今日は割と元気だ。脳がぼけているけど日一日と回復している。幸せが少し感じられる。ありがとうと感謝できる。脳がぼけているということは本なんか読まなくていいということだ。サラリーマンが本なんか読むか。パキシルが効いてきたのでf症候群はもうほとんどいい。これは大きな試練だったのだ。あのままスムーズには行かなかったのだ。あのババアのことは本当に考えない方がいい。真面目に考えることはそれが自虐だ。愛を求めているのだ。でも嫌なことがあるだろう。それで何で怒られないといけないだろう。自虐はやめるというきっぱりとした態度が必要だ。明るく楽しく生きて生きたい。優しく。 明るく楽しく優しく生きる。自虐は一切やめる。これだけだ。これだけで幸せ、感謝しますということになる。幸せは感じ方だ。いつでも幸せだ。人の機嫌を取ろうとすると地獄だ。あのババアの機嫌を取ると必死だった。周囲の人間の機嫌を取ろうと必死だった。でも機嫌をとる必要はない。明るく楽しく優しく生きればいいだけだ。自虐をやめることだ。人との関係が困難なのはどうしたら機嫌が取れるかを考えたからだ。そんなことは絶対に不可能で自分の意志を表示することが大事なんじゃないか。全ての人に気に入られるとか機嫌を取るなんて、自虐以外の何者でもない。自虐は絶対にやめる。人間は花として生まれてくる。目立って目立って、輝くのが花だ。自虐して目立たないようにじっとしているなんて馬鹿だ。全ての人に気に入られたいために何もできなくてうつになるなんて馬鹿だ。明るく楽しく優しく生きるだけでいいのだ。妬みから攻撃されたら反撃したらいいだけだ。人の機嫌を取ることじゃなくて自分がどうしたいかだ。あんなキチガイがどうしているのかとかどうしてあんな風になってしまったのかなんて全くどうでもいいじゃないか。義人であることだけが答だ。 今日は掃除がはかどった。キッチンをやってトイレをやって風呂をやった。脳がこんな状態で本が読めないから、こんな仕事がちょうどいい。私は何も悪くなっていない。昔から今まですごく善良で純情で働き者だ。誠実で真面目だ。 自虐をやめて明るく楽しく優しく生きれば全てうまく行くようになった。パキシルの威力はすごい。 今は今でいいんじゃないかと思う。ここまで傷ついたのは偶然でもあり、必然でもあったかもしれない。でも私は大丈夫だ。自虐などしない。許さない。自分を虐待する奴を理解しようとしたり、依存したり、受け入れたり、なだめようとしたり、仲良くしようとしたりするのは本当にばかげた自虐行為、自傷行為だ。 z氏と会った。いつでも優しいのは彼だけだ。隣の席の馬鹿女が聞き耳を立てているのが見え見えで腹が立って不愉快になった。自分を虐待する奴の機嫌を取ったりはしない。カウンセリングも馬鹿みたいな行為だろう。他人から見たら。でもあのレイプされた女性カメラマンのように実際救われる人もいる。優しく話を聞いてくれる人もいれば、携帯をぱちぱちやったり嫌がらせしたり、聞き耳を立てたりする奴もいる。人間を信じるのは限定的ということだ。 少し寝た。やっぱり疲れている。脳がダメージを受けたかどうかは別として、それ以前から相当疲れていたのだ。もうごまかせないところまで来ている。 うつは休めばいいらしい。これ以上どうやったら休めるのかというくらい休んでいる。でも休んだ方がいい。闘病に疲れた。よっぽど疲れていたんだなと思う。本当にかわいそうだ。自分がかわいそうだ。よくやっている。自虐は一切やめることだ。 何もかも忘れてゆっくり休んでいいよ。新しく正しいことを覚えたらいいのだ。 疲れた。義人になることだ。女にはほとほとうんざりうする。消えてくれと真剣に思う。
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