希望の日記

2007年01月02日(火) 正月

ああ、いい正月だった。正月も体力がいるものだ。私も少し体力が回復してきた証拠だ。何とか過ごせた。一時は朝も昼も夜も寝込んでいた。目覚しい回復振りだ。理系のヤツはたまらない。人間とは思われない。身がすくむ。気持ち悪くて。あと女がダメだ。嫌いとなるともうだめだ。ゴキブリを嫌う理由なんかないのに嫌うだろう。それと同じだ。でも私は生まれ変わった。収穫の年にしたい。若いときは何も楽しめなかった。今こそ収穫のときだ。善良で人が好きで自分が好きな私に生まれ変わった。さすがに一週間飲み続けるとおかしくなってくる。
改めよう。心を入れ替え、行いを改めよう。簡単にできることだ。すごく効果がある。そう思えた自分は素晴らしい。よきことが雪崩のように起きている。善良であるというただそれだけで全てが新しく生まれ変わる。
善良であること。自分と人を許すこと。確かに私は大罪を犯した。でも許す。心神耗弱であった。そうでなかったとしても許す。報いを受けた。これからは自分のために生きよう。楽しもう。喜ぼう。人生の果実を味わおう。嘆いたり、悔いたり、自分をいじめたりして、時間をつぶすのはやめよう。善良な私。
幸せだ。この世は天国だ。それにしてもよく休んだものだ。悪いことをしたわけではない。私はピュリファイされて善良になった。凶悪で凶暴だった心は静まり、穏やかで善良になった。これからはよきことが雪崩のように起きる。現に起きている。奇跡のようでもあり、自然なことでもある。誰でもそうしている自然なことだ。それに気付こうとしなかった私はなんなんだろう。今は気付いた。私も幸せになって良いんだ。
幸せになろう。良くなろう。必ずなれる。自虐と悪と破滅はもうたくさんだ。悪いことなんかしなくても、罪なんか犯さなくてもいくらでも幸せになれる。素晴らしいことに気づいた。人と世の中と自分との絆を再び取り戻した。自分がやるべきこともやり方も全てわかった。どうして今までわからなかったのかわからない。もうならず者の群れに身を投じる必要はない。善良な人々の仲間入りも可能だ。幼い頃から親や教師の言うことをよく聞き、真面目に働いて幸せをつかんでいる人々と同じになれる。良くなろう。幸せになろう。善良になろう。素晴らしいことだ。
全ての問題や悩みは問題でも悩みでもなくなった。全て自然に消えてなくなった。そういうものだ。一人さんも言っている。一人さんの言うことは不思議にもいつも正しい。当たり前のことを言っているからだろう。当たり前のことに気付かない人のために、親切にも一人さんは繰り返し言って聞かせてくれているのだ。ありがとう。感謝感謝。
どうして自分を汚したり、傷つけたりするのだろう。これからは絶対しないぞ。こんなことに気付いた。これもよきことだ。良き気持ちを保てばこの心が幸せの打ち出の小槌だ。神が降りてくる。正直者の頭に神が宿る。悪い気持ちでいれば悪魔が宿っていくらでも悪いことを考え、底なしの地獄に堕ちていく。正直で純情であれば、神が宿って、天国に導いてくれる。善良であろう。善良なまま一生を終える人はいくらでもいる。どうしてそんな当たり前のことに気付かなかったのだろう。病は恐ろしい。でももう悩みは消えた。問題は雲散霧消した。奇跡は起こった。信じられないくらい良きことが雪崩のように起きるだろう。幸せを先送りにしてきた私にも幸せが雪崩のように起きるだろう。
ああ、新年からいいことが雪崩のように起きている。それは私の心の中で起きている。誰も止めることはできない。邪魔することはできない。外から起こるものでないから、お金も要らないし、誰の助けもいらない。それでいて、愛に満ちているから人を助け、世の中を美しく、幸せにする。こんな良いことはない。
