希望の日記

2006年11月19日(日) 遠足

今日は雨だが遠足の日だ。奈良まで行ってくる。今日はちょっと元気だ。昨日は3時くらいに目が覚めたが、7時間くらいは寝ている。ぼけているから寝てしまう。ぼけたことはいいことだ。パキシルの威力はすごい。ゆっくり休もう。人に会わないことはよいことだ。今は誰にも合わないほうが良い。ぼけているからいじめられる。自虐をやめると楽になる。自虐をやめるにはパキシルを飲むことと、人に会わない。変な奴に近づかないこと。パキシルを飲んで明るく生きよう。
穏やかな気持ちだ。私はいい人間だ。悪い人間とは付き合わない。自虐は嫌だ。自分を愛そう。自分を尊重しよう。
時間をかけることが重要だ。焦らないことだ。人に会わないこと。医者でさえも危ない。私に間違った薬を押し付けようとした。
今日は奈良に行ってきた。釈先生と内田氏の企画で面白かった。贅沢な気分を味わった。朝からボケは良くなっていた。でも適度にぼけていた方がいいと思う。いらいらしたり理不尽な怒りに襲われたりしない。私はうつやptsd、人格障害、いわゆるptsdスペクトラムの疑いが濃いと思う。他方で統合失調症的な反社会性も押さえがたい。パキシルを飲んでいるときにリスパダールを飲むことは大変抵抗がある。医者の言いなりになって大変なことになりそうな気がする。パキシルとリスパダールは飲み合わせが悪いと聞く。セロトニンを増やす薬と減らす薬だから当然だと思う。
少しだけ飲んでみようか。カッとしたり、悪いことを考えたりすることはドーパミンが過剰だからではないか。ヤンキーは生育環境か遺伝か知らないがそういう傾向がある。どっちが楽かだ。週に一回くらい飲んでみて試してみようか。どっちが楽かだ。極端な副作用は起こらないだろう。今はぼけているのでカッとしたり、反社会的なことは思わない。でもボケが回復してくるとまたおかしなことになってくるのではないか。
非常に用心深く行動した方がよい。うっかり変なおっさんと付き合ったばっかりに、ひどい目に遭った。もう二度とこんな目に遭うのは嫌だ。何もかも失う。世の中に悪い奴はいない。宅間とか林のような人間はごくまれだ。悪に対してものすごく執着するとああいう風になる。
パキシルを飲んでも以前みたいに躁状態にならないのはぼけているからではないか。悪とドーパミンが分かちがたく結びついていて矯正が非常に困難だ。サドみたいなものだ。あれを矯正できるだろうか。私の問題行動が生じたのは小学校低学年で、中学高校と維持され、大学で発病した。これを矯正できるだろうか。就職して病気になって悪の道に突き進んだ。全く歯止めのない状態でひどかった。過去のことを思い出し、悔い改めることで改善できるだろうか。何かの宗教に入って悔い改めた方が早いんじゃないか。下町のキリスト、一人さんの宗教に入るか。でも恐いな。生きたリアルな宗教は本当に恐い。オウムも本当の宗教だったから恐かった。ただし手段だけだが。本質や目的はでたらめで邪悪なものだった。邪悪なものは必ず滅びる。
非常に用心深く行動することが肝心だ。今日は一応うまく行った。誰にでも悪はある。人間は善と悪が混じりあった存在だ。そう思うと自分を許せるのではないか。悪いことをすることもある。腹が減って死にそうだったら盗んででも食うだろう。良い悪いというより、人間はそういうものを持っている。でも私は悪すぎる。容易には矯正できない。子供の頃の善良な気持ちを思い出せない。
今人に会わないほうが良い。というよりあの数年間を経た後はもう誰とも会わない方が良い人間に成り果ててしまっていた。それから何か変わっているだろうか。余り人と会わない方が良い奴らばかり集められたあの場所で、生きていくのは可能か。
今の時点では非常に用心深く人を避けたほうが良い。今はまともな状態ではない。ボケとうつ、ptsd、統合失調症の合併症で深刻なことになっている。安易な考えは避けるべきときだ。自重が必要だ。ボケはすぐには治らない。集中できない。集中力が途切れる。気付いたらボーっとしている。自分がボーっとしていることさえわからない。
ptsdとドーパミン過剰状態とどちらが先かといわれたらわからないし、遺伝なのか環境なのかもわからない。多くは偶然だろう。遺伝だとしても偶然だし、環境であっても同じことだ。そんなことは解明できないし、解明できたとしても何にもならないし、そんな気はない。楽しいことがしたい。明るく生きたい。非常に用心深くしていればほとんどの危険は避けられる。私の人格が崩壊寸前であってもだ。そういう時だからこそ非常に慎重でなければならない。考慮に入れる変数が少なすぎるんじゃないか。何も考えずに生きていくことはできない。無邪気に人を信じすぎる。一体いくつなんだ。人を避けて生きたい。人を見ると傷つけたくなる。病気だ。誰もいないと自分を傷つけ始める。
外人は賢いだろうか。核爆弾をいっぱい作ったり、イラクを侵略してにっちもさっちもいかなくなる奴らが賢いだろうか。彼らは肉体的に非常に強い。そして小さなことがわれわれより大きく見えるような気がしてならない。日本人なら気付かないか、気付かない振りをして見逃すところを彼らは徹底的に追及する。自然科学もそのような彼らの性質に負うところが大きい。資本主義もそうだ。非科学的だが、そんな気がする。思考が非常に肉体化されていて明確だ。日本人みたいに曖昧なことは好まない。内田というおっさんが珍しがられるのは西洋合理主義をとことん追求しつつ、東洋的神秘にも寛容なところか。西洋人ではありえない。それと思考が肉体化されている。武道をやっているからだ。ぼけるといいことがある。色々気付く。
肉体的な奴、まねをする奴が本当に嫌だ。あのキチガイババアはそうだ。まねするなというんだ。人と同じことをする。馬鹿じゃないのか。最高にむかつく。一人になりたい。まねされない。変な目で見られない。用心深く人を避けて暮らそう。あんな奴と一緒に仕事をするなんて絶対無理だろう。


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