柊小説

2006年02月09日(木) アカイヌクモリ  ―――�機檻押宗宗�

「それと、これからはお前の生きたいように生きろ。やりたいことをやれ。それには責任とかいろんなもんがついて回るけど……。勉強なんかできなくってもいい。そんなことよりも大事なことは腐るほどあるから。それをお前にはできる限り見つけてほしいんだ。この話を聞いたお前を俺は、もう大人だって考えることにするから。一人でも生きていけるように強くなれ。そのためには自立心をつけろ。つってもまだ中一だしな、これからいろんなことがあると思う。息詰まった時とか、争い事でガキ同士じゃ収まらなくなった時はいつでも手助けしてやるから遠慮しないで使え。お前がどんなにクソになっても俺はお前の親だし、お前は俺のガキだ。見捨てるようなことは絶対にしないから……」
──嬉しかった。親父のその言葉は耐え難かった話の辛さを帳消しにしてもいいと思うくらい嬉しかった。それでも素直になれなかった僕は……ただ頷くだけだった。
「……あれ、もう二時半回ってるんだな。それじゃ俺もう寝るから。そのプレゼント絶対捨てんなよ。それと、もしレコード聞くんだったらそこのプレーヤー、部屋に持ってっていいから」
親父はリビングの隅にあったレコードプレーヤーを指さした後、首を左右に曲げ骨を鳴らしながら寝室に向かった。
 親父が出て行ってからもしばらくの間、僕は動けなかった。それでも遠くから聞こえてくる車の騒音が徐々に僕の体の呪縛を解いていった。
 気づくとプレゼントのひとつ、��History Of The UK 1977�瓩魴�っていた。その本にはセックスピストルズの沢山の雑誌や新聞の切り抜き写真や情報が貼り込まれていた。
そして、一〇〇枚近くに及ぶ写真の中で僕が一番惹かれたのは、ベッドの上でガリガリに痩せた上半身裸の髪を逆立てたシド・ヴィシャスがマリファナを吸っている写真だった。シド・ヴィシャスはただ一言でかっこよかった。この男が自分と同じ名前だと思うと嬉しくて堪らなかった。
それから僕は、夜が明けるまで何度も何度も繰り返し��History Of The UK 1977�瓩鮓�続けていた。

