もう11月か。早いものだ。浮世のことはみんな忘れた。抗うつ剤を夜飲んだらどうも具合が悪い。睡眠薬と相性が悪いのか、頭が痛いし、なかなか寝付けない。自分も動物的な粗野な面もあるし、欲望もある。人がそうだからといって非難はできない。欲望はあっていいと柴村さんも言っていた。そうだと思う。一人さんも欲望があったからお金儲けできたのだ。今調子が悪いが、パニックに陥らないようにしよう。休み始めた頃の状態がベストだとは今は思わない。躁状態だったのだ。今のほうが安定している。少し、ハッピーで少し、嬉しい、少し楽しい、少しラッキー。いっぱい感謝している。いっぱいありがとう。いっぱい許します。パキシルは二日に一回でもいいくらいだ。 バランスの取れた義人になりたい。悔い改めて聖人になりたい。それしか生きる道はない。悪いことをして得するだろうか。自分をいじめて得するだろうか。自分を虐待する奴に媚びて得するだろうか。仲よくできるだろうか。劣等感と悪徳裁判官から自由になろう。死を必要以上におそれない。 最初の頃のような高揚はない。でも今はこれでいいのだ。義人となって誠実に生きる。間違ったことをしない。自分をいじめない。自分をいじめる奴に媚びない。自分をいじめる奴と仲良くしない。 自分をいじめなくなってからどんどん良くなっている。自分をいじめる奴に媚びなくなってからどんどん良くなっている。これからもどんどん良くなる。もっともっと良くなる。 今日は久宝寺公園と平野郷めぐりでもしようか。大阪の街中だが、ウォーキングもできる。 脳がちょっとおかしいので不安になり、パニックになりやすい。対人関係も不安になりやすい。でも気にすることはない。今はそういう状態だということを意識して少し注意すればよいだけだ。 ちょっと調子が悪い。だが気にする必要はない。波があるのだ。誰も恨む気はない。風邪は少し残っている。誰も悪い人はいない。 ちょっと調子が悪いけど、こんなものだ。低空飛行だ。悪くなることもないからこれでいいのだ。安定飛行、安全運転だ。 私は何も悪くない。どんどん良くなっている。これからもどんどん良くなる。 私は悪くない。堂々としていれば良い。何より義人となったのだ。これは大きい。私が迫害を受けたり、いじめられたりする原因の100%はこれだからこれさえ気をつければ何も恐がる必要はない。何で自分で自分をいじめたり、自分をいじめる奴に媚びたり、仲良くしたりしないといけないのだ。絶対にやめよう。何でhやkやiと仲良くしないといけないのだ。z氏も同じことだ。何で仲良くしないといけないのか。 今日は散髪に行ってきた。何か親切にしてくれる半面恐い気がした。怖いという感情は不適切だろう。世の中は私が考えているより、優しく親切であるという感じを持った。 すっかり昼間の町に慣れてしまった。変な目で見られている感じもしない。楽しい。パキシルの威力はすごい。前頭葉が回復するのは間もないだろう。いったんそうやって衰えた方が真の気付きが訪れて良かった。義人聖人になろうと思ったのも一人さんの教えに気付いたのもその後だから。庶民の気持ちがとてもわかる。義人になるとは無理して良いことをするとか募金するとかそういうことではない。普通に働くことだ。妻子を養うことだ。社会に貢献することだ。どうしてそこをすっ飛ばしてボランティアとか考えるのか。間違っていると一人さんは言った。世の中はそう恐くない。悪くないと感じた。人は親切で善良だ。そうでない奴もいるだろう。でもそんな奴は誰からも相手にされない。私も相手にしないだけの話だ。どうしてそこで悩む必要があるだろう。私も幸せになりたい。私は義人だから幸せになる権利がある。悔い改めた以上、私にも幸せになる権利があるのだ。 前頭葉はやがて治るだろう。私は蘇るだろう。復帰するだろう。何も問題ないだろう。 本当に楽しい。酒を飲んだ。明日は休みだからだ。楽しい。楽しい。脳が衰えても関係ない。
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