呼吸法はいいようだ。少し落ち着く。薬を昨日飲んだ。朝まで一応眠れたようだ。11時までとは行かなかったが。あのキチガイのことは忘れられそうだ。許すとか言うことではなく、あきれたかわいそうな奴ということで、処理されつつある。完全回復まで時間の問題だ。でもメジャートランキライザーと一年の歳月が必要だったということは衝撃の大きさを物語る。人が信じられなくなっているのだ。誰も信じられない。肉親でさえも信じられない。自然と遠ざかる。人と会っても楽しくない。恐い。すくんでしまう。あのたった一夜の経験がptsdになったのだ。私を変えてしまったのだ。z氏も信じられない。人を信じるのはその人が信じられるかどうかではなく、こちらの気持ちの問題だ。宅間のような人間でも信じることは不可能ではない。天使の様な人間でも信じられないかもしれない。こちらの心の傷とか色々複雑な作用で信じられるかどうかが決まる。 またあのときのように元気になれるだろう。何で被害を受けるとわかっているのに行くのか。自分を大事にしよう。だいぶ元気になってきた。あと一息だ。善良であること。感謝すること。楽しむこと。 調子良いのか悪いのかわからない。何となく不安だ。人が恐い。外出が恐い。人が盛んに活動していることが恐い。元気になれるだろう。薬と呼吸法で。 人の機嫌を取るなと一人さんが言った。その意味がわかりかけた。人の機嫌を取ることは良くないと思う。自分の機嫌を取るのだ。不安になるだろうか。そんなことはない。最初のご機嫌取りはあの出来の悪い子だった。その次があのいじめっ子で、次が貧乏人の馬鹿息子で、その次が低脳児だった。それ以来人と付き合うのが恐くなって自閉するようになった。それが統合失調症の入り口だったろう。機嫌の悪い奴の機嫌を取るなんて止めた方がいい。今ははっきりとわかる。人の機嫌なんか取らない方がいい。それがはっきり良くわかった。z氏だって私が機嫌を取る必要はないのだ。自分の機嫌を取るのだ。ついてるとか幸せ、ありがとう、嬉しい、楽しい。感謝してます。許します。と唱えていればいい。 薬を飲んで統合失調症を治し、呼吸法でptsdを治す。 人の機嫌を取ってきたために自分のことがおろそかになるわ、孤立するわ、自閉するわ、他人を省みなくなるわ、ろくなことはなかった。これからは自分の機嫌を取ること。人には親切にし、愛ある言葉を言っていれば十分だ。人の機嫌ばかり取るから、人が自分の機嫌を取ってくれないと不機嫌になったりするのだ。それはおかしいだろう。人の機嫌を取って何かいいことがあっただろうか。統合失調症になってしまうくらい不合理なことなのだ。人の機嫌を取るということは。人が自分の機嫌を取るように仕向けてもそれを感謝するどころか、冷淡な態度をとる。おかしいじゃないか。であればお互い機嫌などとらず、自分の機嫌を取って愛ある言葉を言っていればいいのだ。人の機嫌を取ることと自分いじめ。二大良くない習慣だ。私はもう報いを受けているのだからこれ以上自分をいじめることはないのだ。悪徳裁判官は追放しよう。自分を尊重しよう。人の機嫌なんか取るから人の評判が気になったりするのだ。人の評判がどうしたのだ。関係ない。自分がしっかりしないといけないのに。自分が大事で自分を一番尊重しないといけないのだ。自分を愛することから、人を愛する気持ちが生まれてくるのだ。自分が可愛いからわが子が可愛いのだ。人の子なんか可愛いと思うのはちょっとおかしい。勘違いしている。人の機嫌を取ろうとしている。病的だ。そういう人はいることはいる。ユニセフとか。たいがいそういう人は自分は幸せではない。自分の機嫌をとらずに人の機嫌を取ってしまう人だ。自分は不幸でもいいから不幸な他人に幸せになってほしい。それは歪んでいる。普通に戻ろう。そうすればモラハラなんか気にならなくなる。今はほとんど気にならないが。 なんばに行って掃除機を買ってきた。すごい吸引力。ただ軽くはない。帰りにくそみたいな餓鬼の集団に巻き込まれた。ほんとに餓鬼はむかつく。死ねと思う。眼はだいぶ良くなった。この分なら半年後にはバッチシ治っている。薬で統合失調症を治し、呼吸法でptsdを治す。私は色んな病気を併発していると考えた方がいい。うつかもしれないし、統合失調症かもしれないし、ptsdかもしれないし、人格障害かもしれないし、ノイローゼかもしれない。その全てかもしれない。統合失調症の原因は人の機嫌を取ることだ。小さい頃からの生き方を見ていればわかる。それを今改めれば大きな効果がある。もっと自分勝手に生きていいのだ。自分の機嫌を取って、自分を尊重して、自分を大事にするのだ。今はそれができそうだ。 