m氏から妙な別れのコメントがミクシーにはいっていた。何か気持ち悪い。冷たくしたから愛想を尽かされたのか。どう付き合って良いかわからなくなったのだ。あの人はいいとしても周りにいる人々は受け入れ難い。別れもやむをえないだろう。私は一人が好きなわけではない。でも怪しい人々と付き合うくらいだったら、一人のほうがましかなとも思う。これはいいことなのだ。旅立ちなのだ。またいつか会いたくなったら会おう。出会いがあれば別れもある。別れではなく、新たな旅立ちだ。私のやるべきことはもうはっきりした。うろうろさまよい歩いている場合ではない。一人で迎える正月は悲しいものだ。それは良くわかった。今年こそ新たな出会いがあるはずだ。今まで正月に一人で寂しいなどと思ったことは一度もない。何かが変わり始めた。真人間に戻り始めた。真人間に戻り始めれば加速度的に正常化していくだろう。
私は善良でありたい。それが唯一生き残る道だからだ。あの人たちと付き合うのは何か間違っている気がする。理由はよくわからない。寂しいからといって、問題のある人たちと付き合うのはやはり問題だ。b校に行ったのはどうだったのか未だによくわからない。善とも悪ともつかないグレーゾーンなのだろう。この休みはそれが原因かもしれないと思うと、危険でやめたほうが良かったということになる。でも今こうして大きな気付きの中にいるということは、結果オーライだったのかなとも思う。過去のことはどうでも良いし、今こうして、いろんな人のお蔭で、また私自身の努力と頑張りによって、全ての悩みは消え去った。もう悩まなくて良い。自然に思うとおり、善良に生きていいのだ。
今年は絆を取り戻す年だ。社会との絆、会社との絆、人との絆、これは重要な仕事だ。やるべきことが次々と見つかる。良きことが雪崩のように起きるとはこのことだったのだ。心は絶え間なく移り変わる。水のように留まるところを知らない。それでいいのだ。流れるに任せておけば自然に良きことを見つけてくれる。タオの思想だ。無理をしたり、せき止めたり、がんじがらめに縛ったりしても思うようにはいかない。善良な状態を保つだけだ。簡単なことだ。生まれたままの赤子のように、純情で素直で善良であっていいのだ。
新聞読むのが遅くなった。良いんだよ。オーケーだよ。人が離れていく。良いんだよ。魅力がなくなった。良いんだよ。オーケーだよ。ゆっくりで良いんだよ。こんなにも大きな気付きを得たんだからもう大丈夫だよ。ゆっくり味わおう。人生の素晴らしさ、世界の美しさ。善良な人間には世界はどこまでも開かれている。全世界の真理と善と美が集まってくる。ゆっくりと人生の果実を味わうが良い。善良な人間は固く守られる。篤く保護される。善良な人間は争わない。争わずにすべて望むものを手に入れる。よきことが雪崩のように起きる。絶え間なく。善良な人は愛され、愛することができる。愛はお金では変えない。どんなに資本主義が進歩しようと、技術が進もうと決して変わることはない。itで愛が買えるか。そう思い込んだ男は犯罪者となった。善良であれ。単純な真理だ。
善人への第一歩を踏み出したばかりだ。前は義人という言い方をしていた。同じことだ。既に気付いていたのだ。
善良であること。それだけだ。クリアーすべきことは。自分に課すことは。でも善良になることで色々気付くだろう。自分の悪い点、改善点。今までは全く気付かなかった。それをどんどん直していくのだ。いくらでもやることはあるのだ。遊んでいる暇はない。でも楽しみながらゆっくりでいいから。何の競争でも張り合いでもないのだから。良きことはゆっくり静かに起こるのだ。
ミナミに行ってきた。面白かった。すごい人出だった。デパートもすごい混雑で、少し恐かった。ただ福袋に群がる女心だけは良くわからない。女の戦いなんだろうな。やっぱり世の中の見え方が明らかに変わってきた。勿論良い方向に。これ以上の喜びはないのじゃないか。z氏のことを一時は憎んだりしたものだが、今となってはきっかけを作ってくれた恩人として感謝できる。善良さを結局は教えてくれたのだ。わからずやの私に。薬は私を普通の人間にしてくれる。素晴らしい。善良な私。
徐々に慣らし運転をして行こう。いきなり全開バリバリだときっとまたこける。慎重に行こう。長い引きこもり生活で相当変になっている。気をつけよう。
善良である。nhkを見ている。美しい。正月っていいな。わだかまりが解ける。日本はいいな。子供が可愛い。家族っていいな。今年こそ結婚しよう。


 < 過去  INDEX  未来 >


リスパ

My追加