希望の日記

2007年02月18日(日)

今日も雨か。気分が優れない。酒を飲んだからだ。週一にしようかな。でも昨日は悪くない気分だった。ぼけたのもいいことだとわかった。薬を飲むこととぼけたことで新しい人間になるチャンスを得た。統合失調症が治ってまともな人間になる。心配ない。大丈夫だ。これを一日100回ずつ言おう。心配ない。医者が保証してくれた。薬を飲めばまた安定してくる。実際一度は安定していたのにどうしてぶち壊すようなことをする。心配ない。大丈夫だ。これを繰り返していると少し落ち着く。余計なことを考えなくなる。それと深呼吸だ。回復軌道にはいっている。薬さえ飲めばよくなるのだ。統合失調症から逃れられるのだ。ptsdやうつからも逃れられるのだ。キチガイとの一件で人が恐くなった。母親や兄弟さえ恐い。信用できない。傷つけられるんじゃないかと身構え、自閉してしまう。引きこもりみたいになっている。傷つくのが恐い。最近人に怒られたり、いじめられたりすることが多い。弱くなったのだろう。ボーっとしている。しかしそれは重要ではなくて統合失調症を治すことと、生まれ変わることが私のミッションである。サドや三島の影響を抜け出すことだ。頑張ろう。薬を飲もう。
薬を飲もう。心配ない、大丈夫だと唱えよう。一日100回。統合失調症さえ治れば立ち直れる。統合失調症さえ治れば、昨日のこともどうでも良い。どうでもいいのだ。こだわってしまう自分。心配ないのだ。愚痴を言うともう一度嫌なことを体験してしまい、何度でも傷つくのだ。それが病気の原因といっても良い。一人さんの言うとおりだ。悪徳裁判官だ。もうやめよう。その代わり、心配ない。大丈夫だ。ついてる。嬉しい楽しい。幸せ。ありがとう。許しますと唱えていれば良い。人間はある意味単純なのだ。複雑極まりない面もあるが。
薬を飲もう。呼吸法を再開しよう。呼吸法は効果がある。ptsdと統合失調症を併発している。神経過敏になるのは当たり前だ。健全化しよう。
怒られたり、いじめられたりすることは気にしない方がいい。それより大事なことは統合失調症を治すことだ。自分をコントロールできるようになることだ。それまで気長に生きよう。気長に治療しよう。善良であること。感謝、楽しむこと。今こそ傷ついた自分をこの上なく大事にして、癒すときだ。自分は傷つけられてもいいとか、いじめられてもいいとか思わないことだ。この一年で傷ついた。さらに大事にする必要がある。薬を飲んでゆっくり養生する。大事に扱おう。呼吸法も再開しよう。
モラハラから脱出できそうな気がして来た。統合失調症を薬で治すこと。呼吸法で変な反応を消去すること。これは可能だとわかった。きっと大丈夫だ。心配ない。脳のぼけもきっと治る。むしろ自分を変えていく上で必要なものなのだ。正しい反応を植えつけなおす上で必要な過程なのだ。この世で無駄なものは一つもないのだ。
目のかすみが治って活字が読めるようになって来た。良かった。既にそう感じていたので再現できるだろう。少し希望が出てきた。これ以上悪くならないだろう。良くなりそうな気がする。呼吸法と薬を真面目にやればきっと良くなるという希望、確信が生まれた。モラハラは極論すれば私個人の問題だ。相手を変えることはできない。相手は自分の鏡だ。自分が変われば相手も人生も驚くほど変わる。鏡の法則だ。呼吸法と薬。モラハラは呼吸法で過敏状態を治し、正常化することで脱出できる。必ずできる。カウンセリングは余り根本的な効果はない。いまだにどこに行っても女はいるとか、こんなんじゃ復帰できないとか原始的な脅しをやるような奴は全くモラハラというもの、統合失調症を理解していないということだ。あっても無駄ではないかと思う。単なる気晴らしと考えた方が良さそうだ。彼にモラハラや統合失調症を教えてやらないといけないのが骨だ。しかも多分理解する気も能力もないと思う。この間フィルター理論を説明するとすんなりわかったようだ。もうこれで押し通そう。
