希望の日記

2006年07月20日(木) 大画面tv

昨日店員に邪慳にされたのにはへこんだ。30万以上の買い物をして何でその態度。笑顔一つなく、馬鹿にしきった表情。そしてなぜかきれている。さっぱりわからない。
最近アル中気味かな。昨日はのみたくないのに辛いから飲んでしまった。初めてのことだ。一人で酒を飲むのは本当は良くない。
宗教はいいな。心の悩みが一気に社会に向かって開かれる感じがする。解決するかどうかは別だ。むしろ解決しないだろう。
死の恐怖。これが大きい。なぜ私は悩み始めたか。これが大きいのではないかと思う。これは解決することは不可能だ。でもコントロールすることは可能だ。宗教はそのためにある。親鸞の言葉を信じよう。
フッキー症候群は治らない。梅雨の終わりとともに吹き飛ばしてしまえ。私が人と付き合いたくない理由はこれだ。悪い奴と付き合って苦しむ。もう人と付き合うのが嫌になった。それも中学頃の話だ。全ては中学に始まる。
自分がコントロールできなくなっている。eg以来。大目標はセルフコントロールできるようになることだ。それとセルフケアーができること。自分をネグレクトしてはいけない。宗教は死の恐怖に答を提示してくれる。それをネグレクトする社会はおかしい。世の中が乱れるのは宗教が機能しなくなっているからだ。日本人は無宗教ではなかったのに今本当に無宗教になりつつあるのではないか。
自分が調子が悪いならそれだけケアーのし甲斐があると言うものだ。誰かにケアーを求めるのもいいが自分でできることはいくらでもある。私は自分が苦しいから人を攻撃してしまう。これもウジムシと付き合った結果、悪影響を受けた。何で付き合う相手を選ばない。誰とでも付き合ってはいけない。そうすると付き合うのが恐くなって孤立を選ぶ。極端なのだ。良い相手とならば付き合ってもいいのだ。
b校で最初のときいじめみたいなのに遭った。講師もそれに加担していた。全然わからない。何で無防備にあんなところに行ってしまったのかわからない。何であいつらはあんなに攻撃的なのかわからない。人格障害の巣だ。行くべきじゃなかった。nとかeとかoとかwとか全員嫌だった。女が本当に嫌だ。昨日のクリーニングのくそヤンキーは一体なんだ。堺はdqnの巣だ。死ね。自分を守ろう。もっと怒った方がいいんじゃないのか。怒れば自分を守れるのに怒らないから調子に乗るんだ。昨日だって恐がってばかりいて無視するからいじめられるんだ。
呼吸法は本当によい。生き返った気がする。毎日必ずやろう。酒の飲みすぎで弊害が出ている。腹の周りがだぶついている。これじゃアル中の失業者だ。自制心をもとう。一人さんの言うのは機嫌よくしないといけない。私は機嫌が悪くなっている。呼吸法をやるとてきめんに機嫌が良くなる。交感神経の興奮が抑えられて落ち着く。変な理論とか何とか療法よりいい。あのegのときの攻撃的な興奮状態は交感神経が過度に興奮した状態だった。それを下界に持ち込んだらおかしなことになる。斉藤さんはその辺のバランスが絶妙だ。非常に意欲的で負けず嫌いで強気な面と非常に優しい、慈悲深い面とがよくバランスしている。どちらかに偏ってはいけない。私は長くうつ状態優位、弱気一辺倒だったのでeg以来今度は針が逆向きに触れて強き一辺倒になり、周囲を軋轢が生じているし、自分でも自分がコントロールできなくなっている。機嫌が良くないのに機嫌がいいことが前提になっている場所にいくと非常にまずい。しんどいだけでなく攻撃される。一人さんの言うブスっとしてるだけで罪なんだという奴だ。非常に攻撃的に映るのだ。b校然り、温泉旅行然り、m氏のサークル然りだ。職場もそうだ。およそ人と接触する可能性のある場所ではニコニコ機嫌よくしているのが良い。私はもともと機嫌が良かったのに、hとかkとか機嫌の悪い奴が側にいるためにうつ状態になって行ったのだ。
怒りや恨みの気持ちをもってあの職場に戻ることはできない。怒りや恨みが消えるまで休む。機嫌よくないととても働けるものではない。機嫌よくする。一人さんの言うとおりだ。感謝の気持ちが多い人は成功する。怒りや恨みが果たして正当なものかどうか疑わしく感じる。母親に対する怒りが激しかったがそれは支配欲、権力欲のなせる業で人間が憎いわけではない。
