希望の日記

2006年01月04日(水)

 早朝覚醒してしまった。やや調子悪し。でも範囲内だな。昨日は飲みすぎた。ワイン一本空けてしまった。感謝の気持ちと哀れみの気持ちが大事だ。感謝は無理でも憐れみなら簡単だ。それと体本位であること。脳優位でいかないこと。最近暴力的な扱いを受けることが多い。これっておかしいかも。私は変に見られるが暴力は止めてほしい。何で暴力振るわれないといけないのか。道を歩いている奴らは人を人間とは思っていない。クリーニング屋の奴も人を人間とは思っていない。レジ係の奴も私が40過ぎて独身だからか。彼女いないからか差別じゃないのか。感謝と憐れみが大事だ。でも差別されたら戦わないといけない。アサーティブに立ち上がらないといけない。あのババが腹が立つのは明らかに差別しているからだ。差別ではなく憐れみが大事だ。さらには感謝が必要だろう。憐れみが自分と関係あるなら感謝となる。あまり違いはないように思われる。
 明らかに調子が悪い。今朝幻覚らしきものが見えた。そんな大げさなものではないが目をつぶっていると変な模様が浮かんで色んなものに見えたりして恐くなってあわてて目を開けた。前にも一度会った。脳が興奮しすぎている。勝手に暴走している。今日も寝ていられなくて7時から起きて選択している。脳が興奮しすぎるのはよくない癖だ。今年からはアサーティブに行こう。傷つけられたら怒ろう。ちゃんと抗議しよう。なぜ優しくしてくれないなどと思うより抗議しよう。止めさせよう。私は北原に言って止めさせた。完全に気が狂っている。私が差別しているとか勝手に思い込んで暴走している。あの馬鹿女も新年になっても同じことをするなら必ず北原に言って止めさせる。そういうシステムになっている。課長や他の奴に言っても言ってくれなかったことを北原がなぜ必ず言ってくれるのか良くわかった。理解力が素晴らしいからだ。私がどんな状況に置かれているかについての理解力が素晴らしい。いじめられて抗議する力もないということに気付いたのだ。それを他の連中は全く気付かない。重要なことだと思わない。信じられない。
 金で快楽を買うようなことをすると後できっとこんな精神状態になる。脳が興奮しすぎる。暴走を始める。私は至って金の要らない人間なのだ。でも昨日のしゃぶしゃぶは信じられないほどうまかった。年末年始のご馳走の中でベストだった。私は暴力を受けやすい。集団の暴力を受けやすい。差別や暴力のターゲットになりやすい。この会社に入ってからもずっとそうだ。その前からも解雇されたり、いじめられたり、社会で適応できたことはほとんどない。b校でさえもいじめにあった。暴力に弱い。暴力を誘発しやすい。あのツッキーも暴力的な人間だ。鍼灸院でも暴力を振るわれた。散髪屋でも女から暴力を振るわれた。マゾヒズムのせいだろうか。それもあるかもしれない。でもそれから決別して自分で暴力を排除する。誘発しないようにする。私にとっては人間は暴力を振るう存在だ。犬でも子供でも人間的な存在は暴力を振るう。私は暴力に弱い。自分を守れないのだ。人はなぜ家族を持つか。差別や暴力から身を守るためだ。それが私にはできないのだ。世界が暴力的であるという事実を受け入れられないのだ。認めたくないのだ。世界は暴力的であってはならないというのが私のibだ。世界は暴力的であってならないなどということはない。そう主張することと現実がそうかということは別だ。世界が暴力的であることを受け入れよう。法律を勉強するということで私は既に十分すぎるほど受け入れている。掲示板でも暴力を振るわれた。何度も。
 何で学習しないのだ。人は暴力を振るうということを。今日はさえている。というより脳化が始まっている。こういうときこそ体に戻らないと、体本位で行かないと危ない。女は暴力を受け入れている。そのように私は生きるべきだ。非暴力を願う。人間の営みは非暴力との戦いだ。法律や道徳は暴力を誘発しないための仕組みだ。私はそれをしばしば破ってしまう。それで暴力が誘発される。hやkの暴力的体質が嫌いで逃げていると余計暴力を振るってくる。ルールを守って注意深く暴力を避けることだ。会社でも挨拶を強要する奴がいる。暴力主義者だ。体育会系の。体育会系が嫌いな理由は暴力を自明の前提としているところだ。あのサークルでも合わない理由はそこだ。暴力を受け入れる必要なんかないことに気付いた。うまくコントロールして一生暴力と関係なく過ごすことができる。
