希望の日記

2006年06月16日(金) 粉河

昨日は粉河寺に行ってきた。寺は壮麗で古びていて良かった。しかしあの沿線、車内の雰囲気はいただけない。すさんだ感じがした。田舎なのに全然のどかじゃなく、暗く攻撃的で陰湿極まりない、世を恨むようなやさぐれ感。あれは一体なんだろう。人を素直に信じることが嫌になる。高校生は特にひどい。人間じゃない。側にいるだけで不安になった。日本人はこんなんじゃなかったはずだ。男はやくざ、女はあばずれ、何を考えているのか全くわからない。何かされそうで私は逃げ出した。人のいない反対側の線路に逃げ、避難した。そして一駅戻った後、降りてまた逆の線路に行き、戻ってきた。そうすると若い女の子たちが時間になると三々五々集まってきた。ごく普通の可愛い感じで不安ではなかった。やっぱりあの高校生たちはおかしい。私がおかしいのじゃない。人間の常識が通じない感じ。一般社会から隔離されると言うことがあんな異常な人間を作り出すのか。人ではない。人と人の間が境界がない。エイズのように進入して来る。心底不快なやつらだった。
私は自分で自分を守らなければいけない。姉はおかしい。犯罪者的なところがある。ねたみから私を何度も傷つけた。どうして仲良くするかではなく、どうやって身を守るかだ。フッキーみたいなやつが実際世の中にはいるのだ。常識も両親も通用しない本物の狂人だ。あの会に来ているやつは全員異常に攻撃的な狂人、変質者ばかりだった。自分で自分を守ると言うことは相手を信じることではない。何をするかわからないやつと警戒することだ。近づかないことだ。やられたらやり返すのだ。異常に攻撃性が高いくそババア、ドーパミンが異常に出まくった危険極まりない狂人たち。自分を守ろう。
正常化。これが目標だ。少し自分が見えてきた。今回の大不調は苦しかったけれども、多くのことを学んだ。アイムオーケーユアオーケー、U氏のコメント。自分で自分を守ること。他人の善意に自分の安全を委ねないこと。倫理的であること。ああいうババアから自分を守るということは攻撃力を高めることではない。けんかに強くなることではない。あんなやつらはキチガイなんだからいくらでも犯罪的なことをやって報復してくる。倫理力というか免疫力を高めるのだ。心の安全保障。私はあそこで自分が守りきれないと感じたので休むことにした。大正解だった。精神的レイプだ。洗脳といい、モラハラと言い。あの会社はおかしい。金融と違ってメーカーはまともと思ったのは楽観的過ぎる自己欺瞞であった。理系気印がうようよする危険極まりない空間だった。
自分を守るとは恐怖心を例えば森田的に克服して自分の倫理性を守るために働くことだ。能動性を取り戻すことだ。現実に復帰することだ。中学の頃から現実を見失うようになって来た。恐怖心からか、不適応からか。じゃあ不適応に理由はと考えるともうわからない。遺伝かと言う話になる。遺伝なら私にはどうしようもない。ただできることは自分を守るために勇気を振り絞って働くことだ。恐怖にとらわれ何もできなくなってしまった自分を変えるのは今だ。U氏の言うことは結局敗北の原因をよく見据えて正しく対処しなさいと言う極めて真っ当な助言であった。信じること。アイムオーケーユアオーケーであること。倫理的であること。あの気印から身を守ることは暴力でも喧嘩でもない。倫理的であることだ。私は勇気を奮ってメールを書いた。ちゃんと満足のいく返事が得られた。倫理的であれば大企業でも国家権力でも恐れることはない。倫理的でなければ。葉ずれの音にさえ怯えねばならないだろう。文学作品でも価値の高いもの、切実なものを選んで読もう。読むことは最も手っ取り早い修練である。
自分が倫理的でなくなっていることを自分でどうにもできないなら人から攻撃されてもどうしようもない。敵は女でも世間でもなく自分自身だ。セルフコントロールができて倫理的であること。そのために適切に働けること。それが私の中間目標だ。
やっぱり適当でいいとかじゃなくてやるからには最高を目指す。そのほうが伸びるだろう。気持ちがいいだろう。女なんかに馬鹿にされなくていいだろう。女と同じでいいのか。いいわけない。そう思うことが倫理的なのだ。アイムオーケーユアオーケーだ。
さっき自分の脳がコントロールできそうな気がした。夢うつつの中で。体を通じて自分をコントロールするのだ。
自分を組み替えること。良いもの価値の高いものを呼び入れること。成功した人の話を聞くこと。
さっきどういう感じでコントロールできそうだったかと言うと脳の興奮が冷めて、沈静したような気分だったときだ。呼吸法で練習したときの状態とよく似ている。酒を飲むのは余りよくないが、こういう効果もあるのだ。自分で脳の興奮を収められないとき、酒の力を借りるのも一つの方法だ。
朝日カルチャーの水上バスのコースに参加した。楽しかった。良い時間の過ごし方だった。おばさんも注意していれば何も不愉快なことは起こらない。でも対人的に不快な状態は続いている。フッキー症候群。日々の暮らしが修行の場だ。私は悪い人間などではなかった。アイムオーケーユアオーケー、アイムオーケーユアオーケーだ。自分の身は自分で守るのだ。
楽しかった。自分で自分を守ることができれば全て解決だ。女なんか氏ね。


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