今日は曇りだ。朝すごいいびきをかいて寝ていた。眠れないわ、いびきはかくわ、頭はぼけるわひどい状態になってきた。でも今日は悪い気分ではない。そういう自分を受け入れられるかどうかだ。頭がぼけようと何でも良い。自分を受け入れられると楽になる。すごく明るい気分だ。いい気分だ。 頭がぼけても自分を受け入れる。あんな原ザリでも許せるようになった。許せると楽になってもう二度とodはしないと思える。よくなった。原ザリ症候群は良くなったといえる。これから自分を癒そう。 人に優しくできる余裕ができた。人が恐くなくなった。やっと私も良くなった。頭がぼけていてもいなくても。頭のぼけはすぐに治るだろう。治らなくてもこれで満足だ。素晴らしい私。これでいいじゃないか。 目が暗くてぼやけている。やばいかもしれない。自分の持ち物は脳しかないのにそれがぼけたらもうどうしようもない。でもこれから良くなる。人が恐いということがなくなった。人を許せるようになった。原ザリ症候群はなくなった。今朝目が覚めたとき、良くなっていた。温泉なんかにもいける。でもできたら行かない方が身のためだ。人が恐いというのはまだ残っているかもしれない。この間のハイキングのときも恐かった。いいんじゃないかと思う。ゆっくり直していったらいいと思う。zの言うとおり、egとか出たり、その流れで色んな活動をしたりしたが、今はこのざまだ。外に出るのも嫌だ。一日中寝ていたりする。これで回復するのか。酒は良くないので、週一にしよう。 今無理して活動する必要はない。無駄遣いになる。原ザリの破壊力ははかり知れない。何もかも私から奪い去った。今まで努力して広げてきたもの、人間関係、親兄弟の絆、会社関係の絆、ひそかな楽しみ。全てを一瞬にして奪い去った。あのキチガイ。世界一遭うべきでなかったキチガイ。でももう許した。許してしまえばどうと言うことはない。人のために自分を犠牲にする考えはやめたほうが良い。 誰でも出会えばいいというものではない。自分は今しんどいのだから、人に会うべきではないのだ。zにも会わないほうが良いかもしれない。それにしてもどうして原ザリなんかに遭ってしまったのかわからない。誰彼構わず会っているうちに結局あんな猛毒菌みたいなものに会ってしまうのだ。しかしもう私は許した。優位に立った。愚痴を言うことはまた劣位に立ち、影響力を認めることだ。もう私はあんなものの優位に立っている。今日は薬を飲もう。薬を飲むことは良いことだ。必ず復帰できる。良い方向になる。目のかすみも治るし、脳のダメージも回復する。人間関係もうまく行く。 ミナミに行ってきた。つまらなかった。世の中が違って見えた。またいっそう世の中が遠く見えた。私を置き去りにしたように思えた。帰りの電車で変なおっさんにため息つかれるし。お前なんか関係ないだろう。わざとらしいんだ。でも世の中簡単に見えた。本が読めないから暇のつぶしようがない。本が読めればいくらでもあるから暇のつぶしようがある。原ザリ症が完治していれば、ババアとトラブル起こさないから旅行もできるが今は無理だ。 ブラジルの格闘技事情を描いたドキュメントを見た。よく知っているので見ごたえがあった。貧しいけど立派な若者だ。見習おう。見ているときも自分の身の上が堪えた。最近どこに行っても浮いている自信がある。日曜だろうと平日だろうと、街角であろうと病院であろうと。人が見ないようにしながら見ているのを感じることができる。文字が読めなくてもテレビを見ていれば良い。ドキュメントでもドラマでも見るものはいっぱいある。今それしか見れないのだからそれでいいのだ。aに行ってもビデオ上映会とかやっているんだから同じだろう。人に親切にすることだ。それが人と交流するきっかけだ。原ザリ以来それが恐くてできなくなっている。原ザリにも坊さんにも優しくしようとして自分が傷つけられた。しかし原ザリみたいな凶悪な人間はいない。だから安心して心を開くことだ。病院の医師も私が傷つけるのではないかと怯えているのだ。傷つけられる前に傷つけようとするからああいう対応になる。一年たっても考えるのは原ザリのことだ。なんであんな恐い人間がいるのか。人間ではない。何でそんなものと出会わないといけないのか。何が森田療法だ。何がカウンセリングだ。一番信用ならないのはあの似非カウンセラーじゃないのか。自分が傷つけられるのが恐いから人を傷つけるというだけじゃないか。 今日はでもましな方だった。心が安定していた。出かけたくはなかったが、出かけるとそれなりに楽しめた。後半年たてば何とか復帰できるくらいに回復している。その頃には旅行もできるくらいにはなっているだろう。人に優しくできるようになっているだろう。傷つける人間ではなくなっているだろう。人を恐がっていると自分が傷つけようとしていると誤解される。だから恐い間は人に会わない方がいい。親兄弟でも会わない方がいい。具合が悪いのであって、私が悪いのではない。 自分にはできることとできないことがある。できないことを自分にしないことだ。そうするとサボっているとか怠けているという奴がいる。しかりつけたり、無理にやらせようとする。でも無理にやらせようとすると心がダウンしてしまう。無理はできない体質なのだ。原ザリに会ったことが不幸だったのだろうか。そうではない。それは自分にできもしないことやる気もないことを引き受けてしまう私の根本的問題に原因があるのではないか。第二第三の原ザリはいつか現れるのだ。坊さんであったり、n原であったりするのだ。そんなことをする必要はなく、心静かに休めばいいだけの話だ。抗うつ剤も飲むべきだったかどうかわからない。似非カウンセラーに出会い、egに行き、b校に行き、サークルに行き、森田に出てついに原ザリに出会った。一連の行為だったのだ。原ザリが悪いのなら、似非カウンセラーも悪いということになる。統合失調症という原点に戻るべきなのかもしれない。だから今の似非医者の言うことをおとなしく聞いていればいいと思う。脳がダメージを受けていて、酒を飲んで寝ると口をあけていびきをかいて寝るのでのどがはれる。お蔭で耳がおかしくなってしまった。また医者の厄介だ。最近こればっかりだ。 ゆっくり休めばいいんじゃないか。休めないのは良くない。休むことだ。楽をすることだ。原ザリは職場にも居る。私を攻撃する奴は原ザリだ。どうしたらいいのかわからない。こんな状態に陥ったのはどうしてだかわからない。原ザリとの出会いは偶然ではなかった。そう思う。この2年くらいはアクロバットのようなことをしていたんじゃないか。いずれこういうクラッシュが来るのだ。もうきてしまったものは仕方がない。ここから這い上がるのだ。毎日寝て暮らしても構わない。消耗期なんだから仕方がない。
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