 正午前、僕はほとんど寝ていなかったけど、リビングからレコードプレーヤーを持ち出し自分の部屋に運んでいた。親父から聞かされた母親とカオリのことはしっかりと心に引っかかっていたけど、僕の体は心の沈みに逆らいながら前進していた。そして、コンポにレコードプレーヤーを接続しているとノックと同時に母親が洗濯籠を抱えながら部屋に入ってきた。妙にニコニコしていた。僕は一瞬目を合わせたけど、その後すぐコンポに戻した。気まずさと恥ずかしさが交錯していたからだ。髪を太いヘアーゴムで束ねた母親はスウェットパンツにTシャツというパジャマ姿だった。
そして、床に置いてあった親父からのプレゼントに気づき、それを手にとった。
「これがここにあるってことは昨日シノブから聞いたんだね。とうとう聞いちゃったか……。シドもそんな年になったか。まあ、あんたがどう思うかは勝手だけど、私は全然過去のこと、後悔してないから。だって、あの仕事やってなかったらシノブにだって会ってなかっただろうし、あんたもカオリも生まれてきてなかったと思うの。だから、後悔はしない。したくない……。──それよりさ、このレコードとTシャツは大切にしなよ。福沢諭吉一枚じゃ買えないくらい値打ちあると思うから。多分、同年代であんただけだよ、このレコードとTシャツ持ってるのは。それにシノブがこれまでずーっと大切にしていたものだから。ね、大事にするんだよ──」
「接続の仕方わかるか?」
母親の背後から親父の声が聞こえた。ああ、と無愛想な返事をして親父の顔を見ると生える気配すらない顎髭を撫でるようにしながら微笑んでいた。それでも僕は、その表情に素直に応えることはできず、昨晩の話を全て呑み込んで親父と微笑みを交わすか、それとも親父と母親を憎悪して大声で怒り狂うか、激しく気持ちを格闘させていた。赤と白の接続コードを持った手に汗が滲んでいるのもわかった。
そして、ほんの数秒足らずだったと思うけどその間に僕は頭をフル回転させ、ドアの前に立っている二人に向かって言った。
「俺は……最低な奴らから、最悪な環境に生まれてきたと思ってる。それでも�爛轡畢瓩辰凸樵阿鬚弔韻討�れたことは感謝する……」
 そう言い終えた後すぐ、最低やら最悪やら言ってしまったことに後悔した。母親はタコのように頬を膨らませヘソを曲げている程度だったけど、親父は追跡ミサイルも方向転換してしまうのではないかというくらい鋭い眼光で僕を見ていたからだ。殺される……!そう思った瞬間、親父は二、三回頷き再び微笑んで、
「なかなか言ってくれるじゃねえかよ。まあ、喜んでもらえてなによりだ」
と言った。その言葉にホッとした僕は、少し興奮した様子で訊いた。
「シド・ヴィシャスって今、何歳だよ?」
親父は目をまるくし、え?という顔をしながら答えた。
「おいおい、ちゃんとそれ読んだのか?ちょっと貸してみろ」
親父はパラパラと過去に自ら作った��History Of The UK 1977�瓩魴�り、ここだ、と指で押さえながら僕に返した。そこにはページいっぱいに使ったシド・ヴィシャスの写真があった。そして、視線を写真の下に移すと、【1979年2月2日、ヘロイン過剰摂取によりシド・ヴィシャス死亡(21)】、と書かれていた。
これから崇めていこうと思っていた男は、既に僕の生まれてくる前に死んでいた──。僕はしばらくその事実を受け入れられずにただ立ちすくんでいた。昨晩知った僕と同じ名前の男。会ったことも話したこともないのに仲間を亡くすことと同じくらい胸が痛んだ。それでも、この時シド・ヴィシャスの死を悲しんでいたのは多分、世界で僕一人だけだったに違いない。この時でもう十五年も前の出来事なのだから――。
「おい、大丈夫か?止まってんぞ。シドはな、死ぬちょっと前にテメーの女を刺し殺したんだ。殺してねえって言い続けてたけどな。──まあ、がっかりするのはわかるけどよ、しょうがねえだろ。でも、いいと思うけどな。もしシド・ヴィシャスが今も生きてたら、え〜と……三六だろ、オッサンじゃねえかよ。中年のシド・ヴィシャスなんて見たくねえだろ?本人には悪いけど俺はジジイになって死ぬよりも早死にの方がかっこいいと思う。だって記憶に残るのはずっと二一歳のシド・ヴィシャスだからな」
親父の言っていたことはすごく残酷に聞こえたけど、それを共感できる自分がいた。落胆は隠しきれなかったけど──。シド・ヴィシャスは愛する女(ひと)を殺して自分も死んでいった。けど、絶対に彼のような男になろう、と僕はその時改めて気持ちを固めた。
「俺はシド・ヴィシャスになるよ」
僕は微笑みを浮かべながら二人に言った。
「おもしれえ、なってくれよ」と親父。
「無理だよ。だってあんた日本人だもん」と母親。
親父と母親の顔を見ては視線を下に逸らす仕草を多少の恥ずかしさがあってか、僕は何度も繰り返した。部屋にはしばらく和やかなのか、それとも気まずいのか、どちらともいえない空気が漂っていた。そして、いつの間にか親父から聞かされた話の悲しみや落ち込みはどこかにいってしまった。もうどうでもよくなっていた。聞いたとしても何も変わらないとわかっていたから――。
「――それじゃマユミ、洗濯物干すの手伝うから行こうか」
ぎこちない空気に耐えられなくなったのは親父だった。母親は拍子抜けした顔をして親父の顔を見た。
「え〜手伝ってくれるのはいいけど、その前にこのバカぶっ飛ばそうよ!だって親に向かって最低とか最悪とか言ってるんだよ!も〜ゆるせない!」
「いつの話してんだ?」
「さっきだよーさっき!何知らないふりしてんの!?」
「いいから行くぞ。ほら、洗濯籠持ってやるから」
親父は籠を右腕で抱えながら左手で母親の腕をグイグイ引っ張った。
「シドー!覚えてな!もうあんたのご飯だけつくってあげないからね!」
僕はバカを見る目で叫ぶ母親を見た。
「うわっ、その目ムカつく〜!」
その言葉が聞こえた時には二人の姿は僕の前から見えなくなった。母親の何かを叫んでいる声はしばらく響いていたけど──。
 
