希望の日記

2006年07月03日(月) 歌舞伎

今日は歌舞伎の日だ。今日じゃなければ良かった。しんどい。テレビ早く買ったほうがいいんじゃないのか。疲れる。いっそう孤独な気がする。生きるのはしんどい。脳内のドーパミンが暴走し始めた。でもこれは勤勉や生きろというサインだ。有効利用すれば困ったことではないんじゃないか。世の中にはそういう変な奴がいる。目が赤く血走っている奴。残忍な奴が多い。ドーパミンが出まくっている奴。暴力を振るう奴。暴言を吐く奴。馬鹿の機嫌を取る必要はない。自分の機嫌を取るのだ。馬鹿や悪の機嫌を取らないということは一歩進むと馬鹿や悪を許さないということになる。つい馬鹿や悪の機嫌を取ってしまうものだ。それで悪や馬鹿の増長を許してしまう。でも断固とした態度を取る。悪や馬鹿を恐れない態度が必要だ。自分の機嫌を取ろう。
歌舞伎を見に行った。面白かったが、面白くてたまらんというものでもない。三階席だったし。悪や馬鹿の機嫌を取るのは止めよう。自分の機嫌を取ろう。困ったことは起こらないというのは自信のある言葉だ。どんなことが起きても困ったと思わないということだ。どんなことが起きてもこれは神様が学びのために問題を与えてくれているのだ。問題が解ければステージが一段上がるんだ。その一つの方法が悪や馬鹿の機嫌を取らないということだ。ゼロトラレンスだ。絶対排除だ。馬鹿と悪の絶対排除。女は社会から絶対排除されていたのだ。それが仕方なく女を受け入れ始めたので色々問題が起きるのだ。でも問題と思ってはいけない。困ったと思ってはいけない。学びのために神様が与えてくれた問題と思わないといけない。
何で仕事がしたくなくなるかわかった。悪や馬鹿の機嫌を取るからだ。それをやめれば、自分の機嫌がよくなって、仕事もしたくなる。悪や馬鹿に対して許容的な態度を取るからだめなのだ。
何が起こっても困った困ったというなということだろう。何も困ってなんかいないのだ。実際今は幸せで仕方がないし、人がかわいそうだとか気の毒だという境遇で、幸せだというのだから私は相当タフだ。前向きだ。強い。馬鹿や悪の機嫌を取らなくなるとすごく楽になって機嫌よくなって働きたくなる。
悪や馬鹿の機嫌は取らない。このことさえはっきりしておけば全てうまく行く。自分の機嫌もよくなる。元々機嫌の良い人間なんだ。人の機嫌は取らない。絶対に。
悪や馬鹿の機嫌は取らない。それだけで機嫌がよくなる。困ったことは起こらない。何が起きても困ったと思ってはいけない。学びのチャンスだ。
私は自分に危害を加える人間の機嫌を取ろうとしていた。そいつはかわいそうなやつだという気がしたからだ。それがそいつは恩義に感じるどころか更に悪いことをしてくる。私の評判も悪くなる。だから私はそんなことはやめることにした。自分に危害を加える奴のことを機嫌取ったり、仲良くしてやったり、大目に見てやったり、自己犠牲になってやったり、それでうつになったら溜まらん。これからは危害を加える奴は機嫌を取らない。排除する。反撃する。何で危害を加える奴と仲良くしなくちゃいけないんだ。機嫌を取らないといけないんだ。いい加減にしろ。私は私の人生を始めよう。
こんな会社はいったときからおかしかった。あのキチガイ自体がおかしい。配属されたところの奴らがおかしい。周りの部署の奴らは私を敵対視する。コネで入ったからそうなる。私も自信がないから弱気になる。今の会社も完全におかしい。今の職場も完全におかしい。面接のとき私を侮辱するようなことを言ってきた。それでこっちから断ってやった。でも味方がいないのか向こうから誘ってきた。それでついつい乗ってしまった。それが運のつきだ。自分に危害を加える奴の機嫌を取ってはいけない。当たり前のことだ。
