希望の日記

2006年08月05日(土) 九州

今日九州から帰ってきた。田舎が恐い人間に成り果ててしまった。でも楽しい瞬間も少しはあったのでよしとしよう。フェアーでありたいという気持ちだけもって行動したのが良かったと思う。うつでも絶不調でもそれさえ気をつければ何とかなるという自信になった。
都会人、特に東京、大阪などの大都市圏の人間は多かれ少なかれ境界例的だ。一人残らずそうだ。もしかしたら人間は全てそうかもしれないが、都会人はそれがはっきりしている。何が悪いんじゃという傍若無人な態度は本当に我慢ならない。自分も無意識のうちにそうなっているがさすがについていけなくなった。自分はそうなりたくないと思う。田舎に住みたい、人のいないところに巣みたいと考える理由の一番大きいのはそれだ。境界例競争みたいな都会暮らしはもううんざりだ。フェアーでありたい、優しく思いやりのある人間でありたい。人を傷つけて平気な人間にはなりたくない。当たり前のことだ。東京の人間なんか全員境界例だ。大阪もだ。何が偉いんだ。人に迷惑をかけるのがそんなに好きなのか。どれだけ攻撃的なんだ。人殺しみたいな顔しやがって、我慢ならない。人間らしく生きろよといいたい。人をいじめるのがそんなに楽しいか。変態野郎ども。境界例の巣。キチガイ競争。頼むから見逃してくれといいたい。ドンだけ偉そうなんだ。境界例がそんなに偉いのか。大嫌いな日本人よ。世界中から嫌われているのに気付かないのか。隣国から頃ほど忌み嫌われる国民が他にあるか。アメリカに尻尾をふるな。境界例をリーダーに選ぶな。ボーダーレースはもう止めろ。スローライフに帰れ。正気に返れ。武士はキチガイだがもっと節度と高い道徳意識があった。自分を律しろ。アメリカ人の奴隷に進んでなるな。誇りと自立心を取り戻せ。というか人間であれ。
自分の機嫌を取ることの大事さと難しさを感じた旅だった。せっかく自分のためにサービスしてくれる人に対して機嫌が悪いのは大変失礼で、アンフェアーなことだ。結局非対称になってしまう。人を追い込むことは良くない。どうしてそんなことをしてしまうのかわからない。温泉はもう卒業しようかなと思った。苦痛だもの。何で苦痛に感じることをするのか自分でもわからない。自分にもフェアーでないとだめだ。人の嫌がることをしてはだめだが自分の嫌がることをしたらどうしようもない。確実にうつになる。うつになることばかりするからうつになるんだ。境界例の日本人。もう付き合いきれない。人間が嫌だ。全員境界例に見える。全員私に嫌がらせしているように見える。自分の機嫌を取ろう。温泉なんかに行って人に機嫌を取ってもらうのは止めよう。無意識のうちにそうしているのだ。一番癒されたのは部屋で清張を読んでいるときだった。人に構われるのが嫌なのにどうしてそんなところに行くのか。人と付き合うのは嫌だろう。何で境界例ばかり近づくのか。我慢なんかできるわけないじゃないか。何で我慢しないといけないのだ。そんなところに行って修行なんかする必要はないのだ。
清張の小説に関西弁をしゃべる人と付き合うのは嫌になったというのがあって笑った。私は始めて関西人に出会った瞬間からずっとそうだ。これからも変わらない。でも東京弁を聞くと吐き気がするようになった。もうだめだ。この間九州弁を聞いて気持ちが悪くなった。とにかく人間が嫌いだ。日本人が嫌いだ。外人も嫌いだ。男が嫌だ、女が嫌だ。子供が嫌だ。幼女だけだ、腹が立たないのは。全員境界例だ。この世の生きとし生けるもの全て境界例だ。地獄に堕ちろ。
とにかく嫌だ。何もかも嫌だ。境界例ばかりで嫌になる。死ねと心の底から言いたい。何が楽しいんだ。偉そうにしやがって、何がそんなに偉いのか全くわからない。境界例が何でそんなに偉いんだ。
もう絡まれるのは嫌だ。日本人にしろ、外人にしろなんで絡まれないといけないのか全くわからない。全く理解できない。フェアーでありたい。何で人の機嫌を取らないといけないのか。何がそんなに偉いのか全くわからない。世の中境界例ばっかりだ。何偉そうにしてるんだ。全くわからない。どんだけ傲慢なんだ。


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