朝が来た。余り気分が良くない。抗うつ剤とアルコールの相性は良くないようだ。色々嫌なことに気づく。暴力やレイプ。私のされたことはレイプじゃないか。貪欲な人間と無欲な人間がいる。私の父は無欲だった。私はそれが物足りなかった。それは何が違うのか。あの自称セレブババアはものすごく貪欲だ。私はptsdの結果無欲になった。人は生来貪欲じゃなかろうか。子供はいくらでもおやつやおもちゃをほしがる。大人でもそうだ。欲望には限りがない。仏教は欲望を抑えることを教える。欧米人特にアメリカ人は貪欲だ。なぜそうかはわからない。日本人も貪欲でないとは言い切れない。特にバブル以降は贅沢の味を覚えてしまい、セレブなんていう頭のおかしなおばさんも増えている。私はそういう変なのに差別されたりする。笑止だ。キチガイフッキーが私にしたことは精神上のレイプである。愛が得られないから無理やり得ようとする。そんなことは許されない。最も重い罪だ。egやカウンセリングもある種の精神的レイプだ。抗うつ剤もそうだ。ptsdから回復するためには抗うつ剤を飲み続けるしかないのか。天然の覚せい剤をやっているような奴ら、アメリカ人とかhやkみたいなやつらには勝てないのか。勝とうと思っていない。平和を望んでいる。商売は平和に行うものじゃなかろうか。商売はレイプではない。町や山を歩いていても田舎に行っても安全とは感じない。危機に曝されていると感じる。不安に感じる。疑われ、差別されていると感じる。辛い時間だ。どうして普通に働きたいと思っているのに恐がらされたり、ptsdにさせられたり、精神的レイプといえるモラハラに曝されなければならないのか。小六のときに教師にモラハラという精神的レイプを受けた。中学のときも同じだ。それでptsdになった。私はptsdになりやすいようだ。どうしてかわからない。生まれつきの性質によるのだろう。hやkもptsdだ。それを何かに依存することで天然覚せい剤を得て働き者になったのだろう。でもそれは他人を私のようなptsd人間を不安にさせる。側にいるだけで不安になる。一緒に働くなんて絶対無理だ。不安なのだ。一緒にいることが。私のptsdが暴力で解決できると信じているらしい体育会系にありがちな体質が恐ろしい。アート系の人間もやはり恐ろしい。商人も恐ろしい。権力者も恐ろしい。この世は恐い化け物だらけだ。父は弱かった。優しかった。それが私には頼りなかった。父にとっての私は今の私にとってのhやkなのだろう。恐ろしくてたまらない。ptsdだ。後ろめたさ。罪の意識が人を恐がらせる。ptsdによって人は自分を責め、悔恨する。そしてうつになる。愛はptsdに似ている。それから逃げようとすると怒り狂ってレイプしようとしたり、ストーカーと化す奴がいる。フッキーみたいな奴。hやkみたいなやつ。レイプで思いを遂げられると考える野蛮な生き物。だから一緒にいたくない。z氏もptsdサバイバーだ。しかしある種のレイピストだ。egというレイプを私に強いて来た。私はレイプされた。前回のカウンセリングでegという言葉が出た。私の愛情が冷めてきたと感じたのでまたレイプしようとしている。自分もegにたびたび出ている。頭がおかしい。フッキーやhやkと大差ない。 私はこんなことを書きたくない。働きたいだけだ。働く喜びを味わいたい。誇りを取り戻したい。でもあのレイプ魔がいる空間では体が凍りつく。唇も凍る。だからあの空間から解放してほしい。 優しいことは必須条件だ。人間として当たり前のことだ。ptsdになると優しくできなくなる。これは危険なことだ。優しくない人間の行動なんかありえない。戦いは良くないことだ。天下泰平が世の習いだ。私は優しくされたい。どんなときでも優しくされたい。たとえptsdになって人に優しくできないときでも、そのときこそ優しくされたい。レイプなどされたくない。優しいことが人間の本質だと信じているし、優しさを失ったら関係は成り立たない。