間違ったことを繰り返していると神様はそれは間違っていると教えてくれるんだ。いじめているんじゃないんだ、と一人さんは言う。その間違ったことというのは自分に危害を加える人間に優しくしたり、機嫌を取ったり、追従したりすることだろう。それをやめればずいぶん楽になるんじゃないか。そういうやつは誰にでも危害を加えるし、誰からも嫌われている。そんな奴の機嫌を取っちゃいけないんだ。そういうやつは誰も相手にしないから私に食いついてきて相手にしてくれないと危害を加えたりする。そういうやつにとって人間関係は危害を加えることしかないんだ。誰かがそうやってえさを与えたから勘違いしてあんなふうになってしまったんだ。私は間違ったことを中学以来一貫してやってきたんだ。悪の仲間になってしまったんだ。社会に危害を加える奴が排除されるのは当然のことなんだ。悪の機嫌を取らないで自分の機嫌を取るということがこんなに大きな気付きになった。フッキー加藤症候群は大きなものを私に与えた。
自分に危害を加える奴を排除するというのは極めてノーマルな考えだ。これだけで全てがうまく行くだろう。極めて単純なルールだ。悪に寛容でない、ゼロトラレンス的な考えを取ろう。その第一歩が悪や馬鹿の機嫌を取らない。自分の機嫌を取るということだ。でも悪の機嫌を取らないというだけで私は機嫌よくなる。元々機嫌の良い人間だからだ。人間は誰の機嫌も取らなくていいのだ。
そうすると自分の中の悪にも機嫌を取らない。不寛容であるという態度が当然出てくる。これが働きたいという気持ちだと思う。これが原田式メソッドだ。女なんか全員悪なんだから機嫌なんか取らなくていい。取らなくていいのに取るということは下心があるということだ。女は必ず私に危害を加えてくる。だったら絶対に機嫌を取るな。常に排除しろ。
斉藤さんの言葉はいつも過激で厳しい。私のような人間が一番嫌いなようだ。その一番の理由は私が悪に寛容だからだろう。私が優しいということ純真であること清らかであることと、悪に寛容であることは矛盾しない。優しいからこそそういう気持ちになる。でもそれはうまく行かない。自分の中の悪に寛容であればすぐ病気になる。正しい考え方をし、悪を常に排除しないと病気になる。私が病気になった理由は悪に寛容だったからだ。自分の内外の。だったら病気から治る方法もはっきりしている。自他の悪に不寛容であることだ。原田式メソッドが生きてくる。靴をそろえるとか、皿を洗うという行為が悪を排除するということとつながる。
悪に寛容であるとは単なる癖の問題であって、信念があるわけではない。だから簡単に諦めることができる。自他の悪に不寛容にすると決めたらすむ話で恥ずかしくもなんともないし、何の苦労もいらない。私は元々悪に不寛容な人間だからだ。それが悪に寛容だったために権力ににらまれて攻撃されたために習慣として悪に肩入れするようになっただけの話だ。それだったら悪にしがみついて不利益を受ける理由などあるだろうか。一人さんの言う神様が間違っていると教えてくれているうちに改めた方がいいんじゃないか。z氏も悪に寛容な方だ。私を見て共鳴するものがあったのだ。でも最近は人事の方針でカウンセリングの仕事をやらなくなって悪に寛容でなくなった。悪に寛容かどうかは自由に決められる。人間は本来悪でも善でもない。両方持っている。どちらにでもなれる。一所懸命働いている奴が善人で正直者かというと全然そうではない。自分の利益に忠実なだけだ。善悪など考えているはずがない。だからといって悪人だとか次元が低いというわけでもない。善悪とは関係ないことなのだ。私の善悪二元論が馬鹿馬鹿しくて仕方がないだろう。彼らはそれを超越している。善だの悪だのというレベルと違うところで生きている。損得で生きている。だから私が善悪などという話を持ち出すのは笑止だろう。あのキチガイがこんなことをしたあんなことをしたといっても全く理解も興味も示さないだろう。それは彼らが頭がおかしいからだろうか。辺見氏の説も私と似たところがある。悪に対して寛容かどうか。善悪で人は考えていなし、行動していない。辺見氏はそれにショックを受ける。しかしやはり人間は善悪を考えて行動しているのではないのだ。