今日は雨だ。浮かない気分ではある。でも最悪の気分や、パニックにはならないところが以前と違う。体本位に生き始めてからだいぶ違う。あのキチガイはあまりひどいようなら来週にでも言おう。それから女のことなんか興味ないのだから忘れていいんじゃないのか。というか前のキチガイ女でも全く忘れたら良いんだ。実際忘れてるし。 自分の外側に確かな世界があると言うのは新しい感覚だ。小説を書き始めて初めてわかった。同じように仕事の世界にもあるのだがそういうものには一切興味が向かない。自分が利得が得られると思わないからだろう。出世とか未来が開けるとかそういうものがないと人間は働かないものだ。この職場に放り込まれた時点で全く勤労意欲を失った。人格が崩壊した。 でも小説を書き始めてから変わった。自分の外に確かな世界があって自分が参加できると言う感覚は大きい。そこで快楽や喜びを得られるというのは嬉しい。 女だけではなく男もあまり好きではない。体本位で行こう。体本位で行けば大きな間違いはない。自分をいじめてはいけない。体本位であること。 私は自分勝手に生きてきた。野蛮だった。でも野蛮だけでは生きていけない。自分の外に実在があると言うことを認めることは重要であり、恥ずべきことではない。文学はそのひとつだ。社会と言うのはそういう側面がある。 母親と温泉旅行に行かないかと言ってきたが、迷った挙句断った。親孝行は義務だが、嫌なことは嫌だ。母親との関係はおかしいと思う。私がこんなおかしな人間になってしまったばっかりに母親もおかしくなってしまった。罪深いと思う。母親は私の奥さんになりたいのだ。正直本当に気持ち悪い。受け入れられることと受け入れられないことがある。世の中で一番罪深いことは父を殺し母と交わることだとギリシャ人は考えた。私はその大罪を二つとも犯してしまった。嫌なことは断ろう。これもアサーティブだ。なんでもけじめなくずるずる悪い道に入ってしまうことが良くある。やりたくもなんともないし、やってはいけないこともわかっているし、我慢もできるのにやってしまう。愚の骨頂だ。 体本位で行こう。小説はやりがいのある仕事だ。世界が手に入る。趣味のなかでも最高だ。 どうもやっぱり調子が悪い。怒りっぽいし、僻みっぽい。自分が馬鹿にされているような気がして仕方がない。気のせいだ。車椅子を押す女から改札をどけと言われて切れそうになった。頭おかしいんじゃないのかと思った。車椅子だから偉いのか。でも冷静に考えてみると後ろを通してくれと言いたかっただけかもしれない。頭に血が上っていたのでそうは受け取れなかった。電車が遅れた。いつまで経っても出発しないので頭に来て地下鉄に乗り換えた。そのときに起こったことだ。私も大人気なかったかもしれない。偉そうにいわれると腹が立つ。怒るというのは損をする。私が今こんなに苦労しているのもあそこで我慢できなかったからだ。頭に血が上っているときは我慢ということができない。でも冷静に考えればどっちが得かわかるのに。怒っているときの思考や行動は全く非合理だ。
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