私の雑記帳
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2009年12月04日(金) |
日記について(mさんへ) |
ブログを公開することについて、かつて私もずいぶん悩みました。 いったい誰に向かって日記をかいているのか、何の意味があってかいているのかわからなくなった。妹には公開ブログにいったい何の意味があるのか?と真っ向から否定もされた。
数年前、まだ始まったばかりのmixiで私は痛恨の失敗をしました。私がいかに馬鹿で未熟だったか、そして孤独で寂しかったか、理由はいくつかあるけれど、忘れられない(でも本当に忘れてしまいたい)強烈な失敗でした。
その後、時間を置いてまたmixiには入りなおしたけれど、友達も、友達のような単なる知り合いも含めた、そういった人達が読むであろう日記を書くことに疲れてしまいました。日記じゃなくて、出来事やら伝えたい事やらを読んでもらう為に書いていることに。 そして人目を気にすると、色々と差し障りのある文章は書けなくなってしまう。べつに他人の悪口を書くわけではない。でも超個人的な心情を吐露するようなものはそこには書けない。というか触られたくないことは知り合いには読まれたくないことが多い。
mixiでは友人の中の更に厳選したメンバーだけに公開という日記も書けるようになったし、知人はそういう日記を書いている。今日は私も読める日記というのは、裏を返せば、私が外されている日記も存在するのかもしれない。そう思うと、私は友人の中から更に人を選んで公開する日記というものを書けないと思った。 そしてたまに書く日記も、コメントがつくと嬉しい反面煩わしい。 ほぼ共感してくれたり慰めてくれたりするコメントで、それにケチをつけたいわけではないが、やはりなにか煩わしいのである。 そして、人の日記にコメントを書き込んでしまった時も、妙に相手の反応が気になる。明らかに私の自意識過剰なのだが、そういうことで時間をかなり無駄に消費する。いったい自分は何をしているのかと思う。
私がここ(エンピツ)の日記を手放さないのは、ここはコメントがないからだと思う。下手でも何でも自分が吐き出したいことを自由に吐ける唯一の日記になっている。 誰も知らなくても好きなドラマの感想も書けるし、好きだった人のことも書いてしまえる。吐きたくなるような気持ちを書ける。それは誰にも評価されない気楽さがあるからだと思う。
といいつつ、私のこの日記がごくごく少数(一人か二人)のお気に入りに登録されていたりすると、やはりわずかに意識する事はある。 実は今日のこの日記は、久しぶりに更新されていたその一人のかたの日記を読んで書いている。 その方が、どこか他所に行ってしまわれるので、もう私が日記を読めなくなるのは寂しいけれど、私のようにこういった日記を書くような者が出てくるから、息苦しくなってしまうのだと思う。 他人の近況を知りたいと思うのも、考えてみれば随分と僭越でおこがましいことかもしれない。
私も日記のよさは、自分自身と対峙したり、書くことで気持ちの整理をつけることだと思うので、もっともっと個人的であるべきだと思う。
うまく書けないけれど、mさんの仰っていることは少しは理解できているつもりです。mさんが今日の私の日記を見てくださるかわからないけれど。 細かい事情を知っていてコメントをくれる友人より、私の心の底を一番感じ取ってくれたのはお互い詳しくは知らないmさんだったと思っています。
どこかよそに行かれるようなので寂しくなってしまうなぁとは思うけど、日記の本来あるべき形に戻るわけだから、他者がとやかく思うことは全く関係ない。いきなり黙っていなくなってしまわないで、心情を書き残していただいたことに心から感謝しています。ありがとう。もし、先々エンピツの日記が更新されていたら嬉しいです。(これでは近況を知らせろと言っているようなものかな?)
私はもうしばらくここで、書きたくなったときに書きたいように書いていくつもりです。なにせ、ここはほとんど誰も来ないので。自由が何よりです。日記としては中途半端なコミュニケーションは出来るだけ排除すべきとも思います。
・・・なんて今日のような日記をmixiのようなところには書けないな。
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