希望の日記

2006年02月04日(土) 今日

 昨日の有頂天な私から少し不調になってきた。全ての人が私に奉仕したがっていると言う気持ちはどこかに消えた。またよみがえるだろう。調子が悪いのもひとつの現実だ。受け入れよう。体に委ねよう。体本位で行こう。髪の毛が抜けるほどのストレスを5年以上も受け続けてきたのだ。一人は白髪頭、一人は低脳レズオヤジ、一人はデブ不良、一人はキチガイナルオヤジ、一人はヤンキー、一人はやくざ。egで人格改造までやったがついに力尽きた。まともな奴は一人もいやしない。体に委ねてゆっくり休むことだ。b校に行ったことは間違いとまでは思えない。多くの生きる力と気付きを得た。生きがいを手に入れた。自己承認と。でもそれがエネルギーを消耗したかもしれない。迷ってじっとしていればいいものを、歩き回って体力消耗みたいな。あの職場でおかしくなった奴を何人も見た。ところでb校はアカの巣窟というのは本当だ。h君もえらいところに入ったと思ったろう。一斉にバッシングを受けていた。私はそれに加わらなかった。以前はっきり口にしてたしなめられたことがあったからだ。
 物事には両面がある。必ずいい面と悪い面があるといっても良いだろう。サドの本を読んで脳が暴走し始めたのは悪いが物事がはっきり見え始めたという良い面がある。いずれにしろ今は休むことだ。ゆっくり休むことで快方に向かうだろう。体に委ねてゆっくり休むことだ。z氏は今の私は相当悪く映るらしい。いつもと違って敵を見るような目をしていた。メールに返事もよこさない。今はやらなくていいことを極力やらないことだ。映画も良くないかもしれない。オリバーも有頂天も観ていてきつかった。あることをやって悪くなるということは別のことをやると良くなる可能性があるということか。でも今はどちらでもなく何もしないで休むことだ。脳を酷使から解放することだ。私は今ひどく疲れている。休むことだ。全ての人は私のために奉仕してくれる用意がある。争って私を癒し、私に尽くし、助け、救ってくれるだろう。本当に行くところまで行ってしまった。力尽きてばったり倒れるまで休めないのだ。あの時もそうだった。あれから良いことなどない。いや、止めよう。良いことはたくさんあった。全ての人が私に争って奉仕してくれたのに、私が心を閉ざしたのだ。それが一番いけない。
 体で考えている限りは大きな誤りは犯さない自信がある。変な本を読んでおかしくなっても一時的なものですぐホメオスタシスが働く。それが体の賢さだ。何が起きても大した問題ではない。少し注意深くなるだけだ。危険を察知しやすくなっただけだ。騙されにくくなっただけのことだ。体は全てを有益なものに変える。休むことだ、と言ってこんなことを書いているようじゃいけないが。脳化してはいけない。体にいつも委ねないといけない。サドは脳化して妄想の中に住処を求めた。文学はそういうものか。反自然な行為か。それでも体に依拠しないと生きることさえ難しい。ストレスの原因は結局それだったのではないか。私は大惨事を経験したわけではない。地震とか、火事とか。体に依拠すれば女とも男とも衝突することはないのだ。女に対して言い知れぬ、また原因のわからない嫌悪感、反感、憎しみを抱いている。近寄れば傷つけてしまう。危険な状態だ。h君もそんな感じだ。正気とは思われない。体に委ねればそういうことも見えてくる。養老さんは脳化したキチガイでありながら、体に依拠しているので良い文章が書ける。体に依拠すれば少しくらいのストレスでは動揺しない。今は難しいことは考えずに野心を抱かずに休むことだ。体に委ね、脳をひたすら休ませることだ。
 昔保たれていた治安が今はなくなりつつある。若者だけの空間にはいると恐い。違う倫理観を持っているから、安心できない。若者はもはや大人と倫理を共有していない。女は体に依拠しているのであんなに馬鹿なのにめったに間違うことはない。すごく単純なことしか言わないから間違えようがない。h君みたいに難しいことに簡単に騙されるのは例外なく男だ。体に依拠すればストレスも有益なものに変わる。すごく知的なことを言うようになった。ああ、知的でありたいと思うことが多かった。それが大変なストレスだと気付いたので最近は努めて考えないようにしている。読んでも考えてもわからないから。わからなくて正解だ。わかっちゃうから幸せとは限らない。知恵の悲しみだ。女と対立する必要があるだろうか。女は全力で私に奉仕したがっている。奉仕したいだけ奉仕させてあげたらいいんじゃないのか。否定文が多くなると脳化している証拠だ。気をつけよう。体に委ねよう。そうすれば脳が暴走しかけても簡単にセーブできる。疲れているのに勝手に脳が暴走し始める。体に委ねよう。もしそういう状態になりかけても体に戻ればいつでも正常化する。そしてそのストレス状態を有益なものに変えることができる。体は真に偉大だ。賢い。何でも知っている。体こそ万人に共通な言葉を知っている。体に依拠すれば知的であることを恐れる必要はない。一切恐れるものはなくなる。女も恐くなくなる。憎しみも消える。
