希望の日記

2007年04月08日(日) 晴れ

母が帰っていった。寂しくなる。いるときはうるさいと感じることもあったが、やっぱりいてほしい。この年になって頼りになるのが、母だけというのが悲しい。今は元気ないから仕方ない。頭ぼけているし。それは回復するだろう。もう半年以上になるが。今思い出すと東京に遊びに行った数年前、旅先で妄想症状が現れたことがあった。既に前兆はあったのだ。今の薬は基本合っていると思う。ただ具合が悪くなったときの頓服があればやっていける。医者を変える必要はないだろう。酒はやめたほうが良いだろう。止められるならば。今日はやめなくても平気だった。調子がいいのだ。母は偉大だ。
脳のぼけは治るだろう。活字が読めないだけじゃなくてしゃべりも聞き取りも作業も全てダメージを受けている。それでも良い。頑張って生きていく。いや頑張らないで生きていく。統合失調症ならもっと頑張らない方がいい。あと一年休むつもりで良い。頑張ってしゃべらなくて良い。頑張って本を読まなくて良い。頑張って世の中についていかなくて良い。統合失調症なんだから焦らなくて良い。
統合失調症なんだから焦らなくて良い。あの医者もそういうスタンスらしい。焦ってパニックに陥っても何もならない。
のんびりしていて良くなってきたなと思ったら復帰したら良いんじゃないか。能力が多少落ちても仕方がないんじゃないか。読めなくてもしゃべれなくても仕方がない。そういうスタンスで行こう。
優しくすること。親切にすること。感謝すること。取りあえずはそれで良い。
脳がダメージを受けている。仕方がない。親切、優しくすること。感謝すること。
少し良くなった。このまま良くなってほしい。人が側にいるだけで安心するのか。また来てほしい。向こうにとっては負担だろうが。
しんどい。やっぱり少ししんどい。今までとは全然違うが、少しはしんどい。脳が死んでいたのが少し動くようになってきた。もう2,3回来てもらうときっと良くなる。母といった大川の桜、通り抜け、大阪城公園は忘れないだろう。私が無理やり連れて行った。でもこんなときでないと親孝行できない。最後のチャンスかもしれない。でも天気が良くてよかった。天が私に味方してくれたのだ。
もう少しゆっくりさせてもらおう。母は年の割りに働きすぎじゃないか。かわいそうだ。でも私が口出しできない。兄は本社に戻ったそうだ。そんなことがありうるんだ。良かった。素直に喜ぼう。私の何倍も働いてきたのだから。私よりだいぶまともだ。私はいけない。でもきっと良くなる。きっと良くなって元に戻る。
私は中学くらいからおかしくなった。仕方のないことだ。それで大学で発病してそれから完治することなく巣食い、私を暴走させ、悪事を働かせた。私の人生をコントロール不能なものにした。でも今はその病巣を叩くのだ。穏やかな後半生を送るためにもここでゆっくり療養するのだ。
文学に親しむのは悪くない。人と少し話すだけで人に感謝するだけで人間らしくなれる。
母親が何となくよそよそしかったのは、私が良くなってないこと、長いことが原因だろう。だんだん態度が変化するのは仕方がない。会社もそうだろう。今は休んでいられるが、二度目はそうはいかないだろう。10年後であればわからないが。
少し元気になった。活字も少し読めるようになった。クオリアも少し蘇った気がする。母親のお蔭だ。
もっとまったりしよう。母親のいるときは腹が立つことはまったくなかった。当たり前だ。感謝する以外ないのだ。
もっとまったりしたらいいのだ。積んでいる本をゆっくり読んだらいいのだ。そのために買ったのだ。誰も文句は言わない。人に優しくしよう。親切にしよう。感謝しよう。
少し活字が読めるようになって来た。クオリアも少し蘇ってきた。いずれこれは回復するなと確信した。その頃は統合失調症も完治否、寛解しているだろう。
まったりすればぴたりと治る。すごく調子が良くなってきた。素晴らしい。このまままったりしていけば、一時のパニックは収まり、完全に良くなるだろう。
まったりすればぴたりと治る。素晴らしい。長くかかってきたが、良くなった。優しいこと、親切であること。統合失調症も治まるだろう。優しくできないのは統合失調症が悪いのだ。薬を飲んでいるから今は優しくできる。
素晴らしい。母と姉の効果だろう。素晴らしい。わがまま言ってきてもらってよかった。ほとんど死に掛けていたのだから仕方がないだろう。自分を殺してはいけない。まったりしよう。まったりすれば蘇る。
まったりすればぴたりと治る。母親はかわいそうだ。脳がだいぶぼけているのに働かされている。気の毒だ。
まったりすればぴたりと治る。すごく調子が良い。活字が読めるようになったことが大きい。クオリアも蘇ってきた。
まったりすることだ。b校に行ったことは間違いとは言い切れないだろう。自分が求めたことが実現できたことはあった。でも体が弱いからk1に出ようという面があったことは否めない。そのお蔭でこんな苦しみを蒙ることになったといえなくもない。おいしいりんごには毒があったということか。毒が強すぎていまだに立ち直れない。
まったり生きて行くことにした。そうすると生きていけることに気付いた。医者がどうのこうのはもういいと思った。酒を飲むのが悪いというのはそれなりに筋が通っているかもしれない。気に入らなければ他の医者に行けば良い。私は待ったり生きることにしたので不満はない。何で医者を変えたかというとパニックになって自分を見失ったからだ。今はまったり生きることにしたのでやっていけることがわかった。
統合失調症の治療はまったりすることだ。田舎暮らしの本を読むことだ。前の病院でも良かったのだ。今また変えてもまた帰ることになるだろう。大船に乗った気で安心することだ。まったりすることだ。
あの医者と同じくらい、まったりすればいいのだ。医者を変えても何も変わらない。不利益の方が大きい。今回だって、傷病が遅くなっただけ不利益だった。早くしゃべることができない。早くしゃべっている人を見ると怖くなる。言い返せない。怖い。まったりすることだ。
統合失調症は生活技能が失われるとあった。確かにそうだ。人付き合いができない。女性とも付き合えない。社会不適応を起こしてしまう。雅子様状態になる。生活技能をどうやって習得するか。まったりすることだ。今更焦ることはない。
のんびりまったり生きよう。そうすれば医者とのトラブルもなくなるし、人生のトラブルもなくなる。間違いない。


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