昨日と今日と。 続けて宗教がらみのニッキになってしまうけれど。 ヤフーニュースで読んだチベットの僧、11人もの焼身自殺。 目を疑った。 こころがしくしくと痛んだ。 他に方法がない。 本当にそうだったのだろうか。 遠く離れている地で考えても、どうしてもわからない。
まだ子どもたちが幼かった頃。 ゆきのと同じクラスの男の子のお母さんが。 子ども共々、灯油をかぶり焼身自殺をした。 マンモス団地、そのいっかくにある広場、で。 アタシの住んでいた棟の近く。 もの凄い人の叫びに驚いて。 慌てて外へ飛びだしたこと、今でも、今でも鮮明に覚えている。 生きたまま人が燃えていくとは。 こんなんなんだ。 燃えさかる人の炎を前に、誰もが立ちすくんでいた。 あの時、いったい何ができたというのか。
子どもさんは何とか助かった。 きっと。 お母さんがやはり。 火を付けることを躊躇った瞬間があったのだろう。 走って逃げた。 けれど。 自分に火を付けることには全く躊躇いがなく。 あっという間のできごとだった。 消防車も救急車も間に合わず。 そして、アタシたちも何もできず。 命の炎が燃えるのを呆然と見つめることしかできなかった。 近づくことなどできなかった。 それくらい人というものは激しく燃えるのだ、と知った。
チベットの僧は、本当に、他に方法がなかったのか。 本当に、他に方法がなかったのか。 本当に、他に方法がなかったのか。 わからない、けれど。 あの、お母さんも。 他に方法がなかったのだ、と。 今更ながらに考えた。 アスファルトの上だったので。 倒れ込んだ状態の黒い影がくっきりと残っていた。 あの人形(ひとがた)のすすを。 もう二十年くらい経つというのに、どうしても流すことができない。
そんな個人的な理由もあって。 チベットの僧が次々と焼身自殺をしてまでも抗議する姿、が。 アタシのこころを動揺させるんだろうな。 本当に、本当に、他に方法がないのだろうか。 安穏とした生活を送っているアタシに答えはない。 あの時だって。 カノジョは子どもを巻き添えにしてまでも。 自らを焼いて抗議するしかなかったのだろうか。 答えは、ない。
|