昨日は一応眠れた。脳がぼけて薬を飲んだら12時間眠れるようになった。それから耳鳴りがしてそれが短縮されて、7時間くらいになった。良いのか悪いのかわからない。新聞も読む気がしない。読んでもわからない。脳が死んだようにボーっとしているので何が書いてあるのかわからない。新聞だけではなく、会話でも同じだ。ミクロ単位でおかしくなっている。 復帰のことは考えたくなかったら考えない。昨日のおばちゃんの助言に従ってそうしよう。それにしても元気がない。ボーっとしているから、世の中についていけるか。昨日も人ごみを歩くのに大変疲れた。 しんどい。でも昨日よりはましだ。昨日は目が覚めたが一応眠れた。こんな休みになる予定じゃなかったし、もっといい人間になる予定だった。素晴らしい人間になると。それが字は読めない、何も気力のない人間になってしまった。どうにかならないだろうか。犬鳴山に修行に行こうか。滝に打たれたらどうにかなるか。 このくらいでいいじゃないかと思う。完ぺき主義はやめよう。完ぺき主義だと苦しくなる。楽なように生きていこう。苦しみを求めるのはやめよう。小説を書こうなんて体弱いからk1やるというのと同じだ。やりたいと思わないじゃないか。最初から。自分のやりたいことをやらないから、やりたくないことをやってしまう。 真面目になろう。なおかつ楽に生きよう。完ぺき主義はやめよう。 脳がダメージを受けたのがわかる。お蔭でzに見放された。ついにいのちの電話に電話してしまった。でも救われた。 奈良のいのちの電話に電話した。何か余計に疲れた。声が出ないのと頭が回らないのとで電話さえ辛い。救いを求めることもできないのか。今日は公園に行こうか。不真面目なつもりはないが、だんだん根気を失っていく。愚痴を言うという方も疲れる。 電話すると余計に疲れた。朝は意外に調子よかったのに。自分の調子を実際以上に悪く言おうと無意識になる。そうやって同情を引き出そうとするが不自然でばれてしまう。グチは良くない。愚痴を言う必要は無いのに言ってしまうと自分に返ってくる。電話で相談していても喧嘩みたいになって、自分が傷つけられてしまう。病気のせいだとか入院しろとかキチガイ扱いか。相談もできないのか。統合失調症という診断も揺らいでくる。妄想も確かにあるけど幻覚とかはない。余計調子が悪くなってきた。境界例かもしれないが結局わからない。zだってわからないだろう。脳がダメージを受けてから深刻なことになってきた。復帰できるのか。 しんどくなってきた。 緑地に行ってきた。すごい人手だった。春休みで子供だらけだった。一年で一番良い季節だ。でもしんどくなった。でも良くなっている。自分が楽なことをやるということだ。抗うつ剤で元気になっても元の病気が出てくる。難しいものだ。でも昨日のおばちゃんとの約束で私は死なない。そんな気はさらさらない。ホームレスになっても生き抜く。 しんどい。誰に相談することもできない。母親はもう高齢だ。頼ることはできない。どうすればいいだろう。しんどい。いのちの電話に電話しても答えは出ない。孤独だ。不安だ。生きていけない。 しんどい。生きていくのがこれほどしんどいとは。病気だから仕方がない。でも社会はそれでは通らない。働けないならやめないと仕方がない。元の病院に戻ったほうが良いんじゃないか。私は不正を働くことが多いかもしれない。正義感がないというか。残忍というか鬼畜というか。そういう人間が人に憐れみを求めてもだめだ。卑怯なんだ。男らしくない。男らしくしよう。女は憐れみ優しくしよう。下心とかじゃなくて女は弱いからだ。 頑張らないようにしよう。気ままに過ごせばいつの間にか治るんじゃないか。今の状態は悪すぎる。いずれ良くなるだろう。 気楽に行こうかなと思うと少し楽になった。昨日のおばちゃんのお蔭か。自分の好きなようにしたらいいのだ。人にとやかく言われることはないのだ。何でそんなこと気にしないといけないのだ。私は今気楽だ。休んでいる間はそれでいいじゃないか。眠たくなったら寝るし、食べたくなったら食べる。誰にも気兼ねしなくて良い。 少し楽になった。耳が詰まるのは治らないだろうか。耳鳴りと。何でこんなトラブルが多いのだろう。でも気にしなければいいのじゃないか。物を噛むときに耳が詰まる。いずれ治るだろう。気分は良くなった。自分は自由であるという気がする。復帰もできるし、風邪薬のせいかもしれないし、わからん。少し様子を見よう。何もできない。耳鼻科に行ってもわからん。
|