柊小説

2006年02月20日(月) アカイヌクモリ  ―――�検檻粥宗�

 眠気がピークに達していたせいか、足元がサジ以上にフラついていた。そんな足を引きずるように僕は半開きの目で玄関へ向かった。空は日が昇るまでもう少し時間がかかりそうだった。そして、目を閉じれば即刻寝てしまう状態の中、裏の勝手口から微かに聞こえた物音が僕の鼓膜を揺らした。泥棒?そう思うと夢の中に入り込みそうだったのに、気づくと眠気も疲労も消えて勝手口へ足を向けていた。今思うとあの物音は、来るな、という意味にも聞こえていた。
 この頃、近所では空き巣による被害が多発していて警告の回覧がくるほどだった。もしあっちにいるのが空き巣ならぶちのめしてやろう、と僕は忍び足で勝手口へと向かった。
 勝手口から五メートルくらい手前の壁の死角になる位置で足を止めた。そこから首だけをゆっくり出した僕は、自分の目に映っている──目の前で起こっている光景に目を疑った。暗くてはっきりとは見えなかったけど、確かに人間のシルエットがあった。相手はこの時まだ僕の存在に気づいていない。目を凝らして見ると、中年太りした小柄なオッサンが勝手口の鍵穴をピッキング用具でガチャガチャと回したり、ピストン運動をさせたりしていた。上がジャージで下が短パン──完璧な泥棒さんだ。僕は生まれて初めて生で見るその光景に目を奪われながら、第一声にどう声をかけて、それからどう始末しようか、と多少の眠気が残る頭を懸命に働かせた。
 「おい、そこで何してんだよ?」
「──!?」
オッサンは僕の声に一瞬、ビクッとしてから、とっさに下に転がっていた鉄パイプのような物を手にとって構えた。息遣いが荒い上に肩の揺れが激しい。ピッキングとは、かなり精神的にも肉体的にもやられる職のようだった。
「狙ってるもんが金目の物なら別の家当たれよ、ここには何もねえぞ。わかったらさっさと早朝マラソンでもしてこいよ──クソヤロー」
しばらくオッサンは�爛�ソヤロー�瓩噺世錣譴覆�らもその場で挙動不審になっていた。すると、血迷ったように鉄パイプを振りかざして僕に襲いかかってきた。下が砂利だったせいか、オッサンの踏み出しと同時にジャッジャッという音が耳に響いてきた。オッサンが鉄パイプを振り下ろそうとした時、サジ、シンジ、リョーキから繰り返し言われ続けてきたことを思い出した。
�狒蠎蠅�棒みてえな凶器を使ってきた時は避ける前にその凶器の長さを見るんだ��
僕はスペシャリストから教わったことをそのまま試した。相手が凶器を持った実戦はこれが初めてだ。オッサンの振り下ろした鉄パイプは長さ五十センチくらいで、避けた僕の少し前をブォーン!という音と共に勢いよく降りていった。鉄パイプが地面についた瞬間、僕は右手で鉄パイプを掴み利き手の左拳でオッサンの顎へ重心を落とし力いっぱいに振りきったフックを入れた。──これ以上にないほど綺麗に入った。オッサンの脳はその一発でグラリと揺れたようで、体脂肪率の高そうな体はよろけて無様にケツから倒れ込んだ。すかさずラッシュを浴びせようとマウントをとり、腕を振りかぶってオッサンの頭部だけに的を絞って殴り続けた。そして、フィニッシュの左腕を上げた時、僕の体が手品の仕掛人のように前屈みに浮いた。左腕を上げた瞬間、オッサンは力いっぱいに膝を立てたのだ。胸部にマウントをとらなかった僕のミスだった。
オッサンの頭側に倒れ込んだ時、僕の背筋は凍りついた。──重大なことに気づいたのだ。けど……もう遅かった。
�狹乾僖ぅ廚蓮帖弔泙凄; �?��
まずい!と振り向いた瞬間、オッサンは目を大きく見開いて微笑み、鼻で激しく息をしていた。そして、スローモーションのように僕の頭に鉄パイプがしなるくらい強烈にヒットした。薄暗かった目の前が一瞬グレーに染まった。それでも鉄パイプを奪おうと腕を懸命に伸ばしたけど、僕の手はオッサンに触れることさえもできなかった。僕の体が崩れるように再び倒れて、オッサンは立ち上がった状態から二発目を今度は後頭部へ振りかざした。鉄と頭部が激しくぶつかる音は表現できるものではない。それは激痛というものを超えていた。自ら頭でアスファルトを割っているような──。そして、三発目を喰らった時にはオッサンの動作だけでどこを殴られたのかわからなかった。荒い鼻息で引き腰になりながらダッシュでオッサンが逃げた途端、全身に脂汗を掻き、頭部は毛穴全てから鮮血が吹き出るほどの激痛が走った。発狂したように声にならない声でのた打ち回っていると、どうした!という親父の叫び声が聞こえてきた。親父は屈んで僕を抱き寄せると、
「何があった、しっかりしろ!」