恐怖によって人を支配することはできない。でも実際は修練、スポーツ、芸事、仕事は厳しい修練によって支えられている。でも厳しいことは恐怖ではない。高橋直子選手は人よりたくさん練習する。厳しさではなく優しさからだと信じたい。勝ちたいと思うことは結構なことだ。負けたら殺されると。でも負けても人は殺さない。アメリカ人は日本人を殺しはしなかった。物を与え、教育を与え、政体を与え、惜しみなく援助した。人は優しいのだ。恐怖にとらわれると、人の優しさが判らなくなる。z氏も優しいのだ。私に恐がる必要はないこと、優しくすることを教えてくれたのだ。私も優しくしたい。優しくされたい。それが当たり前の世の中でそう信じたからといって馬鹿ではない。 優しいことは卑屈でも恐れでもない。偉大なことだ。私の父は偉大だった。ごく普通の世間の人が偉大に見える。それは優しいからだ。私は優しくなろう。元々優しかったのに、ptsdが、何かが私を傷つけ、優しくできなくさせた。恐怖で人を支配などできない。優しさだけが全てだ。愛こそ全てだ。愛、優しさ、感謝だ。優しいから失敗したのでは断じてない。恐がりで優しくできなくなったから失敗したのだ。また人生は最後までわからない。これからいくらでも優しくできる。そうすれば人生は開けていく。働くことは優しくする第一歩だ。働きたい。猛烈に働きたい。働くことは喜びだ。喜びを奪われたくない。働くことは誇りだ。 優しいことはいいことだ。自分にも優しくしよう。女性的であることは恥ずかしいことではない。悪いことでもない。人間色々あるだろう。男らしさは優しいことだ。これから精一杯優しくしよう。自分にも優しくしよう。世の中は優しい人間ばかりではないだろう。でも私は優しくしよう。世の中を優しさで満たすくらい優しくしよう。それは夢でなくて当たり前のことだ。世の中を暗くしてはいけない。こんな良い世の中を優しくない言葉や行為で暗くしてはいけない。一人さんの言葉がやっと理解できた。魂力とはなんなのか。やっとわかった。それは愛だ。優しさだ。当たり前の人の心だ。ptsdになってもまた立ち直れる。こだわりの強い人間はptsdになりやすい。でもきっと立ち直れる。優しさと愛だ。それは弱さではない。強さだ。 あの変なおばさんも私の魂力を上げるために神が遣わしてくれたのだ。お蔭で相当私の魂力は上がった。これだけ忍耐強くなった。誰も私に注意などしてくれない。hとkは私に遣わされた試練なのだ。優しくなりなさいという神の声なのだ。愛を学びなさいという天の声なのだ。悩んでいるんじゃない。学んでいるんだ。これは強がりなんかじゃなく真実だ。 私は多分間違っている。これだけ多くの人に指摘され、不審がられ、注意され、自分でも苦しんでいるのだから何かやり方が間違っているのだ。矯正の必要がありそうだ。このままぶっちぎると言うようなことはどうやら許されないようだ。でも卑屈になることはないし、いじましいことをする必要はない。ただ愛だけ、優しさだけの話だ。簡単なことだ。元々愛と優しさに満ちた人間だったのが、中学の頃、ptsdになって、ぐれたのだ。それを今直すべきときが来たのだ。簡単なことですごく自分が楽になる。人に優しくし、自分に優しくするのだから当然そうなる。自分の喜ぶことをするのだ。それが人が喜ぶことなのだ。私が苦しむことが人を喜ばせるなんてそんな恐ろしいことは絶対考えるな。もっぱら自分を喜ばせることを考えよ。一人さんの言うことは正しいと確信した。 優しさが足りない。愛が足りない。簡単なことだ。愛をケチってはいけない。その必要もない。愛は無限だからだ。人にひどいことをしてはいけない。お釈迦様の教えだ。孔子も言っている。人に優しくしなさいといっている。当たり前のことだ。でも落ち目になると苦しくて人に優しくできなくなるのが人の常だ。でも不可能ではない。