目が少し見えるようになった。希望が出てきた。呼吸法と薬で十分自分をコントロールできる。呼吸法で楽しくなってきた。人生が楽しくなってきた。人生の楽園はここにあった。
呼吸法や薬は追い込まれた私を救ってくれると確信した。脳のダメージも回復してきた。きっとこれも良かったといえる日が来る。今もうだいぶ良くなってきた。サドや三島は私に心の自由を教えてくれたと思う。勿論デメリットも大きかったが、何かから自由であるということを教えてくれた。モラハラや神経過敏はその副作用だろう。でもそれも克服できる日も近い。
過去に統合失調症を発病した。それは事実であって変えようも否定もできない。今その影響下にあるということを認めると嘘のように楽になった。どうして今まで意識しなかったのか不思議だ。人生で一番大きな出来事だったかもしれないのに。そうすれば自分をもう少しケアーできたのに。自分がケアーの必要な人間あるいは状態と認識できたのに。しかし今からでも決して遅くない。今気付いたのだから仕方ないだろう。こういう運命だったのだ。決して悪いとは思わない。薬を飲むことと、呼吸法、休息すること。自分を大事にすること。これで確実に治る。改善する。自分をコントロールできる。復帰できる。
心配ない。大丈夫だ。これを一日100回言おう。呼吸法を複数回。
自分の病気、統合失調症を認めると客観的に自分を見られるから、嘘を言って指摘されても反論できるし、自己防衛できる。逆に自分が薬を飲まないなど、間違ったことをして不利な結果を招くと否定できない。統合失調症とモラハラで行こう。結局結論はこれなのだ。悪いことではない。自分を大事にするのだ。
呼吸法はやっぱりいいかもしれない。あのカウンセラーはいいかもしれない。相当研究している。モラハラは相手を変えることではない。自分を変えることだ。法的な手段をとることはできない。私は統合失調症の治療と、呼吸法で乗り切る以外にない。自分で自分を守るしかない。モラハラといっても呼吸法だ。それで脱出できる。確信している。それしか方法はない。逆に言えば。上司に言おうが、人事に訴えようが、法的手段に訴えようが、うまく行かない。呼吸法と薬しかない。散髪屋の件もそれしかない。統合失調症は十分認識してケアーすれば治る。必ず治る。呼吸法もいい。カウンセリングは気休めしかならない。目のかすみも治った私。必ずうまく行く。
統合失調症の治療が一番大事だ。眠れるようになることだ。今から慎重に頑張って治していこう。どうしてこんなになるまで放っておいただろう。
自分を悪者にしようとしていたけれどもそうではない。やっぱり病気なのだ。
ぼけることはわるくはなかった。統合失調症の薬を飲むこと。呼吸法。これで私は救われるだろう。復帰できるだろう。間違いない。
今日は割とさえている。本が読めるのは2,3日前からわかっていたが今日は特によく読める。嬉しい。抜群だ。統合失調症は治りそうな気がしてきた。過敏状態も治るだろう。頑張る必要はないのだ。頑張ってはいけないのだ。何を頑張るのだ。全くわからない。自分を大事にしよう。本当に大事にしよう。慎重に生きていこう。絶対にうまく行く。今度こそ間違いない。
自分を中心に考えよう。薬を飲んで統合失調症を治すことだ。呼吸法もいい。頑張って戦ってはいけない。何で戦う必要があるのだ。嫌だったら嫌でいいのだ。何で機嫌を取らないといけないのだ。あの何も理解できないカウンセラーとか、何回説明しても私の苦しさが理解できないのに、何で下らない質問に答えないといけないのかわからない。理系出身者にカウンセラーなんか無理に決まっている。文系人間の苦しみなんかわかるわけがない。薬を飲むと本当に楽になる。
私は今頑張れない。それでいいのだ。ゆっくり休むのだ。薬を飲んでじっくり休むことだ。慎重に行動しよう。頑張ってはいけない。


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