 体本位で行こう。今日は疲れている。&壊れているのでこういうときこそ慎重に体本位で行こう。感謝の気持ちで行こう。
 青木家の大家族、皆さん見ました?あざみが妊娠しちゃったんです。かわいそうなあざみ。どうしてそういう不幸を自ら背負い込んじゃうことをするのだろう。母親に置き去りにされただけでも不幸なのに、妊娠してしまうなんて。相手は若くて育てられないと逃げてしまった。勝手すぎる。あざみはお父さんと結婚する道を選んだのか、自ら。逃げ出したい自分を納得させるために子供を作ったのか。わからない。偶発的な出来事だったのか。無意識のうちに選んだシナリオなのか。あざみは父と弟妹たちを愛しすぎたんだと思う。かわいそうな彼らをおいて逃げることはできない。女としての幸せを棒にふってしまうほど彼らを愛しすぎたのだ。自分の女としての幸せ、青春を謳歌したいが彼らを見ているとできない。だから彼女ができる唯一の選択だったのだろう。父もそうやって甘えてしまったのだ。今あざみに離れられたら一家は崩壊する。だからあざみが嫁ぐという選択肢は初めからなかった。そういうことなんだと思う。父もまたあざみを愛しすぎた。ヤンキーだから子供作るのは早い。それは仕方がない。だからこういう形が唯一可能な形だったのだ。生まれた子を抱くあざみの幸せそうなマリア様のような微笑を見ているとこの子はこれが一番幸せだったのだと思った。あざみが間違った選択をするわけがない。彼女は望みのものを手に入れたのだ。最も望む形で。父や弟妹から離れることなく自分の子も手に入れたのだ。お互い思いやる気持ちはすごい。彼らは私よりはるかに幸せそうだ。私も感謝と憐れみと思いやりで行こう。これは全部同じ心から出ている。他人を思いやり尊重する気持ちだ。
 でも彼女は過酷な人生を選んだ。自分が家族のために犠牲になる道を選んだ。自分の幸せより家族の幸せを選んだ。それを彼女自身の幸せとする道を選んだ。感動的だ。でも赤ちゃんを抱いている姿は十分すぎるほど幸せそうだ。女の幸せより母となる幸せを選んだのだ。それは半ば以上意識的なことだったと気付く。それは悪ではない。権利だ。犠牲となることと引き換えに彼女自身の幸せを彼女は正当にも要求し、受け入れられたのだ。少しも異様な行動ではない。誰も奴隷であることを甘受する義務はない。
 物語でしか私は世界を理解できない。逆に言えば物語さえあれば世界を理解できる。皆そうだ。物語を共有できる。それにしてもこの父親は仏のように優しい。でもあざみにも同じように仏になれというのは酷だ。あざみの精一杯の権利主張が妊娠という選択肢だった。だから父は裏切られたと傷つき、弟妹たちも動揺した。自分たちを捨てて自分の幸せを追求するのかと。でもそれはしないと知って彼らは安心した。あざみの選択を受け入れた。父も一応先方に話し合いに行ったがそれは形ばかりのもので、本当はあざみを手放す気など毛頭ない。今あざみに去られては困る。あざみもその気はない。あれが最善の選択だったのだ。
 あざみが逃げた母に子供を見せるシーンは感動的だった。あざみが自分のこだわりを離れて一人の娘に戻って笑顔を取り戻す様は感動的だった。あの逃げた母も鬼ではない。人間なのだ。人間だから過ちを犯す。娘はそれを許した。許すことを知った娘はまた一回り成長した。また新たな展開があったようだ。内容は三月放送までわからないが大体想像がつく。父も髪の毛が短くなり、白いものが目立った。父はあざみに家を出て独り立ちすることを勧めたんじゃないだろうか。あざみは人生を家族のために犠牲にするつもりだったが、父はあまりにかわいそうだと思ったのだろう。だってあれでは本当に父と結婚したのと同じことだから。女の幸せはないからね。母の幸せはあっても。それはあまりにひどいことだと父は気付いたんじゃなかろうか。その姿はやっぱり異様で長続きしない。子供たちにも良くない。やっぱり父が新しい嫁をもらうのが一番良いんじゃないだろうか。
