脳がダメージを受けていることは確かだが、早期にすることはない。日々回復しているし、失って得たものも大きい。気持ち悪いのは元々であってそのせいではない。気にすることはない。昨日の焼きソバ屋のババアだけは本当に腹が立つ。何様だと思っているのか。何で人を怒鳴りつけないといけないのか。気持ち悪そうな顔で人を見やがって、客を何だと思っているのか。でも不機嫌そうな態度を取ってやったら、最後はおとなしくなっていた。自分を虐待する奴の機嫌を取る必要はない。同じようなことをしてやればいいだけの話じゃないのか。仲良くする必要なんてない。こちらを嫌っている人間にどうして好かれようとしないといけないのか。そこが一番大きな矛盾点だ。それに昨日気づいて、改めることにした。一人さんのお蔭で気付いたのだ。天国言葉を言ってもよくならない人は虐待するものに依存していると。依存する必要があるならわかるが、そんな必要なんかさらさらないのに、依存する。そして傷つく。自分をいじめようとしているとしか思えない。これだけは絶対にやめることにした。自分の中の悪徳裁判官を追放し、自分が自分を虐待することを一切完全にやめることを誓う。自分を虐待するものは自分も他人も許さない。仲良くなんかしない。ご機嫌なんか取らない。いい加減にしろだ。この気付きは一年間かかって得た最大最高のものだ。一人さんのお蔭だ。これからどんどん良くなる。もっともっと良くなる。 どうも寝不足で気分が良くない。酒を飲むといつもこうだ。仕方がない。こうして何か書くと幾分落ち着く。不安な気持ちが少し弱まる。自分は良い方向に向かっている。これからどんどん良くなる。展望が開けてきた。素晴らしい未来が待っている。自分を虐待する人間の機嫌を取らない。仲良くしない。離れる。自分をいじめない。自分を尊重する。自分を虐待する人間に依存しない。虐待を受け入れない。拒否する。 私はどんどん良くなっている。パキシルのお蔭で、ウォーキングのお蔭で、休養のお蔭で。これからもどんどん良くなる。 最近のマスコミの調子はおかしい。弱いものいじめ、魔女狩りばかりやっている。すごい権力を乱用している。大衆を思いのままに操作している。大衆もそれに乗っかっている節がある。大衆の怒りみたいなノリでマスコミが代わりに成敗してくれるみたいなノリ。こんなことでいいのだろうか。いじめる側にもいじめられる側にもなりたくない。もっと穏やかな社会であってほしい。 老子の世界を思い出そう。とても感動した。加島氏の教えてくれた世界。平和で穏やかで全てを包む素晴らしい世界。悪いことはしない。 hのことは本当に腹が立つ。あいつが私を追い詰めて長期休職に追い込んだのだ。それなのにのうのうと恩着せがましく見舞金など持って来る。お前の顔など見たくもない。自分を虐待するものと仲良くはできない。機嫌を取ることもできない。一体何を考えているのか。私は私の味方だ。今疲れているからもっと自分に優しくしよう。甘やかしても良い。今やすまなかったらいつ休む。 抗うつ剤は攻撃性や反社会性を高めることもある。気をつけないといけない。元々反社会性がある。もっともそういうのは一切やめたが。義人になった。思ったより簡単だった。義人になるとすごく気持ちが強くなる。自分が悪いことをしていない自信があるから、強い気持ちになれる。悪いことを過去にしたとしても悔い改めれば何も言えないのだ。誰でも悪いことをしたことがあるだろう。悔い改めるのは一瞬で時間などかからない。自分を虐待する人間と仲良くなどできない。機嫌を取ることなどできない。 私は義人になったのだ。何があってもこの気持ちは変わらない。義人であることは気持ちがいいものだ。義人になれば、堂々としていられる。義人になれば働ける。義人になれば人を愛することができる。義人になれば人に信頼される。あのグループには戻らない。あいつはおかしい。虐待だ。虐待なんか耐えられるはずがない。 何でうつになったか。自分を虐待する奴と仲良くしようとした。自分を虐待する奴の機嫌を取ろうとした。自分で自分を虐待した。虐待を誘発するようなことをした。このいずれかだ。高校のときは最後の奴だった。自分が虐待されると分かっているようなことをする。訳がわからない。両親や家族には迷惑をかけた。悔い改める。義人になろう。あの虐待野郎のところには戻れないだろう。昨日の姫路旅行でも嫌なことがあった。食堂の件。バスの中。