また今朝は特に具合が悪い。腰が痛い。9月に腰を痛めてから下降気味だ。眠れないのだ。昨日雪国のdvdを観た。とても面白かった。毎日がお祝いなのであるから、毎日観てもいいのだ。素敵な本を読んでもいいのだ。具合が悪いときは多くの気付きを得ているときでもある。自分を愛するとどうしても他人との対立を避けられない。でも避けられないものもあるのだ。それから逃げないで戦うのだ。喧嘩とは違う。弱者には法的権利がある。権力は味方してくれる。アサーティブもある。あのキチガイもコントロールできるのだ。文校もあまり居心地の良いところではない。奇人の皆さんといるのは疲れる。どうしてわざわざ疲れることをするのか。得るものは大きいかもしれない。とてもできないと思うことができた。強制的にやらされたからだ。楽しく生きていこう。自分も楽しく相手も楽しい。世間も楽しい。そういうことは可能だ。私にはそういう力がある。誰にでもある。女が嫌いだったらそれなりに対処したほうが良い。避けたって一向に構わない。向こうだって避けているじゃないか。u君は来なくなった。自分の壁にぶつかっている。私も親切にできなかった。でも彼には教わることもあった。こんな私でも受け入れてくれた。そういう風に自分を受け入れよう。具合の悪いときはやっぱり気づきも多いのだ。 相当疲れている。eg以来の一年分の疲れだ。この間の文校のときは相当疲れていて変だったようだ。温泉でも行って来るか。長谷寺でも行こうか。昨日の電車で思ったが、人はそんなに機嫌が悪くないし、優しいと思った。おばさんも大阪のおばさんは目に余るが、それでもいつも暴力的なわけではなくておとなしい。よくしゃべるだけだ。疲れているので受け入れることはできない。そういう時は誰でもある。帰りの電車ではちょっと殺伐としていた。特におっさん。暴力を振るいそうで恐い。非常に不快だ。おばさんのほうがましだと思った。やっぱりおばさんはおっさんが恐いのだ。暴力は誰でも恐い。暴力を振るう女もいるが。あの小説では。 疲れた。山河さんには嫌われたかも。あまりほめなかったし、きついことも言ったし。調子最悪だった。昨日の行きの電車で苦しかった。変なカップルが前に座って、くだらないことをしゃべっていたのが気が変になりそうだった。でも私がどんなに疲れているか、苛立っているか、危険な状態にあるかわかった。休んだほうが良い。自分を守るためにもこれ以上疲労を蓄積しないほうが良い。疲れた。行楽客の皆さんは私のように機嫌悪くなく疲れてもいないのに驚いた。少し救われた気もするし、逆に疲れた気もする。かなり変だと思う。私は。見た目に現れるくらい変だと思う。文校では変だと思われただろう。私は多分誰かに面倒を見てほしいのだ。ケアーしてほしい。疲れているから。 精神的に不調な人をケアーしてくれるサービスってないのか。デイケアとかあるけどな。 今調子が悪いのは疲れているからであって、良い方向に向かっている気がする。自分を愛するという路線は正しいからどこまでも行けば良い。今までがおかしすぎたのだ。正しい方向に向かって歩き始めたので疲れるのだ。アサーティブに生き始めたから疲れるのだ。弱気じゃなく強気で間違いないと思う。人や自分の権利を侵害するのではないから正しいと思うことはしっかりやったほうが良い。疲れているのは間違いではない。間違っているからではなく、正しいことをやり始めたから、慣れないせいで疲れるのだ。小説を書くこともなれない部分を使うから疲れるが、間違ってはいない。自己表現の欲求はすばらしいものだ。商売でも政治でも自己表現と根はひとつだ。自分を粗末にせず、愛し、大事にすることは良いことだ。悪いことはやめて生きるエネルギーを大事にすることは良いことだ。しっかり目を開けて自分の足で歩き始めるのだ。今回のことでも問題点がはっきり整理されたから、良かったのだ。問題点を抱えたままどこまで行ってもだめだ。隠蔽したってだめだ。膿を出し尽くすのだ。私は倫理的でないところがある。ことさらにそうしている。ホントはそんなことは思っていないし、そんな人間ではないのに。偽悪ぶるというか。小説はそういうものを出し尽くす意味ではいいのではないか。混乱する必要はない。 自分を愛し、自分を信じ、自分を大事にし、まっすぐ歩き出す。それが必要であり、それが癒しにつながるのではないか。引きこもりではいけない。