 文学の肥沃な手付かずの大地が目の前に広がっている。私はそこに行って耕そうかと思っている。大変な仕事だけど。
 朝調子が悪かったけどすっかり立ち直った。あざみと家族の物語が私を癒した。気付きがまた押し寄せてきた。こういうときに混乱してはいけない。せっかくの気付きが台無しだ。今年はルールを守る年にしよう。仕事をきちんとして信頼を取り戻そう。道徳心ばかりか順法精神さえなくしている。これではいけない。心は立ち直った。それならルールは守れるだろう。ルールを守っていこう。ルール違反はいけない。危険すぎる。今まで職場を解雇された理由はルール違反だ。大変危険だ。鬼になって道理を忘れたのか。人の心、思いやり、感謝の気持ちを忘れずに生きよう。商人でもそういうものを失えば商売は続けられない。ルールを守ることは感謝の気持ちの表現だ。大阪人は単にルールを守らない人ではない。商人のルールはしっかり守っている。だから金儲けができるのだ。憐れみという言葉はきついので思いやりというようにしよう。でもたとえばホームレスを見たときの気持ちは憐れみだけどなあ。自分と関係することがはっきりしたときに思いやりに変わるのだろう。
 毎日感謝の気持ちを形に表すこと。それが勤労だろう。私は中学くらいから鬼になった。それ以来餓鬼道をひた走っている。もう立ち直ろう。いい加減に。世の中は甘いことと苦いこととちょうど半々でできている。
 b校は大きな気付きを与えてくれた。感謝の気持ちを忘れない。自分にも感謝だ。両親にも感謝。小説から離れて長かった私はとんでもない駄作を書いていい気になっていた。でもみるみる気付いて良い作品を描いた。皆に感謝、自分にも感謝。褒めてあげよう。
 感謝の気持ちさえ忘れなければきっと大丈夫だろう。大きな気付きが押し寄せている。これをうまく勤労に生かして行こう。私はもう大丈夫なので人と対立することはない。
 朝からすごく脳が活性化している。こういうときこそ体本位で行かなきゃ。
 自分を語るのでなしに、外界に向かおう。仕事に向かおう。文学も芸術も内面でなく外界である。描かれた一編の小説、映画は誰の目にも触れる客体に他ならない。それに触れ、それを生み出す仕事は外界に踏み出す有効な道だ。
 小泉はいけない。靖国で頑なな態度を取る。人間として根本的な欠陥のある人物だというのは明らかだ。それは外国人は怒るだろう。アメリカ人のために日本の利益を危険に曝している。早く降りてほしい。
 昼からどうしよう。昨日みたいに昼寝するか。伏見稲荷に行って帰りに三丁目の夕日でも見るか。どちらでもよい。疲れているけど眠れないので出かけるか。どちらでもいいのだけれど。多くの人に支えられていると感じる。家族がいない私にもわかる。痛いほどわかる。今晩は薬を飲んでゆっくり寝よう。自分を痛めつけてはいけない。年末のカニと白熊に始まり、多くの気付きが押し寄せ、なおかつ自分をコントロールできて混乱しなかった自分は素晴らしい。自分に感謝。他人にも感謝。
 伏見稲荷に行ってきた。いいこともあったし嫌なこともあった。それが世の中だ。三丁目の夕日は梅田で見たら満席だったので即諦めて帰った。寒かったし、遅かったし、それが良かった。dvdが出たら見たら良い。稲荷では稲荷山に上ったのが楽しかった。すごく参加している感じがした。宗教行事に。これから毎年恒例にしようかな。突然思ったが、あざみが六ヶ月になるまで妊娠を打ち明けなかったのは、赤ちゃんの命を守るためじゃないだろうか。母の頭には神が宿るという。すごい知恵が働いたのだ。もし打ち明けて相手の親とか父親に堕ろせといわれたら拒めないだろう。だから打ち明けなかったのだ。何て可愛そうな娘。