統合失調症の新しい本を読んでいると目からうろこが落ちる。脳の様々な損傷や障害が色々な症状を引き起こす。精神的な問題はどこかに吹き飛ぶくらいインパクトがある。z氏に読ませたいものだ。私のことが全く理解できない人々に読んでもらって、私を迫害するのをやめてもらいたいものだ。私を迫害するんじゃなくてケアーしないといけないんだろう。どうしてそれができないんだ。これはシリアスな問題だ。真剣に取り扱ってもらいたい。 馬鹿と戦わないことだ。女が気持ち悪いのは仕方がないが、戦うのは無理だ。得策ではない。女が嫌いなのは病気だが、戦わないことは可能だ。今になってそういうことはわかるが、自分の病気がわからないうちはそうは思わなかった。無理をすることはない。というかしてはいけない。どうして無理ばかりするのか。一言で言うと原因はそれだ。無理をすることだ。自分いじめだ。嫌な奴の機嫌を取ったり、自分が不利なことばかりしたり、自滅的自虐的行動に出たり。それが原因だ。それを意思の力で今すぐ改めよ。精神的リスカ。社会的リスカばかりやっている。人の機嫌を取るな。自分の機嫌を取れ。 利己的人間になれ。善良であれ。自分いじめを止めろ。女が嫌いとかおばさんが嫌いとは何を意味しているか。自虐である。女を嫌うとは自虐行為である。自分が幸せであること。幸せになることが嫌なのだ。なぜそう思うようになったのかわからない。でもそれは意思の力で変えられる。自虐行為をやめればうまく行くんじゃないのか。人の機嫌を取ること。それは自分が不幸になること。自殺をすると喜ぶ奴がいるからだ。どうしてそんな奴を喜ばせないといけないのだ。ここに私の倒錯性がある。 人の機嫌を取ることから私の不幸が始まったことが明らかになった。人の機嫌を取ることは自虐である。女が嫌いになることは自虐である。馬鹿馬鹿しい。得策でないことをやることは自虐である。女と争うのは得策ではない。多勢に無勢である。得策でないことをやるのは自虐である。自虐はやめるべきである。自虐は人の機嫌を取るためである。絶対やめるべきである。精神的社会的リスカである。利己主義で行こう。人の機嫌を取らずに自分の機嫌を取る。これがこの一年で得た教訓である。 あのキチガイとの一夜から人間が恐くなった。信用できなくなった。大嫌いになった。夜眠れなくなった。どんどん悪くなる。いくら休んでも良くならない。悪くなる一方だ。だがこれからは違う。どんどん良くなる。薬と呼吸法だ。 薬を飲むことと、呼吸法と、休むことと。自己啓発本を読むことくらいだ。自分で自分を分析したり、何とか療法をやったりするのは無益だし不可能だ。認知行動療法。無理だろう。なぜこうなったか。そんなことわかるか世界中の学者が研究してもわからないのだ。ただ50%は遺伝で残りは環境らしい。そんなもの私の責任は一つもないじゃないか。私にすればいい迷惑だ。楽しい人生が苦しみに満ちているじゃないか。 今読んでいる統合失調症の本は良くわかる。素晴らしい本だ。科学的だ。非常に多くのことが最新科学でわかっているのだ。われわれ兄弟は同じ脆弱性を受け継いでいるらしいが、私だけが何かの都合で強い遺伝的素質を受け継いだらしい。冬生まれに多いとか、出産時に何かあったんじゃないかとか、ウィルスに感染したんじゃないかとか、色々推測できる。それと自分で選んだ偶然の行為の連鎖がストレスに弱い性格を作った、つまり偶然によるものとも考えられる。はっきりしていることは私が一度はこの病気に罹患したことだ。それ以来再発はしなかったが、人格に大きな荒廃をもたらした。薬を飲むべきだったかもしれないが、私は無力で孤立無援だったので仕方がない。人の機嫌なんか取らない。決して取らない。それが私の発病につながったかどうかはわからないが積もり積もって引き金になったかもしれない。それは原因であったかもしれないし、結果だったかもしれない。人の機嫌を取ったり、自分に不利な選択をしてしまうことは何かの遺伝的な素質の結果かも知れないし、偶然の事件による結果かもしれない。色んな条件が複雑に絡まりあっているので誰にもわからない。私が考えるべきは自分がそういう素質を持っていること、再発を抑えるため、薬をしっかり飲むこと。心穏やかに過ごすこと。自分に有利な選択をすること。 希望の光が見えてきた。統合失調症という切り口で自分の人生、今回の休み、職場のこと、これからのこと、人生を考え直すことは非常に有効であるとわかった。医者が私の病気を見るのと同じ目で見れば間違いないだろう。酒を飲むのがいいことか悪いことかはっきりしている。
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