抗うつ剤を一錠飲むだけでそれは可能になる。ptsdの本を読んで思い当たった。これという治療法もないということ、ただ抗うつ剤が効くらしいことがわかった。それで試してみる気になった。そして狙い通り、奏効した。素晴らしい薬だ。もちろんリスクはある。でもそれを知って使いこなすのはありだと思う。hやkの言うことは良くわかった。そして私は悔い改めた。だから問題はない。後はこだわりだけだ。ただこれだけこじれたい情。一緒にいないで新たにやり直すことが得策だ。賢明だ。もう問題はないのだ。私はやり方が間違っていた。それは人にひどいことをして何とも思わないということだ。悪いことをして反省しないということだ。どうしてそうなったのか。悪い仲間と付き合ったからだ。だが人間は馬鹿ではない。やがて愛を知り、優しさを受け入れ、悔い改めることができる。今日1割悔い改め、明日1割悔い改めしていけば復帰する頃にはきれいな心身状態になって仕事もバリバリできる。悔い改めることは恥ずかしいことではない。むしろ誇らしいことだ。父の魂に誓って悔い改めよう。 私は悪いことをしても反省しない。それは本当に悪いことだ。悪を感じる感覚が鈍いのか。そんなことはない。わかっていてやっている。小さい頃悪い奴と付き合ったからだ。馬鹿になってしまった。どんな人生だろう。ちゃんとしよう。今からでも遅くない。悪いことをいっぱいしたのに反省がない。反省がないから繰り返す。元々良い人間なんだ。きっと元に戻れる。抗うつ剤を飲んで元気になって、悪いことは反省し、回心しよう。悔い改めよう。hは悪い奴ではない。やさしいいい奴だ。ちょっとしつこいし、こだわりが強いが、優しい。どこかで何かを悟ったのだろう。私も回心しよう。あの職場に貢献すれば居易くなる。出世も夢ではない。どうして出世を夢と諦めるのか。諦める必要はないのだ。 働かないのではない。働けなくなっていたのだ。ptsdだ。ptsdの本当の原因はわかった。やっぱり私が悪いのだ。今からでも改めることはできる。会社でサボっていてはいけないだろう。おかしいのだ。悪いことをしておいて反省しない私が悪い。ただ母親との葛藤によるptsdという考慮すべき点はある。情状酌量。でももうきちんと心の整理がついてちゃんとできる。やっぱり私に悪い点がある。できない私が悪い。悪いといっても責めているわけではない。同情すべき点はたくさんある。きちんと悔い改めれば楽になる。 何かぼけてる。やることなすこと間が抜けている。良くなるだろう。でもぼけたお蔭なのか大事なことに気付いた。知に働いているだけでは気付かなかったことに気づいた。怪我の功名だ。何がどう転ぶかわからない。 今思い返してみるとずいぶんおかしなことをやってきた。この会社に入ったときからおかしなことをやってきた。いくら変なやつとはいえ上司に反抗するのはもうだめだ。失格だ。狂人であることを証明してしまった。中学のとき、変な教師に怒られた。それは遅刻をしたのにへらへらしていたから悪い。悪いことをしても反省しないという私の悪い面が出た。それで反省すればよいのに更にひねくれて反抗した。反抗自体は反抗期だからありがちなことだ。でも常軌を逸している。こだわりすぎだ。正しいことにこだわるのなら褒められるが、間違ったことにこだわり続けるならばサドみたいなやつになるだけだ。そうなりたいなら別だが、なりたくないだろう。強くなりたいとか訳のわからないことを言うな。間違ったこと、悪いことを押し通そうとしても絶対に世間は通らない。事実通ったためしはないじゃないか。いい加減に目を覚まして正しい道に戻ろう。正しい道はさわやかで気持ち良いぞ。絶対にそう思う。悪いことをして得をしようとか、反省しないとか、ヤクザの考えることだ。絶対に間違っている。やめたほうがいい。出直したい。もう一回チャンスがほしい。必ず立ち直れる。今度こそ正しいことがわかったからだ。 b校でいじめられた理由もわかった。