悪と私が言っているものを自分に損害を与えるもの、不利益を与えるもの、不快感を与えるものといったらどうだろう。私もそれに当てはまる。でもそれは生きている以上仕方がないだろう。自分に危害を加えるもの損害を与えるもの、不快感を与えるものに対して不寛容になろう。当たり前のことだ。当然自分に危害を加えるものは道徳的に悪いだろう。それがモラルハラスメントというものだ。危害を加えるものに意外に寛容だと見抜くと増長する。それが自己愛性人格障害だ。私はこの問題におおよそめどをつけた。長い道のりだった。再発を防ぐ方法もほぼわかった。自他の危害を加えるもの迷惑をかけるもの、損害を与えるものに不寛容であることだ。道徳とか倫理とか宗教とか行っているとどこかの坊主やキチガイにめちゃくちゃにされるということだ。女にまで馬鹿にされるということだ。女は私に危害を加えるので絶対に機嫌を取らない。
世の中には悪に寛容な人間はたくさんいて教祖さまのようになってしまう。人格障害の皆さんは世間に相手にされないからそういう人のところに集まる。植島氏はストーカーに付きまとわれるといっていたがそうかもしれない。悪に寛容だからだ。m山氏も害があるとわかっているegをしつこく続ける。病人を量産し続けている。一体誰の救いになっているというのだ。カウンセラー養成のためのモルモットじゃないか。反社会的行為だと言っても良い。z氏もそんなものを勧めた理由で責任がある。ただそのお蔭で私は自分の問題に気付いた。病人もカウンセラーと称する人間も同類だ。同じ穴の狢だ。どんな解決法も示せない。悪に寛容な人間から一時的にせよ受け入れてもらうと居場所を見つけた気になって癒されることがある。そういうものだ。
自分に危害を加えるもの、損害を与えるもの、その可能性があるものは一切遠ざける。排除する。反撃する。自衛する。カウンセラーも害になるかもしれない。いんちき療法をすすめられて薬を手放せなくなる。休職を余儀なくされる。
一人さんや仕事術の本を読んでいてしんどいのは悪に寛容でないからだ。森田療法がしんどいのは全然優しくないからだ。でも優しいと思っていたz氏が毒を持ったりするからわからない。悪に寛容でないということは自分が追い詰められるので苦しい。悪を認めてくれるのは芸術の世界くらいだ。だが芸術の世界の住人は常識がなく平気で人を傷つけるから付き合わないほうが良い。というか不可能だ。悪を認めてくれる芸術の世界ではひどい目に遭い、悪を認めない実業の世界では悪に寛容だと追い詰められる。どうしたらいいのだろう。でも悪に不寛容と決めたら簡単に実行できるのじゃないか。自分の中に敵がいるのだ。昔は禁欲的だった。でもあるときからだめになった。目標を見失ってからだ。自分の中の悪に不寛容になろう。自分の外も同様だ。
自他の悪に不寛容になる。これで全てうまく行く。簡単にできることだ。悪や馬鹿の機嫌を取らない。自分の機嫌を取る。もう一歩進んで自他の悪に不寛容になる。自分の悪に不寛容になる。これが大事だ。そうすると生活習慣も改善される。不寛容。これが大事だ。ゼロトラレンス。要は馬鹿や悪の機嫌を取らないことだ。そうならなくていいように自分も悪いことをしないということだ。
自他の悪に不寛容になる。自分でも他者でもどちらが主体でも客体でも悪は許されないということだ。悪自体が許されない。当然死刑は許されない。女は正不正で物事を判断しない。グレーゾーンが多いといった。辺見庸の話を思い出した。女はいっぱい悪いことをする。それにつられて男も悪いことをする。だから私も悪いことをしよう。悪の機嫌を取らない。悪を排除する。悪の機嫌を取らないというだけで大きい。正義とか持ち出してもそんなことを考えたこともないんだから無駄である。徹底して機嫌を取らない。これだけで十分である。自分の機嫌を取る。女は100%悪である。そんなものの機嫌を取る必要はない。自分の機嫌を取ればいいのだ。


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