希望の日記

2005年11月01日(火) 今日

 今日はあの馬鹿が一人でしゃべりまくっていた。その声を聞いていると発狂しそうになった。脳に傷がついていく。我慢することはできない。いじめられている気がする。不当な仕打ちを受けたら怒ってよい。少なくとも抗議してよい。それがアサーションだ。でもできないときがある。女との関係で意地悪されているとき。意地悪は誰にも気づかれないので抗議できない。昼休みにしゃべるなと言ってもやめない。足を組むなといってもやめない。小さい頃から姉と仲が悪かった。高校生くらいから暴力を振るうようになった。女と相性が悪い。無性に嫌いだ。今まで恋愛関係になったことなどない。私が女だからだ。「おかま」とか大きな声で言っていたのは私に対するあてこすりに違いない。「電話番」とも言われた。怒る。抗議する。それ以外ない。おっとり構えていてはいけない。女とうまくいかないのがすごく良くわかった。あのババアとうまくいかない理由は私が女だからだとわかった。でも私は女として生きているわけではない。だったら男として振舞えばいいのだ。抑圧者として振舞えばいいのだ。女として振舞う必要があるか。男女差別論者として振舞えばいいのだ。女と性的なものを得るためにsmに頼る必要があるだろうか。それはibだ。どうしてそんなことをしなければならないのだ。どうして嫌いな奴と無理に仲良くしなければならないのだ。ibだ。不当な仕打ちを受けたら怒ってよい。怒ってはいけないというのはibだ。文校でも怒っていいのだ。仲良くなんかしなくていいのだ。
 人が恐い理由は不当なことをされたときに、怒れないからだ。抗議できないからだ。誰もが親切で、優しければいい。でもそうでなければならないというのはibだ。嫌いな奴がいてはならないというのはibだ。嫌いな奴がいてもいいのだ。不当なことをされたら抗議すればいいのだ。怒ればいいのだ。
 臭いというのは差別だ。思いやりがないからそういうことを言う。堂々といわれたのはあの職場に来てからだ。それからあの文校でもくそ坊主に何回もいわれた。仲良くしたいと思っている。仲良くするに越したことはない。でも絶対仲良くしなければならないということはない。ibだ。だから怒れないのだ。どんな不当な仕打ちを受けても黙って耐えなければならないというibを持っているから怒れないのだ。しつこく最初に怒りながら私に姉が言っていたのを覚えている。小さい頃から相性が悪かったのだ。いつも女は私に辛く当たった。だから女が嫌いになるのは当然だろう。smに走るのはおかしい。掲示板であれだけ何度も不快な経験をしながら怒りもせず、抗議もせず、書き続けるというのはおかしい。不当な仕打ちを受けたら怒ってよいのだ。
 あまり日記を書くと脳の興奮が高まってよくない。中学から始めた日記は私の精神を培ったが、同時に害したかもしれない。人に会いたくない。心底そう思う。私は悪くなった。明らかだ。小学生からなのか中学生からなのかわからないが悪くなったのは明らかだ。同時に精神を病んだ。安らかな気持ちになろう。人を憎むのは嫌だ。でもあの声を聞いているだけで発狂しそうになる。私の精神状態をコピーする。それを見て声を聞いて発狂しそうになる。h君の作品は私の精神状態までコピーしているようで薄気味悪い。kは私が悪いとそれをコピーして攻撃してくる。何でそこまでコピーしなければならないのか。普通に振舞っていてもだめだ。心の中までコピーしてくる。私が善人に生まれ変わればいいのか。私は善人のつもりでいるから攻撃されるととまどう。なぜ攻撃されるのかわからない。ひとつは論理療法で自分の邪悪さを解きほぐしていく。第二に不当なことをされたら反撃する。アサーティブだ。第三に人を避けて隠棲する。これができたら最高だ。
 私は過去に悪いことをしただろう。でも役に立つということを証明できる。小説がうまいということがわかった。それ以外にも必ずやればできる。やろうとしないだけだ。やれば必ずあんな基地外より上手にできる。
 私は女とは絶対にうまくいかないと思った。小さい頃からうまくいかなかった。仲良くしようとするからいけない。サディスティックな態度でいいんじゃないか。サディスティックにくるんだからお互い様だ。喧嘩上等だ。仲良くなんかする必要はない。喧嘩したからここまで楽になったんだ。戦う以外にない。不当なことをされたら怒ってもいいのだ。絶対どんな不当なことをされても怒ってはいけないというのはibだ。反撃も抗議もできないと思うから恐い。でも何かされたら必ず反撃すると思っていれば何も恐くない。


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