希望の日記

2006年09月18日(月) もめごと

昨日から隣の部屋が騒がしい。男女のトラブルが生じているらしい。女が締め出されてわめいている。関西らしく下品だ。色と欲丸出しだ。やくざじゃないだろうか。愛とか優しさが馬鹿らしくなる。私には関係ないことだ。
私は小さい頃に悪に目覚めたらしい。そのまま暴走して大きな罪も犯した。分裂病にもなった。狂気と犯罪は近いものだ。
頭の中が千日手のようになってハングしている。頭が痛い。昨日は3時頃外で馬鹿どもが騒いでいて目が覚めた。統合失調症が再発したのか。
女なんか何だ。関係ないじゃないか。何で私がご機嫌取らないといけないのか。
愛と優しさだ。感謝だ。でも卑屈になることはない。
愛と感謝と優しさだ。目がおかしい。戻らない。悪いことをしてしまう。高校までは勤勉だった。誰でもそうだ。当時は。
悪と狂気に目覚めた幼い頃。でも誰でもそうだ。小さい悪がきはいる。統合失調症でも愛と感謝と尊重、優しさで癒すことができる。
気分が優れない。目がおかしい。頭が痛い。今までで最悪だ。愛と感謝と優しさだ。大事なのは。悪い人間はいる。でも悪ければ悪い風にすれば良い。悪いのに良い風をするからおかしい。私は悪い。両親や兄弟にも迷惑をかけた。反省をすること。改善すること。悪いなら悪いなりにすること。人に迷惑をかけないこと。愛と感謝と優しさだ。
頭が痛いのと目がおかしいので本も読めない。辛いので横になっている。それはそれでいいのだ。辛いのがよくなったらまた本も読もう。私は愛によって生かされてる。それを感謝する。雨露をしのげること、食べ物があることを感謝している。それで十分じゃないか。愛によって生かされてる。
悪は誰の心にもある。でも誰もが抑えている。何かあるとすぐ死刑と叫ぶ国民。そこが恐い。変になっている。思い通りにならず我慢を強いられてきてストレスが溜まっている。母親にはとりわけ迷惑をかけた。遅刻が増え、家庭内暴力を振るった。申し訳ない。また戻ってきて迷惑をかけた。楽しい老後が待っていたのに台無しにした。悪だ。悪をコントロールできない。小さい頃からそうだ。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。こうして生きているのは奇跡だ。愛の奇跡だ。感謝しなければならない。
この間まで全ての人間に嫌われているように思ったが、そんなことはないと思えるようになった。嫌う人間はいるかもしれないが、全存在を否定されることはない。母親や両親に悪いことをしたかもしれないが、良い大学に入った。全てが悪いわけではない。悪いところもあったということ。純情だから悪くなると本当に悪くなってしまう。これからは反省して悪いことはしない。
何で悪いことをしてしまうのか。反省が足りない。一所懸命仕事をしない。怠慢。意図的に悪いことをする。何でそうなるのか。全くわからない。反省が足りないのか。fみたいに自暴自棄になって人に悪いことをする。病気だ。統合失調症は病気だ。悪いことをしたいという願望がどうしても消えない。どうしてだろう。悪いことをしても許してもらえる人やところを探しても絶対にいない。母親だってだめだ。
一所懸命仕事をしないことや家庭を作らないことは怠慢だ。義務を果たしていない。私はもう悪いことをするのはうんざりだ。不利益ばかり受ける。良いことをすれば利益を受けるのに。小さい頃の刷り込みというのは恐ろしい。でももうこんな年なんだからいい加減に修正できるじゃないか。悪いことをしないで良いことをする。愛と優しさと感謝に目覚める。ボランティアでもやってみようか。あのサークルはボランティア精神なしにはやれないだろう。何が楽しいのかと思う。あんな人たちの相手。
疲れた。でも良くなっていると信じよう。愛と優しさと感謝のお蔭で。うつ状態じゃないかと思うが、抗うつ剤はこりごりだ。休養と代替医療で治そう。
