風邪がすっきりしない。何でこんなに時間がかかるのか。咳も出る。こじらせるとろくなことはない。風邪だと気分がすっきりしない。ゆっくり休んで好きなことをやろう。頑張らないといけないのだろうか。今は頑張れない。頑張れないとモラハラに遭う。これは間違いない。 受け入れないということが大事だ。卑屈にならない。嫌だけど我慢して受け入れるというのは止めよう。私はキリストじゃない。嫌なことは嫌だ。絶対に受け入れない。 最近はどうも疲れる。いらいらすることが多い。女を見るだけで腹が立つ。声を聞くだけでも腹が立つ。何もしていないのに攻撃してくる。許せない。 女って本当に腹が立つ。側に来られただけで恐い。腹が立つ。実際に全く意味もなく攻撃してくる。私が職場にいけなくなったのは、くそ女どもが全く意味もなく攻撃してくるからだ。女なんか地球上からいなくなれ。 kさんは攻撃的ではなくおとなしい。古本を読んで満足しているようなおとなしい人だ。そういう人に私はなりたい。 恐がる必要なんかないし、気に入られる必要や理解してもらう必要はないし、和解する必要などない。受け入れられる必要はないし、穏やかである必要などない。全く受け入れがたいことを強いられても困る。私は絶対に受け入れない。絶対に受け入れられないことはあの職場に戻ることだ。Hとかkのいるところに戻ることだ。受け入れがたい気持ちの悪いやつを受け入れることはできない。 三ヶ月休んで少しは回復したようだ。夜はよく眠れる。そして自分のことがよくわかる。女が全く恐くなくなった。恐怖によるマインドコントロールからも自由になった。私はkと同じくらいhが嫌いだ。我慢ならない。あいつと一緒にいる限りはモラハラ状況は改善されない。あいつこそがモラハラだ。あんなやつと一緒に仕事をするなんて自殺行為だ。 何でこんなに嫌いなのに仲良くしないといけないのか。それがモラハラだというんだ。嫌いなやつと仲良くしないといけないと思ってしまうことがマインドコントロールされているのだ。私は今や自由になった。ある日突然自由になった。時間が解決してくれたのだ。 女なんか100人に一人好きになればいいのだ。もちろんならなくても良い。そんなのは自由だ。男を一人も愛さなかった女だっている。一人しか愛さなかった女だっているだろう。全ての女に好かれようとすることがモラハラの初めだ。そんな必要はないし、そんなことは不可能だ。 私はモラハラ的なのかも知れない。あのキチガイは自分にされたことをその通り私にしているのだろう。それが余計に腹が立つ。儒教社会は基本的にモラハラ的だ。家父長的な社会は大なり小なり、モラハラ的だ。しかしババアには通用しない。ババアとコギャル。常識は通用しない。 私の家庭はモラハラ的だった。どこの家庭も大なり小なりモラハラ的だろう。今日のkさんとの会談は失敗だった。私は風邪が完治していないためにいらいらしていた。私は多くのことをしてもらっているのに感謝が足りない。そのことに気付いた。それと人を怒らせることをしているのに怒ると逆切れする。多分キチガイババアを怒らせることをしているのだ。ババアだから当然だと思うのだ。なぜならババアが嫌いだからだ。 結局あの職場も私は仕事をしないで何とか乗り切ろうとしている限りはだめだろう。 真剣に女が嫌いだ。自分の身を守りたい。女を好きになったことはない。恐いものは好きにはならない。自分に意地悪をしてくるものを好きになったりはしない。仲良くしようなんて思うからモラハラ的な状況になるんじゃないのか。どこに女と仲良くしなければいけない理由があるのか。全くわからない。
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