病院に行ってきた。自転車がないので歩いていってみた。気持ちよかった。天気が良くて、真夏ほど日差しが強くなく快適だった。日に当たることとウォーキングはいいだろう。抗うつ剤の代わりになる。副作用がない。目がおかしいがどうということもない。活字が読めないがどうということもない。 石切神社に行ってきた。面白かった。歩くことは面白い。日を浴びることは面白い。うつに効くだろう。活字が読めなくても面白いことはある。 喧嘩を売っても買ってもいけない。電車の中でサルみたいな婆やブスを見ることは危険だ。ブスとかババアと思ってしまうから、敵意があると思うだろう。箕面のサルと一緒だ。見ることがどういうわけか喧嘩を売ることになるのだ。野生動物だ。言葉ではなく見た目で判断しているのだ。 愛と感謝と優しさだ。愛は統合失調症を癒すだろうか。ロジャースは統合失調症を相手にしてショックを受けたらしい。全ての精神疾患に効果的ではない。宗教は統合失調症的かもしれないのでロジャースは嫌うだろう。z氏も嫌っている。カウンセリングが有効な限界の外側にあるからだ。喧嘩を売っても買ってもいけない。愚かなことだ。小さい頃その馬鹿なこどもと付き合う羽目になったのは喧嘩を買ってしまったからだ。喧嘩を買ってしまうと自分が巻き込まれて責任が生じてしまう。大概うまく処理し切れなくて破綻してしまう。 二番目に付き合った馬鹿野郎も喧嘩を売られたので買ってしまったことによる。三番目は喧嘩ではないが、絡まれたような気がして受けてしまった。その次もそうだ。それ以降私は人と付き合うのが嫌になって自閉してしまった。喧嘩を売っても買ってもいけない。損することは絶対にない。身の破滅だ。姉がいつも喧嘩を売ってきたが頭に来てかっとして家を飛び出したことがある。もちろん自分が悪いと怒られた。事情がわからないからだ。姉はいつも私を嫌っていた。終生変わらないだろう。この間家に行ったときも邪慳な扱い、モラハラな扱いを受けた。けんか腰だ。田舎暮らしといっているが慎重に考えた方がよい。私のためを思っているとは決して思えない。ひどい目に遭うのは明白だ。何かわからない理由、私が女性的だからなのか邪悪だからなのか、統合失調症的だからなのかわからないが見た目だけで喧嘩を売ってくる。肝心なことは対話が可能だなどと思わず、絶対に喧嘩を買わないことだ。姉ともずっと喧嘩ばかりしていた。もうそういう運命なのだ。顔を見ただけでかっとする。b校のときもそうだ。我慢するなどということはできない。絶対に喧嘩を売ったり買ったりしてはいけない。 愛と感謝と優しさだ。何で一方的に私が悪いみたいになるのか。全くわからない。大阪なんかやくざと被差別部落とヤンキーとおばはんと芸人と盗人の巣だ。絶対相手にしてはいけない。絶対に。おばはんとかヤンキーとか何で見たりするのかわからない。被差別部落とやくざを合わせたくらい邪悪なのだ。まともな人間ではないのだ。まともな人間であるはずがない。 喧嘩売られても買ってはいけない。ヤンキーとおばはんはやくざと同じなのだ。何で買うのかわからない。どうして情け深いのかわからない。どうして自分を危険に曝すのかわからない。抗うつ剤の副作用でやくざに喧嘩を売るようになったのか。 愛と感謝と優しさだ。カウンセリングなんか受けても根底に統合失調症と神経症のコンプレックスがあるから難しい。カウンセリングを受けている気になるだけで実際は効果がない。効果がないと自分ではわかるものだから馬鹿にしたくなる。効果はないが刺激はあるので躁状態になったりする。抗うつ剤もegもカウンセリングも効果はない。とにかく慎重に喧嘩を売ったり買ったりしないことだ。それしかない。女や子供や境界例のおっさんが喧嘩を売ってきても絶対に買ってはいけない。あとフッキーみたいなやくざとか。あんなもの薬も森田療法も何療法も効くか。やくざの統合失調症じゃないか。イカレポンチ。最低最悪の社会のごみだ。生まれてくるべきじゃなかったのだ。 何を信じて良いかわからない。何も信じなくて良い。自分だけ信じていればいいのだ。あんなやくざやおばはんやヤンキーと仲良くできるわけないだろう。いい加減にしろ。 愛と感謝と優しさだ。もうこれ以外信じられるものはない。何でヤンキーややくざやおばはんがいるのかということはフッキーみたいな奴がなぜいるのかということと同じだ。何で付き合うのかわからない。何の自殺行為なんだ。何の自虐行為なんだ。何のボランティアなんだ。訳がわからない。何で喧嘩を売るのか、何で喧嘩を買うのか。やくざやおばはんやヤンキーに。何でそう自殺行為がすきなのか。全くわからない。絶対に喧嘩を売ったり買ったりしない。関西人はやくざかヤンキーかおばはんか盗人か人殺しのどれかに当てはまるのだ。一体誰を相手にしていると思っているのか。全員犯罪者なんだ。しかも統合失調症の。または人格障害の。宅間の里じゃないか。少年aの。ありとあらゆる犯罪の巣窟じゃないか。何十年連続引ったくりワーストワン、虐待もナンバーワン。全体が被差別部落なんだ。それか組事務所。 愛と優しさと感謝が足りないのだ。化け物みたいな奴でも愛が在れば生きられる。宅間みたいなやつでもカウンセリングを受けていた。うまく行けば回心できたかもしれないのに殺してしまった。おかしいと思わないのか。日本人は愛が足りない。ここはキチガイとやくざとヤンキーとおばはんの巣窟だが、愛と優しさがあれば何とか生きていけるんじゃないか。愛の力はそれほどすごい。こんな醜い無価値な奴らも救うことができる。そう信じている。フッキーみたいなウジムシみたいなやつらでも救うことができる。 愛と感謝と優しさを信じること。自分を愛すること。喧嘩を売ったり買ったりしないこと。 抗うつ剤があってegがあってb校があって揉め事があって休職があって、フッキー加藤があって今の苦しみがある。大阪に出てきてから嫌なこと信じられないことの連続だった。愛と感謝と優しさで大丈夫なのだろうか。とにかく喧嘩を売ったり買ったりすることは絶対禁止だ。得体の知れない人と付き合ったりするのも抗うつ剤の影響だ。 世の中には統合失調症も神経症も障害者もいる。でも愛さえあれば救うことができる。 愛と感謝と優しさじゃないでしょうか。フッキーみたいな犬のくそみたいな奴でも生かされている。絶対あんなのとつきあってはいけない。何でそんな自殺行為をするのか。知らない人間と飲むというのは危険な行為なのだ。 愛と感謝と優しさだ。今は30%で行こう。65点でいいじゃないと某女史は言っていたが、私は30点で良い。こんな状態では普通に生活することさえ困難だ。 私は悪くない。愛と感謝と優しさだ。今は一番楽しくても30点、30%くらいだ。フッキーのせいだ。あのくそキチガイ。全くどうでも良い。30点主義で以降。30点くらい楽しければよしとしよう。
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