医者に昨日は行ったが、なんか歓迎されない感じでかつ求めたものは得られず、医者は頼りにならないのだとわかった。どうしたらいいのか。ただ寝ているだけか。楽しくない。母親に電話した。いきなり電話されても困るだろう。調子悪いことは言わなかった。心配されても困るので。少し気分が楽になった。母親しかいない。自分を心配してくれるのは。 境界例のことを少し勉強してみようかと思う。思い当たることが多い。統合失調症と神経症の境界に位置するという定義も思い当たる。最初に発病したときそういわれた。統合失調症の薬で眠れるようになるのにしんどさは消えないのは境界例だからじゃないか。境界例だとすると厄介なことになる。薬だけ飲んでいればいいという感じじゃなくなる。過去のこととかまた穿り返さないといけないのかと思う。というか有効な治療法はなさそうだ。統合失調症の薬を飲んである程度は良くなるが、それ以上ではない。相変わらず人が恐いし、自分で自分のことができないし、人付き合いはだめだし、女は恐いし、どうにもならない。 境界例だとすればどうしたらいいのか。見当もつかない。似非カウンセラーとまた長いお話をしないといけないのだろうか。 jrがまたダイヤが乱れているので帰ってきてしまった。不安になる。ちょっとしたことで。外出も少し緊張するのだ。しんどい。原ザリがどうとかより自分自身がおかしくなってきたので厄介だ。人と会話できない。感情の交流ができない。昨日の医者との会話でもおかしかった。今日の母親との会話でもおかしかった。自分を見捨てないことだ。自分を見捨てないでそこそこ頑張ることだ。結婚しないとか家を買わないとか自分を見捨てているんじゃないか。境界例となると厄介なことになる。本も読まないといけないし、カウンセリングも受けないといけない。決め付けるわけじゃないがその疑いがある。統合失調症だったら薬を飲めばすぐ治るだろう。睡眠は取れるようになったが、不安は取れない。 死にそうだ。しんどい。薬を飲んでもこの症状は取れない。不安とか落ち着かないとか。死にたいとか。自殺のそぶりとか。境界例らしい。 私がこんなにしんどいのは私のせいではない。症状なのだから誰か何とかしてほしい。ただ最近時々思うのは自分がすべきことをしていないという感じ。客観的に見るとそうなんじゃないか。自分がすべきことをしていなかったらそれは何もできない。薬も効かない。例えば仕事は自分でするものであって人がしてくれるものではない。掃除でも料理でも同じことだ。余りにも人が恐いという理由で行動ができないところがある。自分がしたいことがあったら、自分がしたいように行動することだ。 どうも自分は境界例のようだ。時代の流れに敏感な私はそういうところも先取りしていたのだ。家庭内暴力、不登校、引きこもり、自殺未遂。入院。統合失調症と神経症の境界的な症状。ptsdが疑われること。どうも境界例のようだ。だからといって特に治療を受けたことはない。似非カウンセラーのお蔭でそうではないかと思った。不安とか孤独でいられないとか思い当たる。医者に行っても解決できない。病院では治らないのではないか。h医師のところに行った方がいいのか。 過保護とは広い意味での虐待である。母親が父の死後私にしがみつくようになったのは、近親姦的侵犯であり、母子癒着の再現であり、許されるものではない。見捨てられ不安をどうして私に持つのか。おかしいじゃないか。あの頃の数年間が何であったのか理解できないし、理解したいとも思わない。もう忘れてしまいたい。文学にしたいと思っていたが、それは辛すぎないか。止めておこうと思う。自分が本当にしたいことはそんなことじゃない。
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