昨日は良く眠れなかった。興奮していたのだろうか。夜パキシルを飲んだからだろうか。全てにおいて非常に用心深く行動した方がよい。非常に危険なあの場所に戻りたくない。戻るとしたら完全な手をうってからだ。悪いことをしてもだめなんじゃないか。良い人になろう。非常に用心深く生きよう。おばはんなんか近づかないことだ。どうしてうまくいくと考えるのかわからない。外人も積極的で無鉄砲なように見えるが、実は非常に用心深く簡単には心を許さないし、信用しない。信用しているように見えて、じっと見ている。完全に信用するということはありえない。白人は白人しか信用しない。アングロサクソンなんかヨーロッパ人やお互い同士も信用していない。それでやっていこうというのだから強いというか、無謀というか野蛮というか非常に特異な連中だ。非常に宗教的で勤勉でもあるから、富も稼ぐし、戦争も強い。厄介なことこの上ない。 待つことだ。精神状態は簡単には回復しない。パキシルに頼るしかない。ぼけているからいらいらしたり、怒ったりすることは一切ない。 自分を生み育ててくれた人間を憎んだり嫌ったりするのは、良くない。私は女性的だったので母娘問題という形で葛藤があったのかもしれない。それすらわからなかった。それなら姉と母の間にもあるようだ。私が女性的でありながら男として尊重されることが姉は我慢できなかったようだ。今女どもと仲が悪いのも同じ理由じゃないのか。非常に用心深く対処すれば問題ないんじゃないか。私が罪悪感なんか持つ必要何か全くないのだ。女が余り好きではなかったとしても責められる理由はない。女だから女が嫌いで何が悪い。私の問題は解決できない。結局母親とも正面衝突してしまった。私が帰ってきたとき、私を受け入れるどころか非常に忌み嫌っていた。私はそれが信じられなかった。優しく迎え入れられるものと思っていた。中学高校とあれだけ葛藤があったのだから当然だろう。私が母を嫌うように母も私を嫌っていた。近親憎悪かもしれない。もうとやかく言いたくない。自虐にしかならない。これから自由に生きていくのだ。漸く未来に目が向くようになった。私を受け入れ、仲良くするか、全く没交渉となるかどちらかだ。危害を加えるとかいじめるとか、私が依存したり、機嫌を取ったりするということはありえない。どこにそんな人間関係があるのだ。いじめなんか許さない。関係を絶対に断ち切る。 ptsdを治すことだ。それは可能だ。パキシルを数年飲み続けることで次第に改善していく。それで両親との悲劇は終わるだろう。私は私の人生を生きられるようになるだろう。 くどくど後ろ向きのことを書くのはもう絶対やめよう。未来に向かって生きよう。今日は意外に疲れた。昨日の疲れが出た。やっぱり人とあまり会わないほうがよい。朝カルは相性が悪い。 少しずつ薄皮をはぐように回復していく。焦ることはない。ゆっくり待つことだ。ボケも回復する。焦らないことだ。普通の人の気持ちがわかる。いいことだ。文学はトラップだった。そこから抜け出せない。 馬鹿の相手はできない。素直で無邪気に何でも信じる。お人よしで困っている人を見るとほっておけない。それはいいことだが、どこでどう間違ったのか。邪悪な人間に成り果ててしまった。邪悪である必要があるだろうか。自虐をする必要があるだろうか。加虐をする必要があるだろうか。絶対にない。smマニアで、人をいじめるのが好きで、現実と空想の区別が付かないサドやヒットラーみたいな人間だったら別だが。私は絶対に違う。 自分の利益を図ることができないと、人の世話をするどころではない。 今日は公園に行って、いつものように自転車で一周、歩いて一周した。走っている高校生がうざくて仕方がない。邪魔といわんばかりにすぐそばを走り抜ける。スポーツをやる奴にろくな奴はいない。内側の細い道を歩くのが良い。ドーパミンの過剰放出が原因だろう。それからptsdを起こし、うつ、人格障害、ノイローゼ、統合失調症を発症した。パキシルを根気よく飲むこと。それ以外ない。非常に用心深く人と接触を避けること。 トレドミンは結局合わなかったのだ。ノルアドレナリンが出てドーパミンになって、統合失調症の既往歴が出てきたのだ。素人考えだが。パキシルだけをしっかり飲んでいこう。ぼけているからいらいらすることはまずない。 パキシルがなぜいいかというと、ptsdに効果があるからだ。ptsdが良くなれば統合失調症が出てくることはないだろう。非常に用心深く生きたほうが良い。人と不用意に接することは非常に危険だ。b校に行ったのもegに行ったのも森田に行ったのも非常に危険だった。行くべきではなかった。増してあの親父にあったことは痛恨の極みだ。まあ、命があっただけましだ。パキシルだけ飲んでおとなしくしていよう。人に会わなければ会わないほどよい。
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