希望の日記

2007年02月17日(土)

今日は雨が降るっていってたな。調子が良いのか悪いのかわからない。でも調子悪いんだろう。変なことばかり変な風に考える。嫌なことばかり思い出す。だんだん悪くなっていると思う。でも薬を飲めばかなり良くなる。現に今日は朝まで眠れた。良かった。自分が惨めで情けなくなる。恐ろしくなる。悪いことばかりしてきて信頼を失った。良いことをしよう。一人さんの天国言葉を言おう。愚痴ばかり言ってないで、ツイテル、嬉しい、楽しい。ありがとう。感謝します。幸せ。許します。こういう言葉を言おう。天国言葉を。愛と感謝だ。善良であること。善良な面は誰でもある。悪い面も誰でもある。でも人に迷惑かけないように善良な面を出して行こう。それには天国言葉をいつも言うこと。ツイテル。嬉しい楽しい。ありがとう。幸せ。感謝します。許します。いつもそういおう。
なんか調子悪い。酒を飲むからだ。鏡を見ると頭が寂しくなっている。ここ一年で急に進行した。でも仕方がない。命があるだけでも感謝しないといけない。自然界でいえば病気の個体は死んでいく運命だ。生きてるだけで感謝しよう。私はきっと大丈夫だ。きっと復帰できる。ついてる。嬉しい、楽しい。ありがとう。幸せ。感謝します。脳がおかしい。人に馬鹿にされる。いじめられる。怒られる。目が覚めているのに寝ているようだ。物を落としたりするから、物理的に脳がダメージを受けている。世の中はすごい勢いで動いている。こうしていると取り残された気分になる。仕方がない。回復を辛抱強くまとう。良いことが起こりそうな気がする。ツイテル。嬉しい、楽しい。ありがとう。感謝します。幸せ。許します。
世の中が遠く感じる。世間が遠く感じる。きっと良くなる。愚痴は言うまい。きっと良くなる。ツイテル。嬉しい。楽しい。ありがとう。感謝してます。幸せ。許します。
脳がぼけたのはどうしたらいいだろう。医者は様子を見ようといっている。なかなか回復しない。ろれつが回らないし、しゃべりたいと思わない。何も思いつかない。前はものすごい勢いで話題を思いついていたのに。やがて回復するだろう。間違いない。
しんどい。元気が出ない。z氏にも怒られた。でも怒られてもボーっとしてしまうのは仕方がない。脳がおかしいのだから、脳をしかる奴はいない。ゆっくり休むことだ。医者に言っても仕方がない。善良であること。感謝。楽しむこと。ツイテル。嬉しい、楽しい。ありがとう。幸せ。許します。
私は母親に感謝している。どれだけ感謝してもしきれない。またいっぱい傷つけたことを申し訳ないと思っている。これ以上は絶対傷つけないと誓う。どうしてそういう風になったのかわからない。親不孝な人間になったのか。母親が嫌いになったのか、わからない。でも理由はどうあれ、反省しているし、もうしない。もうできないだろう。目の前にいないのだから。統合失調症が原因だったら、私の責任ではない。勿論申し訳ないと思うが、自分ではコントロールできなかった。悪がわが身に忍び込んで私を乗っ取った。かわいそうなのはこの私だ。私を憐れんでくれ。ヒトラーやサドも悪魔に自分を乗っ取られたのだ。かわいそうな奴だ。かわいそうだが、罪は罪だ。許すことはできない。
ヒットラーもサドも三島も尋常な死に方ではなかった。畳の上では死ねない。しかし私は悔い改めて、正しい道を歩くことに決めたし、今までに十分報いを受け、反省もしている。謝罪もしている。これからは悔い改めて正しい道を歩いていこう。善良に生まれ変わろう。感謝と楽しみだ。母と葛藤が生じた理由はわからない。姉も母と葛藤があるから、不思議ではない。でももう終わったことだ。謝罪も反省も済んだし、これからは二度とない。それから薬の効果で統合失調症がかんかいし、自分の罪がクリアーになり、自分を許せるだろう。病気のせいだったのだとはっきりわかる。それが治るということだ。直っていないのに反省するということはできない。薬を飲んで治ってそれから自分の罪を認めることができるのだ。悪事を行ったときと、今が別人だから反省も謝罪もできる。全く変わっていなかったら、何が悪いのかもわからないし、また同じことをする可能性もあるのに謝罪はできない。今は私は別の人間になったので(脳がぼけたのと、薬の効果)自分の悪い点がはっきりわかる。自分がいかに狂っていたかわかる。狂っていたから悪いことをするのだ。狂うということと悪いこととはほぼ等しい。ぼけたことは喜ばしいことなのだ。もう悪いことはできなくなった。