私は難儀な性格なことは確かだ。人が恐い。恐いからブスっとしてしまう。そうすると攻撃的に映る。無視しているとか。訳のわからないことを言うな。うつ状態でも困ったことになるし、そう状態でも困ったことには変わりない。私の父が酒を飲まなくても飲んでいても嫌だったのと同じだ。過剰適応か適応障害のいずれかで適切ということがない。
困ったことは起こらないと一人さんも言っている。困ったということは自分を責め、追い詰めることになる。困ってるんじゃない。学んでいるんだ。学ばせてもらっているんだ。困ってから学んでも間に合うんだ。人間関係がわからない。だから今学んでるんだ。学ぶことは何も困ったことなんかじゃない。喜ばしいことだ。私は困っていないからカウンセラーなんかに相談しちゃいけないんだ。病気でもないから医者なんか行っちゃいけないんだ。宗教と自己啓発本で十分だ。
egに行ってから性格が崩壊した。本当に困る。自分の機嫌が取れなくなった。昔はもう少しセルフコントロールできたのが今は初対面の店員やそこらじゅうの人間とトラブルを起こす。職場の人間はもちろんだ。困ったことは起こらないという説によればこれから学ぶんだということになる。
私は何でも仕事はできる。人間関係もできる。何も心配は要らない。学べばいいのだ。皆そうやって学んでいったのだ。
憐れみや慈悲の感情が弱いのではないか。残酷な感情になることを抑制する感情が。悪いことをしてしまうのはそのせいだ。親鸞によると宿縁によるらしいが、意思でコントロールできる部分はしていいのだ。今思ったことは悪いことは悪いとわかっている以上はしないということだ。昨日のキチガイ女みたいなことはしないし、させないということだ。悪いとわかっていてやるのは病気だ。反社会的性格だ。姉は悪いとわかっているはずなのに私を傷つけた。何でそれが悪いことがわからないのか不思議で仕方がなかった。宗教的な気持ちがどうしても必要になってくる。善悪の区別が必要になってくる。強気なのはいいが悪いことをしていいわけじゃない。悪いとわかっていることはしないことだ。
優しい気持ち、人間らしい気持ちが衰弱している気がする。どうしてそうなったかは宿縁というしかない。もう一度原点に戻って優しさを取り戻そう。
まず自分に優しくしないといけない。この期に及んで自分いじめをやっている。あるいはこれくらいいいだろう的な行為が目立つ。細心の注意を払わないといけない。腫れ物に触るように優しくしないといけない。無理をしてしまう。我慢を重ねる。これが悪い点だ。中学時代の教師による虐待は耐えられるレベルを超えていた。それでも我慢強い私は我慢を重ねた。そうするとまだ懲りないかと更に虐待はエスカレートして言った。我慢と無理は止めよう。普通に判断すればいいのだ。難しいことなんか何もない。
機嫌良くしていればうまく行く。もちろんできる範囲で構わないが。自分がしんどいからとぶすっとしていると人に攻撃の口実を与える。優しさと明るさを自分から取り戻せばそういう悪循環は断たれる。
甘えすぎな面と甘えられない面が両極端に同居しているのかな。甘えられるとなったらとことん甘える。というより悪事を働く。それは甘えとは言わない。いじめとか犯罪である。それか一切心を開かない。中庸がいいのだ。人をいじめたり、甘えすぎたり、貪ったり、してはならない。当たり前のことができていないんじゃないのか。だから女や若者にまで馬鹿にされる。
カウンセリングに行ってきた。女だった。女が嫌いといったらやっぱり強く反応した。どんなに遠まわしに言ってもあんな他が嫌いといっているようにしか聞こえない。これはある種のハラスメントだ。私の中にそういうものがあるのだ。女は馬鹿にしていいと。あのキチガイババアは何でもまねをする。人格障害の一種だが、私のそういうところをまねしたのだ。