 私はこだわりが強い。囚われと言っても良い。見聞きしたもの経験したことに取り込まれるか取り込んでしまう。自分がお留守になってしまう。暴走しクラッシュする。女とちょっとトラブルになったくらいでそのことにこだわり、憎しみや嫌悪感を増幅させる。男同士だって争うのにそれはこだわらないのか。なぜ女だけこだわるのか。そのほかにもありとあらゆることにこだわる。中学時代、高校時代のこと。生育歴。そんなものに大きな意味はないのにたまねぎの皮をむくようにこだわり振り返り、時間と労力を浪費する。しかし、体に委ねると決めた今はもう決してそんなことはしない。つまらないことにこだわらない。男だ女だ、肌の色がどうしたといわない。こだわりのない真に自由な精神は体に委ねることで得られる。体に委ねることで脳が休まり、ストレスを再生産しない。無意味なこと、有害なことをしなくなる。
 さっきと比べると格段に楽になってきた。気分が良くなってきた。苦しみや不安を生み出し、常に再生産しているのはこだわりやとらわれである。だからそれを思い切って捨ててしまえば今すぐ楽になれる。それも体が教えてくれた。もっと大きな決定的なトラウマを負ってしまった人はいくらでもいる。私はそんなものなどありもしないのに、勝手に妄想を作り上げてストレスを再生産している。こだわりを今すぐ捨てれば楽になる。簡単なことだ。体で考えればどうしたってそうなる。一切のとらわれ、こだわりを捨てても全く困らない。それどころか自由になり、楽になり、救われる。今私はそれを体験した。こだわりを離れることは自分が独りぼっちになり、頼るものがなくなってしまいそうで実は恐い。妄想がどこから生じるかというとこだわりからである。こだわりは弱さや不安から生じる。だから一人ぼっちじゃないという安心感、これが大事じゃないか。世界中の全ての人がもし私が困っていたら争って奉仕してくれるだろう。世界中の人は私が好きで私の世話がしたくてたまらないのだ。今本当にそう思える。世の中は明らかに万人にとってそうあるように導かれている。ありとあらゆる目に見えないものによって。それを信じよう。ただ信じよう。これは賭けと同じだ。利得の多い方に賭けるのが当たり前だ。人が悪意に満ちているという方に賭けても一文の得にもならないのに対して、人が善意と奉仕の心に満ちていると考えた方が一億倍も得じゃないか。今私が全く無力になったとしても生きていけるだろう。誰かが私をきっと生かそうと必死になってくれるだろう。それを素直に信じたらいいのだ。
 私はもともとこだわりのない性分だ。善悪の区別すら怪しいところがある。それが一度痛い目に遭うと逆に極端に臆病になって全てにこだわり始めた。性、権力、人が一定の距離を置きたがるものに依存しようとした。自尊心、自立心が肝要だ。依存する必要などない。過度のこだわりが妄想を生む。こだわりを捨てればいくらでも自由に生きられるし、もっと元気になるし、もっと実力を発揮できる。もし体を基本にするならば道徳を大事にしたくなるだろう。一切の道徳や人間性を否定するなどというサド的な妄想には行かないはずだ。簡単な話だ。サドに関する一冊の本からこれほど大きな気付きを得た。やはり体に委ねることは素晴らしい。
 おぞましい。うっかり近づかない方が良い。吐き気がしてくる。こだわりを捨てよう。仏教の教えと一致する。妄想の元はこれじゃないかと思う。小学校の頃のいじめっ子との付き合い。もっと以前の変な子との付き合い。でもこだわるべきじゃない。全くこだわるべきじゃない。とらわれるべきじゃない。今私は大いにとらわれていて、魔術的思考や妄想にとらわれている。これを一気に吹き飛ばすのが、体本位思考で、こだわり、とらわれとの決別だ。まだまだ時間はたっぷりある。ゆっくり休もう。疲れている。
 妄想。こだわり。とらわれ。依存するのはだめだ。依存がこだわりを生む。自分は一人じゃない。全ての人が争って私に奉仕してくれる。自分探しというたまねぎの皮むきはもう一切やめた。こだわりと妄想を捨てよう。妄想が体系化されて性格の一部になると困ったことになる。この際、サド的な妄想を一括して捨て去ろう。こだわりと妄想の体系。なぜそんなものにとらわれる必要がある。あらゆるこだわり、とらわれから自由であってよいのだ。
 体本位で全てのこだわりから自由になろう。神だったらどう行動するか考えて行動しよう。今日は疲れているからゆっくり過ごそう。こだわりが妄想を生む。ゆっくり休もう。
 体本位でやろう。少し横になっていた。寒気がした。吐き気もする。今は少し不安定だ。落ち着こう。体本位で行けばきっと落ち着く。でもはしゃぎすぎなところがあったから良かった。不安定になってもおかしくはない。サドはひどい。具合が悪くなった。あんなものは見てはいけない。何もしないのが仕事だ。誰でも仕事のないときはじっとしているか寛いでいる。私ももっと寛ごう。
 体本位でこだわりを捨てよう。こだわりを捨てると法律や常識や道徳に従って勤勉に働こうという気になる。思い切り、こだわりを捨てよう。この際だから。宗教でも道徳でも受け入れよう。体で生きていけば妄想の入る余地はない。
カフェコモンズに行って来た。半農半xというのが流行らしい。ちょっと興味がある。後半は鈴木樹里という面白い女の話だった。いじめ、不登校から自然食レストランという話が面白かった。小説のねたになる。少し落ち着いた。今日は異常な状態だった。鳥肌が立ってストレスが体に来た。体と脳のバランスが大事だ。


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