今までの職場で一度たりともうまく行かなかった理由もやっとわかった。やっぱり悪いことを平気でする。人を傷つける。そして反省しない。恥の意識もない。でもこれからは悔い改める。きっと希望に満ちた人生が開けてくる。確信した。大好きな人生の楽園、それは夫婦愛であり、勤勉さという美徳であり、思いやりであり、人の善良さであり、私にかけているもの全てがそこにあるからだ。悪いことをする人間は恐いと思う。私が人を恐いと思う以上に人は私が恐いと思う。強いから恐いんじゃない。何をするかわからないからだ。信頼関係が築けないからだ。良い人間は馬鹿だろうか。そんなことはない。勤勉な人間は馬鹿だろうか。とんでもない。正直者は馬鹿だろうか。とんでもない。人に迷惑をかけない人間は馬鹿だろうか。とんでもない。悪い人間こそ馬鹿だ。悪いのに改めない人間こそ馬鹿だ。私には漸くわかった。h子君やフッキーやお坊さんみたいに何があったか知らないが悪いことをする人間、人を傷つける人間はだめだ。そんなのと付き合うからこうなる。私は根っからの悪じゃないから傷つく。でもチョイ悪みたいなやつはいくらでもいる。でも私の柄じゃない。私は善人だ。だからこだわってしまった。悪にこだわることはないじゃないか。悪い人間のことを思いやることはない。 悪いことはしても絶対に報いが来る。天網恢恢とはこのことだ。優しさと愛に帰れ。この間執行役員にいじめられた。でもそれに似たことはよくある。あのサークルでもm氏に暴行を受けた。おかしい奴なのだ。なぜ気持ちが悪いかというと悪いことばかりやるからだ。恐怖といっても悪いことをしていなければ恐くないだろう。悪いことをしていれば常に恐い。何かが恐い。誰かが恐い。悪いことをして怒られてptsdになる。その人間を恨む。おかしいと思う。悪いことをしなければいいのだ。どうしてこだわるのかわからない。モラハラもいいが、そこを改めないと同様のことが起こる。自分が悪い点を考えないといけない。きっとこうして報いを受けてきたのだ。良いことをいっぱいすれば褒められる。過去の悪行も消える。どうして今まで気付かなかったのか。ここまで追い込まれないとわからないということだ。でもわかってよかった。小さい頃からのこだわりがやっと解けた。きっと今度こそ大丈夫だ。 天邪鬼の程度の悪い奴だ。あの職場にいると体がこわばる。ptsdだ。前回別のおばさんとトラブルになったとき、ptsdが生じた。でも根本は悪へのこだわりが私の中に根付いていることが原因に他ならない。これの解決法はないものと思っていたが、ある。心で思うだけで改めることができる。確信した。力はある。善良でもある。純真無垢な心を持っている。ところが悪いことに染まってしまい、台無しになった。でも今からでも遅くない。一種の病気だから、同情すべき点はある。人格障害的、境界例的な側面はあるからなかなか気付きにくいし、治療の術も乏しい。ヤンキーが私に興味を持つのは同じメンタリティーを持っているからだ。恐いのは自分が恐れていること、悪と指弾され、権力者に罰せられるということ。それが実現しそうになるからだ。同じ穴の狢じゃないかといわれることが恐いのだ。実際同じ穴の狢だ。そう認めてしまえば楽じゃないか。でも悪いことは二度としない。偉そうにもしない。地道にこつこつ善良な役に立つことを積み重ねていく。一気に百点狙うのはおかしい。10点や30点で良い。地道にこつこつ積み重ねて信頼を勝ち取るのだ。正攻法しかない。私も漸く正しい答を見出した。hだってある種の悪だ。顔を見たらわかる。なぜ恐いかというと悪だからだ。ヤクザみたいだからだ。自分が一緒にされることが嫌なのだ。でも同じなのだ。もっと悪い。私は反省してないからだ。悔い改めて正しいことができるようになっていないからだ。あの職場に来る奴はいずれにせよ、何かを抱えている。ヤクザの吹き溜まりだ。