられた理不尽なことを合理化するのはよそう。できないことはできないと言おう。理想ばかり追い求めるのは止めて現実を見よう。女なんか現実そのものじゃないか。昨日来ていた女は悪くなかった。ババアでもブスでもなかった。でも意欲が起こらなかった。うつだからだ。 急に生き方を変えるのは難しい。昨日の飲み会でも今までの行動パターンを変えたのだがうまく行かなかった。結局単に行動を変えただけではついていかない。44年かかってしみついた行動と思考はそう簡単に抜けない。でも方向は間違っていないので少しずつ進歩していこう。egで得たものは前向きに生きるパワーだ。パワーはニュートラルなので扱いを間違えるとネガティブな方向に行くこともある。リスパを飲む羽目になった。でも職場の状況は大きく改善された。これからも改善されるだろう。いくらでも改善の余地がある。丸腰であんなパーティーなんか出ても狙い撃ちされるだけだ。人は欲が絡むとけだもののようになる。それが嫌でこんな生き方を選んだのだ。でもノーと言おう。勇気を持ってノーと言おう。自分の利益と安全を守るためだ。 私は自分の利益を損なうというミスを犯している。仕事を真面目にやらないのはその最も重大なひとつだ。仕事を真面目にやらないと雇用が脅かされて生命さえ危うくなる。こんな簡単なことがわからなくなっているのだからそうとうやばい。あのキチガイに責め立てられて錯乱しているのだ。まずやるべきことはあらゆる機会を捉えて嫌がらせを止めさせ、職場を正常化すること。だいぶそれは実現した。北原という白馬の王子のおかげで。もう一息だ。そして自分の仕事に打ちこもう。それが最大の利益だ。 自分で自分の利益を台無しにする。そんな奴恐くて誰も付き合わない。しかしこれからは違う。自分の利益を最優先する。 今うつだしもっとひどいうつになってもおかしくないのにそうならないのは、創作があるからだ。それが誇りを守ってくれる。生きがいと喜びを与えてくれる。馬鹿にされてもめげない自信を得た。今は彼女とかじゃなくて創作に打ちこんで見よう。うつはクリエイティブイルネスだ。今こそ創作のチャンスだ。私がこの世に生まれてきた理由が見つかった。これに打ちこんで生きていこう。あんなちんけなキチガイどもに悩まされる必要はもうない。私に愛されたいのに愛されないので攻撃する。キチガイババア。ババアを愛せないことを引け目に思う理由はない。 腰痛で病院に行ったら注射された。何か余計悪くなったような気がする。大丈夫だろうか、あの医者。下半身不随にされたくない。もう行くの止めようか。恐ろしい。今日は酒飲むの止めよう。まだ私は十分ではない。青春は始まったが、慣らし運転を十分行わなくてはいけない。 今日看護婦と話していて女が好きではないんだなと思った。向こうは女が好きなんだろうと思いながら接してくるのだがそうではないと気づくと怪訝な顔をする。それはそうだろう。女の皮膚一枚が好きなだけかもしれない。性欲とはそういうものだ。中身を愛することがどうしてもできない。女が好きであろうと演技すると苦しくなってくる。女に無償奉仕している気分になってくる。それに燃えるのだったらそれはそれでいいが、どう考えても健全とはいえない。それが嫌なら距離を置くしかない。距離を置こうとして拒否するといじめに遭うのか。それはセクハラじゃないのか。勘違いもはなはだしい。アサーティブに女が嫌いだと表明し、権利を認めさせよう。女を相手にするのは義務ではない。強制される覚えは全くない。間違っても無償奉仕は止めよう。好きでもないものを好きというふりをすると相手にも自分にも不誠実で率直でないことになり、ひいてはお互いの利益を損なうことになる。私の考えは間違っていない。
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