 本殿でお参りして御神籤を引いてから人の流れについて、鳥居をくぐっているうちに山を登るコースに入っていた。体本位の今年の私を象徴するようだ。とてもいいことだ。頭で考えて決めずに体が自然に決める。それが一番正しい。すごく良い予兆だ。頂上で温かいコーヒーを買ったが店員がとても良かった。信心深いことはいいことだ。良い一日だった。仕事への体ならしになるし、毎年恒例にしよう。帰りにどうにも腹が減ったのでワッフルを駅構内で買って食べた。少しこっぱずかしかったがおいしかった。これが体本位ということだ。既に実行できている。物事がバランスよくうまく安全に進むように思う。去年に比べて成長した。悪いことはキチガイみたいな爺に電車の中でカレー臭い屁をひっかけられたことだ。私が臭くて迷惑をかけているから報復のつもりだろうか。私だって好きで臭いわけではない。でもいつの間にか人に迷惑をかけて平気になっているかもしれない。デオドラントも全然しないし。身の危険を感じることがある。帰りの電車でもキチガイみたいなおっさんに偉そうにされた。本当におっさんは嫌だ。見た目といい、態度といい、最低だ。威張るな。
 梅田の紀伊國屋で枕草子リミックスを探そうとしたが人が多すぎて気分が悪くなったので、帰ることにした。体本位の適切な判断だった。何でも体本位で体に聞けばたちどころに正解がわかるのだ。体臭の問題でも心の問題だ。私が人に迷惑をかけていることを申し訳なく思い、人がおとなしく我慢してくれていることを感謝し、苦しみを思いやる心になれば腹は立たない。侮辱されたといって腹を立てることもなくなる。まず私が迷惑をかけていることをわきまえることだ。迷惑をかけて当然という態度は自ずから伝わって人を怒らせるだろう。新幹線の中でアメリカ人に大声で罵り続けられたこともある。つい最近もあった。外人女どもに罵られ続けた。絶対二度と行かない。外人は日本人を馬鹿にしているから平気で罵る。身の危険を感じる。絶対に近づかない。サークルももう行きたくない。変わり者でも友達いなくてもいいじゃないか。自分では全てわかっているんだし。人に迷惑はかけていない。
 頭を通さずに体で考えることが正しい。頭で考えてはいけない。今年は仕事に打ち込もう。仕事ができるようになろう。感謝、思いやり、憐れみの気持ちが大事だ。喧嘩をしないこと。これを今年の誓いにしよう。喧嘩は一人ではできない。
 お互い思いやりが大事じゃなかろうか。私だって悪気があるわけじゃない。でも迷惑をかけていることは明らかだ。迷惑をかけているのに当然という態度が癇に障るのか。でも二回も手術している。もう無理だ。後はデオドラントするくらいだ。酒を飲んだらひどくなるので人ごみに近づかないとか。小泉も靖国で迷惑をかけているのに当然という顔で強弁を繰り返す。意味不明だ。心の問題だ。思いやりの問題だ。アメリカはあれだけ思いやって延長しなくていいのに自衛隊延長したり、牛肉安全かどうかわからないのに解禁したり、一体どこの国なんだ。薄ら寒いのを通り越して心底恐くなってくる。早く正気にもどれ日本人。
 人に迷惑をかけない。これを今年の抱負としよう。迷惑をかけないのは最低限当たり前だろう。そして社会に貢献できる道を探る。感謝の気持ちで一日を過ごす。体本位で生きる。これできっとうまく行く。
 邪悪なことは考えないようにしよう。人をいじめたり、悪いことをしたり、迷惑をかけることが好きなはずはない。でもいつの間にか、人に嫌がられる自分が快感になっている。倒錯のきわみだ。人に好かれた方がいいだろう。嫌われても構わないなんて思っていないだろう。思ってもいないことをするなよ。体本位で生きている限りそうはならないはずだ。私のせいでhやkは苦しんできたはずだ。それは良くないだろう。人が苦しむのを見て本当に嬉しいのか。そんなはずはない。人に感謝しよう。優しくしよう。思いやり、憐れみを持とう。当たり前のことを何で言わなきゃいけないのだ。アザミを見習え。女の方が馬鹿といえるのか。お前の方がよっぽど馬鹿じゃないか。体に戻れ。体本位で感謝の気持ちで生きていれば間違いはない。


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