 二人が部屋から出て行って間もなく、レコードプレーヤーの接続が完了した。
別に大した接続でもなかったし疲れていたわけでもなかったけど、僕の口からは親父が仕事を終えて帰ってきた時に吐くような、ハァ……、という息が洩れていた。
 早速レコードをプレーヤーの上に載せて針を落とした。スピーカーからは針とレコードが擦れる雑音が聞こえてきた。そして、その雑音とともに突然、大勢の足踏みと拍手が重なったような音が響いた。そう、これがセックスピストルズ唯一のオリジナルアルバム�爛優弌璽泪ぅ鵐畢瓩離�ープニングだった。僕は思わず部屋が揺れるぐらいボリュームを上げてその流れてくる全ての音を逃さないように全身で受け止めた。Aサイド、Bサイド……どんなに繰り返し聞いても冷めなかった。それどころかどんどん曲の中に入り込んでいった。それまで聞いていた日本の歌がまるで週末の早朝にやっているヒーローもののテーマソングのように聞こえた。
 
 夜になっても相変らず部屋でレコードを聞き続けている僕の元にカオリがゆっくりとドアを開けて入ってきた。突然のカオリの登場に驚いた僕は、慌ただしく針を上げてから何食わぬ顔で、どうした?と訊いた。針を上げた瞬間、部屋は一気に静まり返りリビングにいる親父と母親の話し声が微かに聞こえてきた。
「話……聞いたんだってね。お母さんが昼間言ってた」
カオリは前触れなくダイレクトにそう言ってきた。僕は何て答えたらいいのか考えたけど、やたらなことを言って傷つけてしまうのを恐れ、話の展開をつくるのはカオリに任せようと決めた。
「ああ、昨日の夜中。親父から急に聞かされた」
カオリは頷きながら続けた。
「どう思った?」
言葉を選んでる余裕はなかった。
「どうって……びっくりした。信じられなかった。もちろん信じたくなかったけど……」
僕が言葉を切ると、カオリは床に座っている僕の隣にゆっくりと腰を下ろした。肩がぶつかるくらい近かった。横をちらっと見ると母親そっくりなカオリがいた。でも、そこにいるのは姉だとしても腹違いの――。そう思うと、僕はその現実の辛さを再び実感させられた。近くにいればいるほどその辛さは増す。カオリは無言のまま膝を抱え込んでいた。そして、何か話をきり出そうかと迷っていると、カオリが正面を向いたまま静かに言った。
「信じられないよね……。今まで当たり前のように一緒に生活してきて急にそんなこと言われても……。私も丁度、今のシドと同じくらいの時にお母さんから聞かされたんだけど……辛かった。でもね、それ以上に何も知らずにカオリ、カオリって呼んでくるシドを見てる方がもっと辛かった──。何だか不思議だね。私たちって……本当の姉弟じゃな――」
「やめろよ!」
僕は大声でカオリの言葉を遮った。カオリは小さく、ごめん、と呟き俯いてしまった。
大声を出すしかなかった。カオリの口から零れる悲惨な現実に耐えきれなくなっていた。俯くカオリに僕は何も考えずに、ただ口から出てくる言葉たちに任せて言った。
「腹違いだとか、本当だとか、そんなのどーでもいいじゃねえかよ、関係ねえよ。俺たちは姉弟(きょうだい)だろ?中にはちゃんと血が繋がってるのに絶縁とかしてる奴らは腐るほどいるし、俺たちはそんな奴らに比べれば親父が違くたって──。そうだろ?カオリは俺の姉貴で俺はカオリの弟。それは何があっても変わらねえよ。変わるわけがない──。だから、もう難しく考えるのはやめよう」
熱弁したせいか、体からはシャワーのように汗が噴き出てくるようだった。
 しばらくしてカオリは俯いていた顔を上げ、僕に微かな笑顔を向けた。
「本当?本当に……そう思ってくれるの?」
「あたりめえだろ」
熱弁は無駄じゃなかった……。僕は肩を撫で下ろした。
「ありがとう……。今まで通り?」
「そう、今まで通り。何も変わらない」
「絶対だよ……。もし、おはようございますとか、すいませんでしたとか、そういう他人行儀みたいなこと言ったらグーでパンチだからね」
「わかってるよ」
「――うん。それじゃ……今日はいろいろ疲れたから、もう寝る。シドも早く寝るんだよ」
「わかりました。おやすみなさい」
ぎこちなさを解消しようとした僕の優しさが裏目に出た。カオリは他人行儀の僕の言葉を聞き逃さなかった。そして警告通りにグーで三発、可愛い弟の頭にパンチをお見舞いし、軽い足どりで部屋を出て行った。

 この日を期に僕はボーズだった髪を伸ばし始めた。そう……彼、シド・ヴィシャスになるために――。

 


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