希望の日記

2006年03月12日(日) 今日は

 今日は少し早朝覚醒気味だった。疲れているのかな。大阪の集談会のことを思い出して腹が立ってきた。二人、会側の人間がいてずいぶん失礼なことを言われた。攻撃的というか、侮辱的というか。私は姉にも理由もなくよく攻撃された。あのキチガイババアにも同じことをされた。私は人が悪いことをしないと信じる傾向がある。でも悪いことをする。無防備な人間は攻撃するのが人情というものだ。あの境界例の姉もとにかく悪いことをするのが当然という態度だった。私は人間は悪いことをすべきでないと思っている。そのように信頼する。でも実際は攻撃される。私は人を信頼することが他人に脅威を与えるらしい。そして攻撃を誘発するらしい。最近疲れているせいか怒りっぽい。でも怒らないと決めたら怒らないで済む。怒りとはほとんど無意味なものだ。怒っても自分が損するだけだ。私は境界例で長くうつ状態にあったので自分を守れない状態にあった。でも今ははっきり変わった。だから能動的に身を守れるということに気付いた。能動的になると、自分を守れる。自分を衛生的な状態に保つことができるようになる。これが修身ということだ。修身ができれば周囲に働きかけて、自己をよりよい状態に導くことができる。あの職場にいる人は100%ボーダーだ。女は全てボーダーだ。おばはんになるとボーダーであることを隠さなくなる。もともと若い頃からボーダーなのだ。私は変わった。それが全てだ。それで十分だ。過去についてあれこれ言う必要はない。森田療法も人の現在の行動に着目して行動を変えようとする。それが唯一意味のあるアプローチだと思う。逆に行動が変われば必要にして十分なのだ。
 私が置かれている状況はかなり悲惨で笑い事ではない。それを更に侮辱されたり、笑いものにされたり、傷に塩を塗るようなことは止めてもらいたい。はっきり言いたい。私は十分傷ついている。保護と平安を求めているのに、その正反対のことをするのはやめてもらいたい。私は変わった。内面から変わった。だから行動も変えていくつもりだ。もっと衛生的な生き方をするつもりだ。被害妄想から脱したい。だから私を攻撃して被害妄想を誘発することは止めてもらいたい。攻撃や侮辱を感じたら直ちに逃げるか反撃する。私は電車で暴力を振るわれたことがある。私の何が暴力を誘発するのかがわからない。だから対処の仕様がない。でも多分私は私がルール違反をしていて、不道徳だということに気付いている。でも疲れているためにそれを直そうともしない。それが原因である。そういうことを止めて暴力を誘発しないようにするということが、修身ということだ。体というのは大事だ。そういう基本がわかってくる。私は内面が変わったので行動も変えていく。そうすると周囲が変わって来る。昨日ラーメン屋でそれを感じた。攻撃する奴より上に立てば決して攻撃されない。上に立つということは状況をコントロールできることだ。例えば私が休むことができたのは状況をコントロールできる第一歩だ。あのおばはんは条件反射のように私を見ると攻撃してくる。それを止めさせることはできない。犬にパンツはいて二本足で歩けといっているようなものだ。絶対に四足で歩くだろう。状況をコントロールすることはいくらでもできる。優位に立つとはそういうことだ。私は病院で状況をコントロールできなくなったので家に逃げ帰った。それはそれで勇気ある決断だったと思う。権力に服することはできなかったのだ。境界例だから仕方がない。それを押して就職したり、都会に出たりすることに無理があったのだ。ここまでになるのに33年掛かったということだ。中島先生などはいまだに戦っている。世間と言うより自分自身と。死の恐怖と。
 本当に疲れている。どうしてこんなになるまで頑張ったのか。疲れているとはなかなか気付いてもらえない。弱いんだとか怠けていると思われる。h君のことも道徳的にいくらでも批判できる。でも病気だと思えばどうしようもない。いくら頭が良くてもNGだ。
 しんどい。朝からずっと寝ている。悪いことをするのは止めよう。宗教的に生きよう。精神異常と犯罪とは親近性がある。自分を傷つけるのが精神障害で、人に向かうと犯罪になる。両方の奴も多い。宗教にすがることは悪いことではない。病気になったら医者に見てもらう。心の病になったらカウンセリングを受ける。当たり前のことだ。悪いことばかり考えるようになったらどうしたらいい。宗教にすがろうと思う。いつもいいことだけ考えようと思う。とにかく疲れている。ボーダーのようだ。十分休んでから対処法を考え実行しよう。
 疲れた。今日は本当に疲れた。でも最悪でもこの程度だからすぐ回復する。今日薬を飲んでぐっすり眠れば大丈夫だ。同窓会とNPOがえらいストレスになったのだ。本当に疲れた。明日は保健所で相談&三宮で診察。ちょっと癒されるかも。余り期待しない方がいいか。
 全く受身で自分を守ることはできない。他人に意味もなく攻撃されてそれをどう受け取れば自分を納得させることができるのか。そうじゃなくて未然にそういう事態を防ぐ危機管理が必要だ。ボーダーである私はこの会社に入ったとき、何の理由もなくいじめを受けた。女どもに。私は女が大嫌いだった。それもボーダーゆえだろう。今も問題は変わっていない。今その問題を放置して自然に解決するとは思えない。積極的に解決する緊急の必要がある。職場を転々としているのも、今回初めて会社を休職する羽目になったのもこの理由だ。放置するわけには行かない。受身とか我慢では解決しない。嫌がらせを止めろとかいっても止めない。そういう暴力に晒されるときに、遮断する、逃げるという選択肢以外に、戦うという選択肢があるだろう。当然のことだ。介入する。政治的行為。チンパンジーでもやっている。受身では合理化できない。危害を加えられたことをどうしても容認できない。当たり前だ。例えば掃除はサボると汚れてどうしようもなくなる。健康にも良くない。それを積極的にやれば病気の予防になる。受身と怠慢ではどうにもならない。私が陥っている悪循環はそういうことだ。どうしたらいいかというと当たり前のことをやれば言いだけだと思う。いつでもものをいう権利がある。いつでも立ち上がって権利主張する権利がある。いつでも戦う権利がある。状況をコントロールする権利はいつでもある。人をコントロールすることは必ずしも容易でも可能でもない。だが状況をコントロールすることはいつでも簡単にできる。逃げる、遮断する。牽制する。抗議する。アサーティブに言う。でも状況だけに反応するのは疲れているための病的反応の可能性が高い。
 疲れた。本当に疲れた。生きるってことは本当に大変だ。ボーダーにとっては特に。人を憎むのは悲しいことだ。いつからこうなったのか。悪いことをするなといっても無理だ。悪いことをせずに生きていくことはできない。何が悪いことかも判然としない。余り善悪が問題になるような場所には近寄らないことだ。ドストエフスキー的な世界。本当に疲れる。
 疲れた。悪いことばかり考えているから、人相が悪くなって悪いことばかり怒る。女が意地悪をしてくる。女に優しくしようとか言ってももう遅いが、弱者に優しくしようと言い換えれば理解できるのじゃないか。女子供というじゃないか。やっぱり弱者には他ならない。


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