昨日は金曜の集談会に行ってきた。何か若い根っこの会みたいで小説のねたになると思った。2,3変なやつがいた。最も私が一番変だが。特にちょび髭の完全な境界例のおっさんが明らかに私を敵視していた。何か部屋の隅で暴れ始めた。全く気にならない。私を恐がらせようとしているのだと感じた。気にしない。若くて可愛い子がいた。前に見かけた女の子が来ていた。追いかけてきたみたいに思われる。それでもいい。 昨日の朝日カルチャーの仏教講座は面白かった。親鸞、法然、先生がユニークで面白かった。声が良い。話がうまい。プロだ。ただ思想的にやや偏っている。よく朝日に採用されたものだ。懐が深いのか。 日本人は境界例だ。境界例が嫌でヤンキーになる奴もいるがそれはそれで境界例だ。一生懸命生きることにした。集中することにした。一度には無理だが、少しずつやっていこうと決めた。中学のときにうつの虫に取り付かれて以来だから、長くかかると思う。でも昨日の森田療法の本を読んでいると少し判る気がした。ずぼらと神経質について触れたところ。私は神経質だが、ずぼらでもある。ちょっと厄介だ。 意識がはっきりしない。そういうところが良くない。意識を集中することだ。注意集中ができるようにならないといけない。うつが慢性化してしまっている。一所懸命、目の前のことに集中する。無心で取り組む。これが大事だ。 クルーズの説明会に行ってきた。愛すべき人たちが多くてほっとした。だいぶ私も普通の人間に近づいている。もっと注意集中が苦もなくできるようになれば人に迷惑をかけることもなく、普通に働けるようになるだろう。 お遍路の講座に行ってきた。訳のわからない坊主のわけのわからない話を聞かされて、死にそうになった。それから家族ごっこの芝居を見た。面白かった。朝はクルーズの説明会に出た。事務所は恐ろしく狭いみすぼらしいもので大丈夫かなと思った。でもカジュアルな雰囲気はとてもよかった。ピースボートよりいいかもしれない。負担が少ない。今は自分への負担を減らすべきだ。明らかで最優先のことだ。 それから女とうまくやれなくても一向に構わない。嫌いなら嫌いでそういう対仕方はある。嫌いだったら女なんかと付き合う理由なんか全くない。事実ここ20年くらい女とは付き合っていない。問題はそれで不利益を受けるということは許せないということだ。女が嫌いでも一向に構わないし、好きになる理由なんか全くないし、自分が不利益を受けるなどという馬鹿な話は全くないということだ。自分で自分の身を守っていいということだ。 今ほっておいたら自然に女との関係は悪化する。どこに行っても女とは最初の一瞥で喧嘩しそうになる。本当に心から女が嫌いだ。建前とか道徳とか関係なく大嫌いでこれから身を守る権利がある。 女嫌いでも一向に構わない。それより、自分を自分で守ることの方が大事だ。何で嫌いな女と一緒にいないといけないのか。何でそんなリスクを負うのか。全くわからない。嫌いで何が悪い。嫌われるようなことをするから嫌いなのだ。何が悪い。
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