希望の日記

2006年09月20日(水) 生駒

生駒の暗峠に行って来た。朝2時くらいに目覚めたが眠れなかった。戸外に出る時間が長いと目が覚めるのか。厄介だ。セロトニン不足はアウトドアで補おう。日の当たるところを堂々と歩いていると逆に怪しまれないようだ。泥棒は太陽の光を嫌うだろう。私は治療のため、できるだけ日の光を浴びたい。今日の満足度は50点くらいだった。それでもああ楽しいとは思わない。ああ来てよかった、最高とも思わない。まだ調子が悪いのだ。でもこういうことの積み重ねが大事だ。
喧嘩売られても絶対買わない。ヤンキーでもやくざでも恐くない。絶対喧嘩を売らない。絶対買わない。喧嘩して得することはない。北朝鮮が得しているだろうか。どんどん見放されて破滅への残り時間をすり減らしている。悪いことをして得をすることはない。悪が栄えたためしはないのだ。悪徳の栄えなんかないのだ。
慎重に行こう。かなり悪い状態にまで落ち込んでいる。もうこうなった以上焦っても仕方がない。
キチガイフッキーと付き合ったのは一生の悔恨だ。でも大きな教訓を残した。それを立ち直りのヒントにしたら良い。そうすればあんな気違いでも存在理由があるというものだ。あのくそババアどもでも同じことだ。もっと賢くなるための教訓にすればいいのだ。
目がおかしい。活字が読めない。体をうごかすしかない。いいことだ。今の状態では頭がさえていたら逆に苦しい。体で生きよう。頭は後からついてくる。街道を歩きまくろう。山に登りまくろう。日を浴びまくろう。
目がおかしいというより脳がおかしい。治るんだろうか。大丈夫だろう。できるだけ長く日を浴びよう。セロトニンを増やそう。ドーパミンは薬で減らそう。喧嘩を売るまい。売られまい。数日前に比べたらだいぶ良い。
やっぱり理由はどうあれ、中学から悪いことばかりやっている。どうしてかわからないがそうだ。でも少年とか見ているとホント悪いことばかりする。顔見るだけで気分悪い。何かされそうな気がする。でも今日はいい日だった。50点位でも気分は最高とは行かないものだ。でも数日前から比べたら雲泥の差だ。誠実に頑張ってよかった。
愛と感謝と優しさだ。私にはそれ以外信じられるものはない。脳が痛んでしまったのだなと思う。今日なんと言うこともなく目的の駅を乗り越してしまった。戻ってその駅の名前を見てもすぐにはピンと来なかった。どういうことだろう。脳が壊れたのか空恐ろしくなった。ボランティアでもしようか。悪いことをする奴は自分にも悪いことをするからだめだ。自滅してしまう。昼間に山を歩いていても楽しくない。でも今は調子悪いのだと思ってゆっくりしよう。30点でいいじゃないか。
悪いことをするからいけない。悪いことをする奴なんていない。不良くらいだろう。私は薬をきちんと飲んで日に当たりよく運動をする。
正直言って大学を出てからこの方きちんと勤まったためしはない。社会に貢献できたためしはない。それが今更という気がする。最悪期は脱出した。店員から喧嘩を売られることがなくなった。喧嘩を売らない、買わないは当たり前だが、売られないということがある。売られやすいことが問題なのだ。自分が一番偉いと思っている。はいはいあんたが大将。天才。偉人。リーダー、頭領。何でそんなことを張り合わないといけないのか。全くわからない。峠でババアの群れに会ったときは不良に絡まれないように逃げる気の弱い高校生みたいに目を合わせないように逃げた。それでいいのだ。何で絡まれないといけないのか。喧嘩を売られないということは喧嘩を売ったらただじゃ置かないということだ。それくらいの覚悟が必要だ。喧嘩を売られてどうしようとかじゃなくて売られるのが悪いのだ。目が合っただけでメンチ切ったとか言って喧嘩売ってくる奴もいるのだ。大阪の女なんか全員ヤンキーなのに気をつけないといけないのだ。小さいときから喧嘩の売り買いばかりして来た。元暴走族のリーダーは喧嘩の経験が役に立っただろうか。そんなことはない。喧嘩は売っても買ってもいけない。売られるのがいけない。不徳のいたすところだ。


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