この変化が起きたこととあのカウンセラーにかかっていることと関係あるだろうか。私は自分を責めているわけではない。でも馬鹿なやり方を改めなさいといっているだけだ。極めて優しい、もっともな一番すぐに楽になれるやり方を勧めているだけだ。絶対に正しい。あのサルみたいな顔をした奴もいっぱい失敗してきたのだ。善良なんだけど悪に染まってしまった。人は何らかの脳障害を抱えている場合以外は善良な純真無垢な状態で生まれてくる。全く無力だ。親に完全に依存している。でも悪いことに染まる場合もあるだろう。でも人間だったらすぐ気付いて、改めることができる。あのカウンセラーは余り快くない。癒されることを期待していくとえらい目に遭う。でもこうして大事なことに気付いたことと何か関係があるような気がしてならない。前回思い切ってこちらの恐怖心を告白した。居心地悪い感じ。思いやりを感じない雰囲気。昨日、室生寺の店員と話したときとても恐かった。傷つけられる感じがして足が震えそうになった。頭が今ぼけているから脆弱な状態だ。不安だ。ところがそういうヘルプレスな感じになって初めて自分のやり方が間違っていたことに気付く。こうならないと気付かない。遅すぎることはない。今からでも十分間に合う。普通の人間になるチャンスが訪れたのだ。お坊さんは古本屋巡りを趣味とするおとなしい善良なところがある。私は風俗遊びをするくらい反社会的だ。もちろんそういう人間はたくさんいる。でもそういうことをする人間は悪いことを知っている。悪いことをしていることを知っている。そんな自分である、どうしようもない人間であることを知っている。ところが私は自分を知らない。自分がやっていることの意味を知らない。故意に人を傷つけることの悪質さに気付かない。自分を騙しとおそうとする。自分は騙せても人は騙せない。世間は騙せない。裸で歩いているようなものだ。美化してはいけない。悪を美化してはいけない。それはヤクザがやることだ。親父もそういうものを抱えていたらしい。ヤクザと付き合っていた。同時にヤクザを非常に恐れていた。遺伝かもしれない。内面は苦しいものだったのだろう。hにも同じものを感じる。弱々しい繊細な感受性は善も悪も区別なく受け入れてしまうのか。でも一体受け入れた後でもきちんと理性の力で善悪を区別することを学んでいく。それが当たり前の人間だ。きっと私もできる。できなかったら生きていけない。必ずやる。 自分は憐れな無力な子供だ。それを受け入れよう。そうすれば変わって行ける。自分は強い。世間の非難もやり過ごせる、ごまかせると考えるならばいつまで待っても変化は起こらないだろう。心地よいカウンセラーは変化を促さないかもしれない。z氏は快いカウンセラーであったために甘えを許し、悪の居場所を見つけたのだろう。私のような人間は悪を許し、甘えさせてくれる人を求めてさまよう。あの坊さんと同じだ。フッキーも脳に器質的障害があるために悪をコントロールできない。人を傷つけてしまう。あの人のせいではない。しかし、だからこそ普通の人間と同じように考えて近づいてはいけない。必ず傷つく。ptsdになる。あの人は本当に壊れている。でもそのお蔭で私は壊れた。壊れることによって間違ったやり方、あり方心の持ち方に初めて気付いた。私は救われた。今度こそ本当に救われた。甘えているんだ。大人であっても何らかの心の病を抱えている人は甘えずにいられない。だからカウンセラーがいる。でも私は変化した。本当に長い間かかって問題に気付き、直せる見通しがついた。本当に根本的な変化が生じた。そう確信する。悪いことはやりつくした。人として許されないことを全てやりつくした。甘え。悪行三昧。最後に甘えを許してくれる人格障害的な人に救いを求めた。しかし、反省がないので明らかな失敗に終わった。でもこれからは違う。真に反省した。頭が良くても強くても間違ったことや悪いことをいくら頑張っても絶対にうまく行かない。
|