希望の日記

2005年09月26日(月) 腰痛

 腰痛は少し良くなった。すごい病院だ。注射を打った後は注射の跡が痛かったがだいぶ良くなった。マッサージも良く効いた。大丈夫じゃないかと言う気がしてきた。
 今日hが出張から帰ってきて早速私をターゲットにしてグジャグジャ言って来た。完全に頭がおかしい。あいつのせいで治る病気も治らない。kの気違いも騒ぐ必要ないのに騒ぎまくっている。完全に頭おかしい。頭おかしい人間が二人もいる。ホントニ死んで欲しい。北原に言おうかと思う。私を眼の敵にするな。人の嫌がることをするな。きっちり話をした方が良いんじゃないか。完全に頭おかしい。
 アサーティブに生きていこう。キチガイにつけこまれないようにしよう。嫌いなことは許される。嫌いというのは真実の感覚であって、民主主義社会では許される。嫌いと言うことをアサーティブに主張していこう。ババアはなぜか自分が当然好かれなければならないと思っているらしい。完全におかしい。亭主にも好かれないのに何で赤の他人に好かれるんだ。お前みたいなキチガイが。憐れみの感情も起こらない。
 アサーティブに戦っていこう。引きこもりの繭の中から出ようと決心した。egによってそのパワーを得た。でも外に出ればそれなりに厳しいこともある。でも理不尽なことはノーと言おう。
 女が嫌いなのは仕方がない。昔からそうだ。自分をごまかしてはいけない。アサーティブに生きるとは自分を偽らないことだ。誠実で率直であることだ。
 私は女を許すことがどうしてもできない。その気持ちは真実だ。それをアサーティブに主張して良いはずだ。ごまかそうとするからややこしくなる。はっきりアサーティブに言おう。
 私が悪いんだろうか。私が直すべきなんだろうか。何を一体直すんだ。勤務態度か。女嫌いか。それは違う。
アサーティブと言うのは面白い。嫌いであってもアサーティブであることは可能だ。アサーティブは言いたいことをいうことだが相手にも言いたいことを言われるため結局それに対処せねばならない。でもそれは普通のコミュニケーションということではないか。コミュニケーションは言いたいことを言い合うことだ。私は言いたいことを言っていない。言いたいことを言えればコミュニケーションができたことになる。それは普通のことだ。今までコミュニケーションをしたことがない。コミュニケーションがしたいのだ。あのキチガイは。でも断る権利もある。アサーティブに断ることもできる。嫌いと言うことをアサーティブに言っても良い。嫌いでもコミュニケーションはできるのだ。アサーティブにコミュニケーションをしないからストレスがたまる。
 小六の頃変なガキと付き合ったためにおかしくなった。母や姉ともめるようになった。ヤンキーと同じことだ。
 私を眼の敵にしている。あのキチガイどもはアサーションのときもおかしかった。私を眼の敵にしていた。絶対におかしい。眼の敵にされるのは絶対におかしい。そんな理由はない。戦わなければならない。ヤンキーとは絶対に合わない。キチガイとも。戦わなければならない。喧嘩を売っているのに平和ではありえない。戦わなければならない。アサーティブに生きなければならない。喧嘩を売るなといわなければならない。


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