希望の日記

2006年07月29日(土) フェアー

本当に弱っている。酒はやめたほうが良い。我慢と無理は禁物だ。フェアーという考えは気に入っている。私の置かれた立場はフェアーではない。フェアーという考えは怒りを生じ、原動力にはなる。不正を正し、権利主張する。正義が実現すれば怒りは収まる。日本人が外国人に思えてくる。外国語は頭の中が外国語になる。帰国子女と同じで適応が難しくなる。雅子もそういう弱さをもっているのかもしれない。美智子はいじめに耐えて生まれ変わった。雅子はひ弱なのだ。あの笑顔は日本的でアルカイックで不自然だ。微笑まなければならないと思って努力している。私もひ弱だ。ババアのいじめに耐えられない。でも耐える必要はない。フェアーな態度を取らなければどこまでもつけこんでくる。徹底してフェアーな態度を取ろうと思った。あんな職場には絶対戻らない。hやkは人格障害でフェアーではない。z氏も完全に人格障害だ。共依存的関係になっている。共依存とは人間関係のアディクションだ。フェアーな関係ではない。知らぬ間に支配されている。私は人格障害の傾向がある。ヤンキーが勘違いして近寄ってくることがある。でも私はヤンキーではない。ヤンキーが大嫌いだ。気持ち悪い。あの職場には戻らない。文学の世界に進めばよかったのだ。三島由紀夫だって、役所を辞めている。フェアーな態度が何かを徹底すれば答は自ずから見つかるだろう。母親は過干渉だった。私の自立心を奪った。共依存でもあった。父親に託せぬ思いを息子に託すというよくあるパターンだ。でもそんな人生でも私は嘆いたりしないし、失敗だったなどとも思わない。最後までわからないし、諦めない。幸せとは物質ではない。収容所にいた人が言うのだから間違いない。フランクルは収容所にはいる前から人生の意味に疑問を感じていたらしい。だからあの経験は人生を広げるチャンスでもあった。何が幸いかわからない。人は宗教的な考えを抜きには生きられない。私は親鸞との出会いが大きかった。宗教なんて大したもんじゃない。深刻ぶって修行したりするもんじゃない。フェアーであるならばそんなことを要求されたりはしない。仏陀というのはおかしな人だった。宗教なんて気楽なもんだ。重い人生を気楽にしてくれるのが宗教だろう。余計重くしてどうする。親鸞は苦しみ惑う人にとを救った。真の宗教者だ。比叡山の仏教は誰も救いはしない。
フェアーであれば生きていける。そう確信した。あの職場には戻るべきではない。フェアーではありえない。自分が守られていると考えるのはどんな場合でも間違いだ。自分の安全は自分で確保しないといけない。それがフェアーな考えだ。自分が何もせずに安全だと思っているのはきっと誰かに依存してフェアーでない関係になっている。絶えずチェックして自分の安全を確保しないといけない。精神的に弱くても強くても同じでフェアーという考えは実行できる。
人間は罪を犯しやすい。だからフェアーという考えが必要と考えたのだ。特に両親にフェアーでなかった。学校でもどこでもフェアーではなかった。b校というのは嫌なところだった。何であんなところに一年も通ったのかわからない。人格障害の巣。とにかくあの職場には戻らない。フェアーな考え方をするならばそうなるだろう。誰にでも自分も含めてフェアーに接するということは決して難しいことではない。人間はフェアーでないことが多い。そうなりやすい。ほっておくとそうなる。hはとにかく嫌だ。困る。あの類の連中は全て困る。人格崩壊の危機に瀕した。それも生きていく上でやむをえない。でもフェアーではなかった。よく内容を知らされないで参加したことはデメリットが大きかった。カルトと同じだ。洗脳だ。やってはいけないことだ。
生まれてすぐは母親に全面的に依存する。それは仕方のないことだ。しかし徐々に自立していく。しかし人は愛情に依存して生きていくことには変わりない。一切依存しない存在はありえない。家族を作り、子供に依存される。愛情に裏打ちされているからそれは嗜癖にはならない。でもときどき虐待というアディクションが生じることがある。私は女が嫌いだ。三島由紀夫と同じ理由だ。だから愛情ある関係にはならず、嗜癖的な関係になる。疲れた。フェアーであれば怖いことはない。自分がフェアーな考え方ができていないから恐い。つけこまれて自分を守れない。フェアーであれば女であっても恐くない。誰であっても自分を守ることができる。
人にあまり興味がなくなった。人に興味をもたれるのも重荷に感じる。フェアーであれば嘘をすぐに見抜ける。人と出会ってどうとかegみたいな幻想をまだ捨てていない。そういううそ臭さをもう信じられなくなった。信じてもいない嘘を信じている振りをするのは苦痛だ。
満身創痍だ。人に興味がなくなったというのはいい兆しではないか。人に興味を持ち、依存する気持ちが脳の暴走につながっている。フェアーであれば、誰にも依存しない自律的な気持ちになり、脳は沈静化する。人と仲良くしたいという気持ちが一切なくなった。すごくいいことだ。結局人は一人で生まれ、一人で死んでいく。人に依存しているから、人の態度に敏感になる。気分とか感情に依存すると平安は得られない。
人に興味がなくなった。すると観光とか旅とか温泉にも興味がなくなった。秘湯とかは人間に興味がなかったらできない。自分を守りたい。当然のことだ。フェアーであれば全ての問題をクリアーできる。感情とか気分に依存したり、基盤を置いたりすると病気になる。そんな不安定なもの誰にもコントロールできない。だから芸能人は大変だ。皇族なんかはもっと大変か。雅子はかわいそうだ。若い連中は携帯とかで人とつながっていないと不安らしい。依存症だ。愚にもつかない用件を伝えるために莫大な金額が投資されている。馬鹿だ。やっぱり私は下品な奴らとは付き合えない。フェアーであれば余計なことは気にならない。
人格が完全に崩壊した。自分がコントロールできない。人と仲良くする必要はない。フェアーでありたい。両親や周りの人間にフェアーでなかった。フェアーであればうまく行く。
人間に興味がなくなった。周囲に関心がなくなった。そうすると悩みがなくなった。人に危害を加えられるんじゃないかとか思わなくなった。くそ女が地下鉄の中で言葉の暴力をぶつけてきたが、全く気にならなかった。全く興味がない。こんなにも自由かと思う。誰も人のことなんか気にしていない。全く人に関心を持たない。これがどんなに楽なことかわかった。
フェアーでありたい。フェアーであれば無意味な攻撃をされても反撃できる。
今考えていることを全て放棄するといいんじゃないか。女がどうしたんだ。全く関係ない。どうでもいい。人間が全く気にならなくなった。全く関心なくなった。
フェアーで行こう。今日のくそ女はなんだったのか全くわからない。何で女なんか生きているのかわからない。


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