今日は良い天気だ。車を借りたのだが昨日飲みすぎて頭がボーっとするので少し時間を置こう。命が大事だ。pに入れたままアクセルを吹かしたときにはやばいと思った。安全第一で行こう。でも昨日は調子が良かった。体も心も調子が良かった。今日だって調子は良い。ただちょっと飲みすぎただけだ。無理はしないほうが良い。昨日はいくらなんでも飲みすぎた。焼酎をどぼどぼ入れて飲んでいた。父親が酒が好きだった理由がわかる。性格が一瞬だけ良くなる。修正される。くどいとか、しつこいとか、勘違いしているとか、いやみだとか、犯罪者っぽいとか、そういうのが、一瞬解放されてまともになる。むしろ酒飲んでいるときだけまともになる。ずっと酒飲んでいればいいと言われたこともある。私は小さい暗い穴に頭を突っ込んでいるようだ。自分と周りが見えていない。呪縛されている。反社会的な性格がむしろ修正される。親父が酒を欠かさなかったわけがわかってきた。親父を酒飲みと嫌った時期もあったが親父も辛かったのだ。申し訳ないことをした。 ほんとに疲れた。でも良い経験になった。レンタカーも楽じゃない。のんびりしたかったのにとても疲れた。神経が磨り減った。飲みすぎで心身ともにおかしいのに車に乗ってはいけない。気をつけよう。ええじゃないか的な精神状態では運転は向かない。これは仕事にも言える。私は職場で同じことをやっている。でも人は大きな義務を果たしながら生きている。当たり前のことが見えなくなっている。でも小説を書き始めてから目が開かれたように色んなことが見えてきた。良い方向に進んでいる。緊張しすぎなんだ。飛行機のパイロットなんかどれだけ緊張を強いられる激務なんだ。そんな働き者がこの世にいることが信じられないことが飛行機が恐い理由のひとつだ。自分みたいな奴がパイロットだったらどうしようと思ってしまう。私はあってもなくてもいいことのために働くことが向いてると思う。作家、芸人に向いている。掃除夫だって勤まらない。なくてはならない仕事だというプレッシャーが私を萎えさせる。適度にリラックスすることが仕事をする上で不可欠だ。追い込んで萎縮させては実力が出ない。意味不明な行動を取ってしまう。自分がまさにそういう状態だと気づいた。大きな進歩だ。親父はきちんと話をするのに酒が不可欠だったのだ。大いに理解できる。今となっては。そう思うと人が悪人に見えないし、人が私を責めたくなる気持ちもわかった。そういうことがようやくわかるようになった。大きな進歩だ。小説を書いて褒められたのが大きかった。力があると確信できたし、それを乱用しようとも思わなくなった。 私がおかしいのは今に始まったのではないと気づいた。というより自分がおかしいと初めてわかった。自分がおかしいということがこんなにも実り多い気づきだとわかった。今私は自分がおかしいとはっきりわかるが、これは今までになかったことで、実はすごいことかもしれない。きっとそうだ。新たな実り多いステージにやっと私は立てたのではないだろうか。自分を追い込んでしまうので脳が統合失調症並みに緊張する。そんな状態でまともな判断や思考ができるわけがない。人が気味悪がるのは無理のないことだ。でも私は自分がおかしくないとかたくなに信じているものだから、周囲と摩擦が生じる。h君とよく似たメカニズムだ。酒は少しはそのような緊張を解きほぐしてくれる。昨日初めて気づいた。親父も酒を飲んでいる間だけ緊張から解放される臆病な性格だったのだ。今ようやくわかった。私は悪人ではない。生まれつきの悪人はいない。宅間だって長い年月をかけてあそこまで追い込まれてあんなふうになってしまったのだ。私はあいつが理解できる。やったことは許されないが、あいつが心底悪人ではなかったということは明らかだ。カウンセリングを受け入れ、結婚を受け入れたのは彼がまだ心を開くことができたことを証明する。それは自分が心底悪人ではないことをわかってくれという彼の絶望的なメッセージだ。悪人ではないからこそ無理やり悪人を演じることができるのだ。まともな部分が残っているからこそ人が何を嫌がるかがわかるのだ。一番人の嫌がることを選んで実行できるということは彼が正気であって、純然たる悪人ではないことを証明している。 酒に酔った。昨日飲みすぎたので少しで酔ってしまう。酒を飲みすぎるのも自分を追い込んでいるからだ。女は絶対に自分を追い込んだりしない。生き残るほうしか考えていない。男は死ぬことを考えてしまうからだめだ。自分がおかしいというのは大変な気づきだ。私は自分が良い人過ぎるので恥ずかしいが、恥ずかしがる必要はない。良い人でいいじゃないか。悪い人はいないのだ。 考えすぎてはいけない。単に脳を酷使しているだけで何も考えていない。私はおかしいと気づいたのは小説を書き始めてからだ。日記は閉ざされている。人に読まれることを本来予定していない。小説は違う。人を楽しませるものだ。根本的に違う。そのことが私を目覚めさせた。 何か正気に戻りつつある気がする。狂いそうな気がしない。自分を愛することがようやくできそうなこと、自分がおかしいことに気づいたこと、この二つが大きい。おかしいといってもおかしい状態に追い込んでいるということで、病気でもなんでもない。追い込まないでリラックスできれば普通に生産的な生活ができる。リラックスしないと仕事はできない。追い込んでもだめだ。北原は私を追い込んでもだめだということを本能的にわかっている。今日車の運転ができなかった理由と仕事ができない理由とは良く似ている。緊張と恐怖と不安でリラックスできないのだ。これからはきっとうまく行く。
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