いけないというか、エネルギーを蓄積するためなら良いが、人生から、世の中から逃避するのでは埒があかない。自分を愛すれば他人のことはどうでもいいのだ。女なんか全くどうでもいいことだろう。自分を愛するのだ。私は間違ったほうに向かっていない。正しい方向に向かっているのだ。egも良い方向にエネルギーを向けることができれば大変喜ばしい変化をもたらすのだ。hから離れたのは自立への第一歩で良かった。あいつはゲームになっているのだ。だめな私を隠蔽し、そのままにしておくことで私の改善を結果的に妨げている。あいつから離れたほうが自分のためだ。好き嫌いで言っているのではない。損得の問題だ。あいつに恨みがあるのではないし、恨む必要はない。斉藤さんが言っていた。エネルギーの無駄だと。商売であって権力闘争ではない。私は法科出身だからすぐ喧嘩してしまう。しなくて良い喧嘩を。でもこの間の文校での議論は弁証法的で実りが多かった。私が火をつけた火種がうまく生きた。私は間違った道を歩いていない。ただ今非常に疲れているだけだ。egでも私は間違っていないということを教えられた。ハードもソフトも優秀なのに暴走しているか、フリーズしているか、うまく機能していないだけだ。 今具合が悪いのは良い方向に向かっている証拠だ。恐れずひるまず、明るく前向きに生きていこう。誰かにケアーしてもらわずとも自分で自分を愛することさえできれば全て良い方向に動き始める。自分を愛そう。ちょっと調子が悪いのは、良い方向に向かい始めたからだ。なぜフリーズするか。全部お膳立てを整えさせておいてどうして向かわないのか。自分が幸せになるのが恐いのだ。男らしく強くかっこよくなるのが恐いのだ。これからは自分を愛し、バリバリ仕事も小説もやっていこう。処方箋は生きること。勇気を持つこと。素直に生き始めること。簡単だ。秘法や悟りなどない。少しの勇気と課長にも書かれたじゃないか。天は自らたすくる者をたすく。ごくシンプルな処方箋だ。天邪鬼をやめること。マゾヒズムから足を洗うこと。そうしないと相手にしてもらえなくなる。私は病気なんかじゃないのだ。引きこもりが病気ではないという意味がやっとわかった。私は病気なんかじゃない。どこも悪くない。うつでも統合失調症でもない。キチガイなんかじゃない。引きこもりをまだやっているのだ。処方箋は生きることだ。 やればできるというのをモットーに行こう。シンプルイズベストでも良い。具合が悪いのは今変わりつつあるからだ。良くなりつつある証拠だ。やればできる。私は病気ではない。どこも悪いところはない。今いいときなのだ。今変わりつつあるいいときなのだ。調子が悪いのは正しい道を歩き始めたからだ。少しも悪いところはない。私は間違っていない。 長谷寺に行ってきた。品の良い寺だ。女の寺だからか。女が嫌いではなくなった。良いことだ。おっさんは逆に嫌いになった。正しい道を歩き出したのだ。私はずっと間違ったことをしてきて、今正しいことをし始めたので、辛いのだ。調子が悪いのだ。私は何も間違ったことはしていないし、人生とは世の中とは、人間とはそういうものなのだ。辛くきついものなのだ。当たり前の話だ。ゆっくり休み、やるべきことを淡々とやるだけだ。 私は正しいことをやり始めたので苦しいのだ。渡辺さんていたじゃないか。あれと同じ精神状態だ。今から良くなるのだ。人並みのことをやり始めたので疲れるのだ。全く間違ってはいない。休養さえしっかり取れば必ず立ち直れる。今まで真面目に働いたことがあるか。これからはしんどいけど真面目に働こう。 私は正しい方向に向かっている。やればできる。飛行機に乗って恐い恐いと一人だけ騒いでいるようなものだ。 自分を愛そう。自分を好きになろう。真面目になろう。子供の頃は真面目だった。結局真面目が一番だ。自分が好きだ。 かなりおかしくなっているが、大丈夫だ。今から頑張ればきっと立ち直れる。ようやく正しい道に戻ったのだ。 今とても調子が悪いが、疲れがたまっているのだ。でも正しいことをやり始めたから疲れているのだ。正しい方向に向かっている。後はやるだけだ。やればできる。あんなキチガイババア恐れる必要はない。 楽しい。これからいいことがたくさん起こるに違いないと思うと楽しい。ようやく普通の人間になれる気がする。幸せになりたい。幸せになれる気がする。
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