苦しい場合は何かやり方が間違っているんじゃないかと思う。一人さんが言っていた。egのときも面と向かっておばさんが嫌いといったらある種の嫌がらせと受け取られた。権力闘争とみなされる。中学のとき母親が嫌いになったのはあるウジムシの一言がきっかけだが、それが権力闘争とみなされた。実際そうだったかもしれない。でも帰りがけに女が少し平気になっていた。少し続けてみようかと思う。おかしいだろうか。女が嫌いとはっきり行った以上、向こうは嫌だろう。人の嫌がることはできないだろう。少し感受性が鈍い。人の痛みがわからない。そういうところは女は敏感だ。
やり方が間違っていることは確かだ。一人さんの言うとおりだ。早く気付け。ただ自分ではどこがどう間違っているのかわからない。多分、人としておかしい。思いやり、人の痛みがわかる。悪いとわかっていることはやらない。人を傷つけない。前のパワハラ野郎が全くそんなことを介しない奴だったので、わからなくなっている。しかし間違ったことをいくらやっても正しくはならない。早く改めることだ。
カウンセリングを受けるだけの資格もないのか。仲良くできない。女を認めることができない。母親との関係がおかしかったのか。真相はわからない。薬を飲んでおとなしくしていよう。テレビが明日来る。どれだけ待ったか。相当ストレスになっていた。酒飲むと酒量が増える。テレビ依存症なのだ。ましてこんな状況だ。自分にストレスを与えてはならない。自分を尊重し、細心の注意を払うこと。鈍感であってはならない。苦痛に鋭敏であれ、セルフケアーせよ。
追い詰められているからといって機嫌悪くしてはならない。死活問題だ。商人が不機嫌だったら客が来ない。人の道を守ろう。ツイテルって言っていよう。
世の中少々辛いことはある。それすら忘れている。そういうことが人を腹立たせるのだ。もちろん今はそれすらわからないひどい状態という前提でケアーしないといけない。いたずらにがんばれということは今は無理だ。
我慢はしちゃいけない。少しくらいならと我慢しているとおかしくなってくる。ゆで蛙みたいになってくる。無理もだめだ。すぐ無理をする。戦うのが嫌なら逃げることだ。逃げるという戦略もある。草原の草食動物はほとんどそうだ。逃げ足の速さだ。今はカウンセリングすらしんどいということか。男のカウンセラーに慣れたら、女性に変えてみるというのもいいかもしれない。
穏やかで人道的な気持ち。これが理想だ。人の痛みがわかること。人の嫌がることはしない。女が嫌いなのに女のカウンセリングを受けるのも無神経な話かもしれない。実際一度断られている。年齢とか容色とか関係なく全ての女がだめになっている。しかし帰りがけに女が少し平気になっていた。これは続ける価値があるかもしれないと思っていた。相手さえよければということだが、わからない。
今ストレスに非常に弱い。ほんの少しのストレスを辛く感じる。もう少し元気になったら、森田式を少し取り入れてみよう。でも無理と我慢は禁物だ。
しんどくなってくると感謝と忍耐、寛容の気持ちが失われ、些細なことで怒る。私も今そんな状態だ。フッキーの挑発的な態度に晒された結果精神的に崩壊した。完全におかしい。あいつは精神犯罪者だ。地球から抹殺した方が良い。私はあんなキチガイとは違う。良心と人道主義と優しさのかたまりだ。でもしんどいから今は頑張らない。頑張れるようになってから頑張る。
感謝の気持ちが大事だ。これを失ったら畜生道に落ちる。あの大谷大学のおかしな坊主は畜生がどうとかおかしな話をしていたのは私に対するあてつけか。訳がわからん。人の親切をなぜ当然と考えて感謝しないのか。甘えがあるのだ。わがまま。自分を主とし相手を奴隷とする誤った考え。未熟といっても良い。中学の頃既に形成されていた。間違った考えをいくら推し進めても正しくはならない。その背後には自分を卑しいとする卑屈な考えもある。どちらも間違いだ。どうして極端な思考になるのか。うつになりやすい。穏当で中庸な考えが良い。優しさを取り戻そう。正気に戻ろう。感謝の気持ちを取り戻そう。人の心を取り戻そう。嫌いな女のカウンセラーに我慢しながら付き合うのは相手に失礼だと思わないのか。少なくとも人の心を推し量ることができない。といわざるを得ない。


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