絶対に喧嘩売られても買わない。いくら機嫌が悪かろうと、そのため喧嘩を売られようと、絶対に喧嘩を売られても買わないと堅く決心すれば決して喧嘩にはならない。それは屈辱ではない。勇気だ。勇気のない奴が喧嘩するのだ。例えば女。屑みたいな女だけが喧嘩を売ってくるのだ。絶対に喧嘩を買わない。
抗うつ剤の副作用で人に喧嘩売っているみたいになるのだろう。顔見ただけで喧嘩売ってくる女もいる。でも絶対に買わないことにした。喧嘩は相手がいる。自分が相手にならなければ絶対に喧嘩にはならない。恋愛と同じだろう。もしそうすればストーカーだ。
愛と優しさと感謝だ。ウォーキングはいいな。ウォーキングを始めよう。金が要らない。歩いているとスッキリする。
私は恐いんじゃないかな。女は私を見ると恐いと思うのか。犯罪者っぽいし、人間味が感じられない。温かみ、優しさが感じられない。それで喧嘩売ってくるのだろう。喧嘩売ってこられても買わなければ良い。絶対に買わない。弱い犬ほど良くほえる。
やっぱり人間としてきちんと義務を果たしてこなかった。就職して病気になって引きこもり。気の毒な面はあるがやっぱり社会的責任から逃げてしまった。悪いことをしてしまう。今は責めたりしない。でもいずれは反省して回心すべきだろう。明らかに間違ったことをやってきた。それがわかっているのか、わかっていないならそれも救いがないし、わかっているなら悪性が強い。でもわかって反省して改めるならば救いはあるだろう。それは自分の意志一つなのだ。
私はひどく臆病で恐がりだ。それが弱さだったり、攻撃性になったりする。でももういいだろう。いい年なんだし、恐いものないだろう。今休職に至る過程がありありと浮かんでくる。最初、hとトラブルになったのだ。それで北原に言って取締りを強化し始めた頃からおかしくなった。その原因はというと抗うつ剤だと思うし、もっと根っこには統合失調症とか悪いことをしたがる心性とか反社会性になってくる。あの職場は刑務所みたいなところだ。流刑地。他で問題があってどうしようもない奴が懲役刑、更生のために送られてくる。更生といっても出て行った奴はいない。病気になって出て行くくらいだ。出るときは死ぬときだ。
女が私を恐がっているために攻撃するという仮説は正しい。今日レジでおばはんがすごい勢いで私から遠ざかった。おばはんになっても男というだけで恐いんじゃないか。でも私はそんな理由で喧嘩を売られても絶対に買わない。そうすれば絶対に喧嘩にはならない。
私はもう考えることは余りない。愛と感謝と優しささえあれば何もいらない。ウォーキングしたせいか少しというかかなり気分が良くなった。夕方だからか。生きる喜び&食欲が少し湧いてきた。
悪いことをしないというだけじゃだめで良いことをしないといけない。仕事で業績を上げるとか、家庭を作って妻子を養うとか。どうしてそういう発想がないのか。愛と優しさと感謝だ。強さとは優しさだ。
例えば対hにしても私は悪いことをしていないといえるだろうか。善悪の区別すらついていないんじゃないか。
愛と感謝と優しさが自分にも戻ってきたので自分にきついことを言えるようになった。
ずいぶんおかしいなと思う。自分は。長い間に全くおかしくなった。おかしいということにやっと気付いた。あいつらもおかしいけど私もおかしいのだ。上から見るとどっちもどっちだ。
愛と感謝と優しさ。戻らなくなってきた。調子がいつまでも戻らなくなってきた。aは精神的には健康らしい。あの三人は全員おかしい。でも本人は平気なのだ。信じられない。愛と感謝と優しさ。これが大事だ。
喧嘩を買わないというのは究極ではないか。喧嘩を売らないのはもちろん、仮に喧嘩を売られても受けない。買わない。そうすれば絶対に喧嘩にはならない。ババア相手に喧嘩することはないだろう。


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