最近調子が悪い。皆にいじめられていると思う。会社はもちろん、文校でもサークルでもどこへ行ってもいじめられて居場所がない。つらい。母親もこの間の温泉がこたえたのか何も言ってこない。悪いことばかりしてしまう。いいことができなくなっている。論理療法もいいが自分の行動も変えることを考えたほうがよい。仕事を真面目にやるとか、生活をきちんとするとか、部屋の掃除をするとか。サークルで出歩いているばかりじゃない。今こそ慎重に行動すべきだ。文校に行ってもばばあや親父や教師にいじめられる。味方がいない。仲良しクラブじゃないのか。権力が絡むとわからなくなる。自分が損をすることはやめて利益だけを図ろう。自分の利益だけを。もちろん他人の利益は尊重するが、自分の利益が最優先だ。私が利己的に見えるのか。そうではない。アサーティブになって自分を守ろう。論理療法で自分を改善しよう。後は働くだけだ。 女については何も考えないほうがよかろう。好きとか嫌いとかここがどうとか考えても仕様がない。別世界の住人だ。遠い惑星の石ころについて何も考えないように女について何も考えない。幸い性欲もほとんどない。利害関係がないから争うこともない。男に生まれたから女を好きにならなければならないというのはibだ。好きになれるやつは好きになったらいい。私は好きでも嫌いでもない。恐いとも恐くないとも思わない。無縁だ。 アサーティブとは何か。弱い人間でも自分を守れるということだ。護身術だ。いくら弱くてもいい。男だから強くなくてはならないというのはibだ。強いに越したことはないが、弱いからといって少しも困らない。より強いやつの力を借りればいいし、自分でも十分自分を守れる。泣き寝入りする必要など全くない。台湾のハンセン病患者でも国を相手に勝てるのだ。 論理療法は私のibを明らかにする。私の考えはほとんどibだ。断定するところとか、極端な思考、ネバならない、ibの見本市のようなことを書き連ねていたことを思い出す。ibを捨てると実に楽だ。男が女より偉くなくてはいけないのか。男が女みたいで何がいけないのか。法律や道徳は100%ibだ。破られるためにある。だって最初はなかったじゃないか。服も着ないで近親相姦でも何でもありだった。それが今は気取って飯食うのにも無数の礼儀作法がある。どれも破っても死んだりはしない。人を殺しても死んだりはしない。大阪にいると、人間が如何に多くのibに囚われているかわかる。働き者の皆さんはみんなibに囚われている。働いて業績を上げなければ、出世しなければ、稼がなければ、良い家に住まなければ、幸せにならなければ、皆ibだ。幸せに越したことはないがネバならないというほどではない。不幸でないに越したことはないが、不幸だからといって飢え死にするわけではない。偉くなってもいじめられるだけだ。ばかばかしいにもほどがある。権力者はibに囚われているかもしれない。ご苦労なことだ。リーダーは法律というibを執行しなければならない。それが仕事だ。だけど本当にibに囚われているだろうか。そんなはずはない。信長がibに囚われていたか。最もibから自由であった。私はいくらなんでもibに囚われすぎだ。だから生きることさえできなくなった。 ネバならないことなどない。全くない。人に好かれなければならないか。好きにならなければならないか。仲良くしなければならないか。挨拶しなければならないか。目上の人に気に入られなければならないか。全部ibだ。しかも誰も信じてはいない。私が一番囚われている。誰も真面目に仕事をしなければならないと思っているやつなどいない。ibだと皆知っている。人をいじめちゃいけないか。いじめてもいいと皆思っている。自分がいじめられるといじめがあるなんてとショックを受ける。いじめてもいいと思っているに決まっているのに。愛と信頼と相互理解で職場の人間が結ばれていなければならないか。そんなこと信じているやつは私以外独りもいない。平気でいじめをするじゃないか。良い人じゃなければならないなんて誰も信じているわけないじゃないか。そんなやつがどうしていじめなんかするんだ。何で良い人じゃないといけないんだ。そんなやつ一人もいるか。 悪いことをしちゃいけないか。攻撃しちゃいけないか。悪いことをされて反撃しちゃいけないか。誇りを傷つけられて起こっちゃいけないか。全部ibだ。自分の利益を図っちゃいけないか。私利私欲を追求しちゃいけないか。女を好きになっちゃいけないか。仏陀の女と交わってはいけないというのは最大のibだ。ibだから日本では誰も守らなくなった。女は優しくなければいけないか。全然やさしくなんかないじゃないか。一体どこに目をつけているのか。 文校で私は警戒されているらしい。鍼灸院でも同じだ。不気味がられ、不審がられ、嫌われ、いじめられる。私からすれば何の理由もなく。でも相当に風変わりだ。それでいじめられないと思い込むのがibだ。当然いじめるだろう。ばかにしているようなニヤニヤ笑い。無言で決して打ち解けようとしない。非協調的な態度。なにやら攻撃性を秘めている。何をするかわからない。それはいじめるでしょう。いじめないはずだというibはどこから来るのだ。いじめるべきでない?それがibだ。何度試しても同じだ。必ずいじめるだろう。理解しあえばいじめないだろうか。絶対そんなことはない。 何で人に好かれなきゃいけないんだ。何で自分をいじめるやつと仲良くしなきゃいけないんだ。何で自分を嫌うやつと仲良くできるんだ。何で関係を改善しなきゃいけないんだ。何で馬鹿と付き合わなきゃいけないんだ。 自己犠牲をしなければならないというib。これが一番悪質なibだ。カミカゼ、ハラキリ、玉砕、バンザイクリフ。西洋人には理解できない。これはやめましょう。リーダーになればそれは必要かもしれない。サービス残業、過労死。自殺。馬鹿なことはやめましょう。生き抜きましょう。このきちがいじみた世の中を自由に泳ぎ渡って行きましょう。自己犠牲はだめです。 自分を嫌う人間に好かれたいか。女に好かれたいか。全くそうは思わない。透明な存在。女は私にとって透明な存在だ。好きとか嫌いとか超えている。考える対象ではない。感情の対象ではない。興味の対象ではない。女を好きにならなければならないというibはもう捨てよう。好きでもないのに。女に好かれなければならないというibもついでに捨てよう。人と仲良くしなければならないというib。友達はいっぱいいなければならないというib。いなくていいじゃないか。人のために自己犠牲なんてまっぴらだ。 自己犠牲はやめよう。馬鹿な子供と付き合うとか自分を傷つける人間と仲良くしようとするとか大嫌いな女と仲良くしようとするとか。自分の利益を守って何が悪い。自己犠牲をしなきゃいけないというib。税金を支払うくらいはいいけど命まで差し出すのは嫌だ。私は腋臭なので大体人に嫌われる。嫌う人間と仲良くするなんて馬鹿だ。人に嫌われるんだったらそれでいいんじゃないのか。どうしても人に好かれなきゃいけないか。それがibだというのだ。全てのibを捨てても良い。捨てなければならないとすると新たなibになるが。
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