ギクの日記
ぼちぼち書いております
2007年07月15日(日)  【生きる】について

「アルバム」とは私たちがこれまで生きてきた証であり
過去の瞬間を閉じ込めた貴重な写真でもある。
赤ちゃんの頃の自分の写真をみると、あまりの似てなさからか
これが、成長したら今の自分になるのかと疑いたくもなる。
よく世間の中には 「頼んでもいないのに生みやがって」 と言って
親を恨む人もいるが、そのような考え方は絶対に間違っていると思う。

むしろ、生んでくださってありがとうございます、と感謝を述べるべきである。
もちろん 「生きる」 ということは、ものすごく大変なのはわかっている。


『私がこの世に生まれてきた意味はあるの?』
『私は一体何のために存在しているの?』


このような問いを抱えながら常に悩まされ
自分の存在意義を見出すこともできず
その答えが知りたくても、明確な答えも見つけられないまま
世の中を渡って生き抜いていかなければならない。
成長するにあたっては、何度も何度も壁にぶち当たったり
交友関係がうまくいかなかったり、取り返しの付かない失敗をしたりもする。

では、生きる意味が初めから決まっていたほうがいいのか?
人によって、さまざまな回答があるともいますが
僕はこう応えるだろう、決まってない方がいいと。

なぜなら、たとえば。
「養殖の動物や養殖の魚は、人間に食べられるがために生きている。」
そこには確かに明確な生きる意味が存在する。
初めから生きる意味が決まっていれば、何も悩むこともなく
自分の運命が決まっているから、楽に生きられるかもしれない。

でも、本当にそれでいいのか。
明らかに決められた生き方なんて、きっとつまらない。と思う。
どうせ一度きりの人生だし、とりあえず好きなことをやれるだけやろう。

生きる意味なんて、いくら考えたって、そう簡単に答えが出るものじゃないし
教科書に載っているわけでもないし、誰かに教わるものでもない。
結局、自分自身で考え、自分自身で答えを出して
その答えに自分だけが納得すればそれでいい。
ならば、覚悟を決めて、せめて自分らしく今を思いっきり楽しもう。


そして時間は、過去、現在、未来へと少しもとどまらず過ぎていく。
過ぎていく時間は・・・もう未来にしか残っていない。



これから自分自身はどんなふうに変化していくのかはわからない。
たとえ、どんなふうに変化をしたとしても


アルバムの最後の最後のページには

『 おおむね楽しい人生だった。 』

と大きく書いて、静かに自分のアルバムを閉じたいものだ。


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