ロープウェー。誰にでも気味悪がられ、変な目で見られる。新潟に行ったときは子供にまで馬鹿にされた。子供も可愛くないものだ。自分を虐待するのはやめよう。そういう変な目で見られることを自らしてしまうことがある。 少し気分が良くなってきた。お前は今弱っている。甘えたいだけ甘えて良い。休みたいだけ休んで良い。今頑張る必要はない。自分を大切にしろ。誰が気持ち悪がろうと、いじめようと、自分は自分を守るのだ。自分を愛するのだ。自分をいじめてはいけない。自分を大事にするのだ。人のことはこの際関係ない。自分を甘やかしたいだけ甘やかせ。悪いことはしていない。義人になったのだ。今頑張る必要はない。今元気を出す必要はない。 今はゆっくりしよう。だいぶ良くなってきた。私は悪くない。ゆっくり休もう。私は義人になった。人にとやかく言われることはない。 今日はだいぶ調子が悪い。ゆっくり休もう。私は悔い改めた。自分を責めてはいけない。私はもういい人間になった。悪いことは一切していない。人と揉め事も起こしていない。ゆっくりしよう。カウンセリングもいいだろう。公園に行くのもいいだろう。横になっているのも良い。できるだけ自分を休ませる。自分を大切にする。落ち着こう。 ずいぶん調子が悪い。カウンセリングに行こうかどうしようか迷っている。人のことは悪く考えない。人とうまく行かなくても恨みには思うまい。相性が悪いだけだ。私は義人になったのだ。寝ているだけでも頭が痛い。楽ではない。でも外出はしないほうがいいだろう。体力が落ちている。めまいがする。横になっていよう。ゆっくり休もう。ハッピー何とかが悪かったのか。脳のダメージのことは言うまい。義人になった以上、どうでもいいことだ。悔い改めることが肝心だ。悪知恵が働く方が良くないだろう。私は義人だ。いいことだけを考えよう。 hのことを悪くは思うまい。でも私を追い詰めたのは確かだ。自分の気に入らないと、人を追い詰める。なんでも自分の思い通りにしようとする。とにかくあそこのグループには戻らない。これは条件だ。新しく一から出直したい。そのほうが気分も楽だ。 私は自分が悪くても怒られるとカッとしやすい。人間的欠陥だ。中学のときも自分が悪いのにも拘らず怒ってしまった。良くない。人生のごく初期に義人でなくなってしまった。しかし今は悔い改めた。自分をいじめたりしない。カッとしたりしない。卑屈にもならない。常識的な大人の考えができる。義人になったからだ。悔い改めたからだ。でもこの間の事件と抗うつ剤のバランスでとても不安定になっている。難儀なことだ。 困ったことは起こらないのに困った困ったと騒ぐ。何もいいことはない。それだけはやめよう。医者は余り良い顔をしなかった。それはそうだろう。自分で決めた薬だけ飲んで、医者の出す薬は飲まない。医者を馬鹿にしている。でも仕方がない。ptsdで効く薬はパキシルだけだ。実際効いているからいいのだ。実績が全てだ。 今日は大仙公園に行ってきた。楽しかった。あれで気分がいっぺんに改善した。博物館はつまらないようで面白かった。窓から見る池の景色には癒された。青サギがえさを取っていた。それから自転車博物館にも行った。これも面白かった。平和を感じた。人が嫌いではない。好きだと思った。特に子供は可愛い。爺さんですら可愛い。おばさんも悪くない。平和的なところが良い。 医者の言うとおり、様子を見よう。脳にダメージといってもいずれ回復するかもしれないし、あわてても仕方がない。通常の生活には何の支障もない。それどころか良くなった面もある。悪いことを考えなくなった。義人になることができた。普通の人の気持ちがわかるようになった。常識が身についた。自分をいじめないようになった。自分を虐待するものに依存しなくなった。良いこと尽くめじゃないか。 私はどんどん良くなる。どんどん良くなる。人は優しい。どうしてこんなに優しいかなと思うくらい優しいことがある。医者でも私は相当失礼なことをやっていても怒らないで親切に傷病手当を書いてくれた。受付の女でもわざとやっているのかなと思ったけど全然そうではなかった。本当にひねくれているんだなと思った。優しい人ばかりなんだなと思った。これは大きな発見だった。良い人ばかりじゃないか。何で悩むことがある。自分を愛する。自分をいじめない。
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