悪かった、狂っていた自分とは別人になってしまった。我に返ったのだ。これで自分の罪の重大さがわかり、悔い改めることが可能になるのだ。奸智に長けた人間でいたいだろうか。私はそうは思わない。真っ正直で善良な人間でいたい。統合失調症から脱したい。そうすればはじめて社会生活に復帰できるのだ。脳がぼけたのは良いことだ。ごまかしが利かなくなって怒られたりする。これは良いことだ。自分が社会化されるのだ。父親も晩年はボケが進行して、悪いことはできなくなっていた。それが大事なのだ。私はもう悪いことはできない。それは悲しいことではないだろう。嘆くことではないだろう。統合失調症から覚め、妄想から脱し、自由になるのだ。善悪の区別ができ、過去の罪を悔い改め、あれは狂気の故であったと自分を許すことができるのだ。
私も脳がぼけてやっと良くなる可能性が出てきたのだ。やっぱりぼけたのは良かったのだ。人が何を考えているか良くわかるようになった。薬を飲めば病気は治る。医者が太鼓判を押している。そうすれば罪を犯した私とは別の人間に生まれ変われるから、真に悔い改め、反省することができるのだ。同じ人間の延長線上だったら、絶対反省も謝罪もできない。悪の源泉は私の場合、病気と同じだ。薬を飲めば悪も良くなる。私は善良になれなかった。しかし今度こそ善良になれる。人の苦しみを自分の苦しみとすることができる。hやkは悪くはない。おかしいのはおかしいが、もっとおかしい人間はいくらでもいる。あの職場の人間は全員おかしいということになる。でも戻らないといけない。それには統合失調症を薬で治すことが簡単で確実だ。呼吸法もいいが悪化しすぎているのと、努力を要するのと、すぐ元に戻るのとで実行が難しい。薬を飲むのは簡単で確実だ。元に戻りにくい。医者にもしかられた。薬をきちんと飲まないで逆戻りすると。フッキーのことはこれで吹っ切れたな。あんなきちがいのことはこれで忘れられる。私がすべきことがわかったこと。ぼけたことは悪くないこと。これで問題解決だ。
ぼけたことは悪くない。統合失調症を薬を飲んで治すこと。呼吸法もやってみようかと思う。簡単だ。一日5分で良い。薬で統合失調症を治して悪を過去のものにしよう。そうすれば自由に色々行動できる。社会復帰もできる。善良であって賢いのが一番で、悪い人間はだめだ。統合失調症を治せばいくらでも働ける。過去の自分を許すことができる。
モラハラの被害から脱出できる方法がわかった。心臓呼吸だ。私の場合はこれに統合失調症の薬が必要になってくる。愛されたらどうしたらいいか。感謝することだ。何かしてもらったらありがとうということだ。感謝の気持ちを持つことだ。私は世界に違和感を持たない。居場所がないとは感じない。感謝の気持ち、お返しをしようという善良な気持ちがあれば、居場所がないなんて思わない。人から愛されて嬉しいと思うならば感謝の気持ちを持つことだ。善良であることだ。
この一年はあのキチガイのためにえらいことになった。でもやっと脱出できる見込みがついた。統合失調症の薬と呼吸法だ。薬がこんなに効くとは思わなかった。やっぱり私はただのうつではなかったのだ。ptsdといえばそうも言えるし、うつといえばそうだし、統合失調症といえばそうとも言える。複雑極まりないのだ。
n氏にも結局世話になったのだから、嫌ったり恐れたりというのはおかしいのじゃないか。やっと気付いた。あの坊さんに何で付き合うのとか言われると付き合ってはいけないのかと思う。確かに付き合ったからとてメリットはない。友達といって自慢できるわけでもない。ちょっと変わった人ばかり集まってくる。ボランティア的な気持ちだったらやめたほうが良いだろう。この一年は三者に振り回された。これからは自分らしく生きよう。何が何でも人と付き合わないといけないわけでもない。一人心静かに生きる道もある。寂しいからといって変な人と付き合うのは危険が大きすぎる。それは痛い目に遭ったじゃないか。n氏には感謝の気持ちでいっぱいだ。色々世話になったし、寛容であった。あんな優しい人はいない。感謝ができる唯一のことだ。
目のかすみがかなり良くなった。素晴らしい。このまま行けば心配要らない。呼吸法のお蔭で少し落ち着いたのじゃないか。これから毎日やろう。何でもやろう。
完全に酔っている。散髪屋のことがptsdになっている。どうしてあんなことをされないといけないのか。さっぱりわからない。


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