私の雑記帳
DiaryINDEX|past|will
2005年11月10日(木) |
「栄光の架け橋」伴奏 |
今日も職安に行き相談員と話すが、すぐに見つかる可能性は低いから地道に探してはどうか、と言われる。
長女が、小学校の合唱の伴奏に選ばれた。 オーディションらしきものがあり、娘よりレベルの高い子もいたが何せうちが一番早くから楽譜を渡されて練習してきたせいもあり、完成度ということで長女が選ばれた。 しかしながら、ピアノが家になくて、オルガンに毛が生えた程度の超旧式のグラビノーバ(しかもヤフーオークションで購入)しかないのは、いかにもさみしく娘が可哀相。 お友達でもあるピアノの先生とも話したが、グラビノーバではどうしても鍵盤を叩きつける弾き方になりがちだということ。それは私自身がよく知っている。 惨めな我が家の娘がピアノを習っていること自体、贅沢だと思うし、伴奏に選ばれてしまって晴れがましい気持ちとよそのPTAの目(耳)がとても気になる。娘の学年は約140人いて、ピアノを習っている子は何人もいるし、確実にうちより上手な子も何人もいる。
たぶん音楽の先生が娘に目をかけてくれているのは、たまたま以前、私とアルゲリッチを聴くためにサイトリーホールに行ったことがあり(当日、アルゲリッチは病欠だったが)娘がその話しをしたからだと思う。こんな田舎に住んでいて、サントリーホールに音楽を聞きに行っただとか、アルゲリッチは聞けなかったが共演の教科書にも出ていたマイスキー(チェロ)は、生で聴いたとか話したらしいので、先生の関心を引いたのだと思う。(ちなみに、その先生もサントリーホールに行ったことはあるそうなので) べつに親の私が音楽に造形が深いわけでもないし、高尚なわけでもない。教養という意味では皆無である。あ〜ぁ。
娘の伴奏の本番は1度だけではない。 父兄の見学がない、学校内の生徒だけの行事ならともかく、中学も含めた学区の大会でもその合唱をやることになり、そこで最初の伴奏本番がある。そしてその1週間後、月末の土曜日に家族参観があり、5時間目に全学年が体育館で合唱をするが、その時の6年の合唱でも娘が弾く。まるで運動会の時に弾くというのと一緒で、どちらもよりにもよってPTAが山のように集まるとき。 そつなく弾き終えれば、とてもいい思い出になるだろうが、失敗した時のことを思うと、複雑である。
長女はピアノが長いこと嫌いだったこともあるし、家にピアノがないこともあって、決して人より優れているわけではないから。今年のピアノの発表会も身の程知らずの曲を選んで、やはり失敗している。
私が見栄っ張りなのかもしれないけれど、 惨めな思いはさせたくないと思う。 これが他人の子なら「きっと、大丈夫」なんて 私も気休めを言うだろうけれど。 そんな親の気持ちを察して娘は「先生に、断ってこようか?」と言う。 本当は弾きたいくせに。 卑屈な親を持つと子供は余計な苦労をする。 ともあれ、5年生の時はリハーサルばかり弾かされて、本番は ピアノの先生の娘さんが弾いたという寂しい思い出もあるので 1度でも本番でひけるというのは、ありがたいチャンスだと思う。 本人のいい思い出になればよい。
|