と怒号を上げた。不思議なことに親父に抱き寄せられた時、激痛が嘘のように和らいでいった。その分、意識は遠退いていたけど……。その後すぐに勝手口から母親が勢いよく飛び出てきた。
「シドー!!しっかりして!どうしたの!」
母親の姿は僕の視界には入ってこなかったけど、これほど気が動転している母親の様子は僕が知る限りでは初めてだった。
「マユミ落ちつけ!救急車呼んで!──早く!!」
親父は抱きかかえている僕を揺らしながら、パニック状態になっている母親に大声で叫んだ。
母親が一一九に通報しに行ったのと入れ替わりに、カオリは僕のすぐ隣りで腰を抜かして倒れ込み泣きながら、シド!と何度も名前を叫んだ。そんなカオリに親父は、大丈夫だ、心配するな、と落ちつかせていた。
 僕は朦朧とする意識の中、親父の顔を見つめていた。最後に親父と顔を合わせたのはこの日から実に二週間も前のことで、その時は二人で夜が明けるまで酒を交わした。そして、親父はベロンベロンになりながらもこんな話をしてくれた。
「シド……一パーセントの話聞きてえか?」
「何だよ酔っ払い、一パーセントって?消費税が下がる話か?」
「ハァ……お前の解釈は酔っ払い以下だぞ。──俺はさ、人間の運命は生まれた時から九十九パーセント決まってると思うんだ。そいつがどういう環境に生まれて、育って、どういう道に進んで、どう死ぬかってことが。でもよ、それじゃ面白くねえだろ?だから残りの一パーセントで決められた九十九パーセントを引っくり返すんだ。要は賭けだよ。その一パーセントで大富豪になる奴もいれば、一生牢獄の奴もいる……命を落とす奴もな。でも、噛み合ってる歯車を狂わせるにはそのくらいのリスクがないと、賭けとはいえねえ。そうだろ……?なあシド、お前も一パーセントで決められた運命を変えてみろよ。それをいつ、どこで、どういうタイミングで使うかはお前次第だけど」
「──親父はもう、使ったのか?」
「……使った、と思う。高校中退した時かな?それまで遊び狂ってたけど、辞めた後すぐ、何かしないとって思うようになった。実際、海外行ったりしたけど、もし高校辞めてなかったら当然だけどこの生活は存在しなかった。ベッピンさんにも会えなかっただろうし、クソ生意気なガキも生まれてこなかった」
「それは俺のことか?」
「シド!タイミングを外すととり返しのつかないことになる。だから軽い気持ちで一パーセントに逃げるような真似だけはするな」
 僕は二週間ぶりに親父の顔を見た安心感からか、妙に嬉しくなった。こんな状況にもかかわらず笑顔まで零していた──と思う。
「親父……久しぶりだな。何か、話そうぜ……」
その声は空しくも僕の口の中だけでとどまり、親父はただひたすら僕を呼び続けていた。僕の怒号に似た声と、家族の叫び声でヤジウマが集まっているようだった。けど、そんなヤジウマたちの声も僕の耳には入ってこなかった。耐え難い激しい耳鳴りと、親父の嗄れ始めている叫び声、それとカオリの嗚咽だけが響いていた。
「親父……俺、一パーセントをこんなことに──」
出す声は全て吐息のような空気に変わってしまった。僕の頬に親父とカオリの涙が豪雨のように降ってきた。二人の涙が目に入って視界が歪んだ。僕はこの時、不思議と死に対する恐怖心がなかった。このまま気を失って死んでしまえばそれほど苦しまなくても済むだろう。寝たまま死ねるならこれほど楽な死に方はない、そう思っていた。
�爛轡膝; ���
突然、離れた所から僕の名前を叫ぶ女の声がした。カオリ?それとも母親……?違う。それは紛れもないヒトミの声だった。
�爐鼻△匹海澄帖帖�どこにいるんだよ、ヒトミ��
僕は自分の声が出ていないことに気づいた。そして、意識がさっきより遠退いていることも──。
�爛轡鼻次▲轡鼻次���
ヒトミの声は一定の間隔を保ちながら僕をさがし続けている。
幻聴?ふざけんなこんな時に……!怒りで声を張り上げようとした時、耳元でシルクのように柔らかく、優しく囁かれた。
�爐佑┘轡鼻帖頂�週末は何しよっか?どっか行く?��
……!声が出ない。心で答えようとしても思考回路が遮断してしまい激しい頭痛に襲われて、週末どころではなくなっていた。そして、ヒトミの声は僕の返事を待たずに消えていった──。
 死んじゃだめだ──!僕は真っ白な霧で覆われる自らの気持ちをなんとか現実へ引き戻した。……そうだ、ヒトミを、あいつ一人を残して逝くわけにはいかない。それに仲間も。僕にはサジ、シンジ、リョーキ、ヒロトという呼べば答えてくれる仲間がいる──。それでも、気持ちと体はすれ違うことすら拒むように離れていった。人間のもろさ、自分の若すぎる未熟さに腹が立った。

 幻覚を見た。
僕の体には数百キロもの無数の鉛が巻きつけられていて、息も抵抗すらもできないまま真っ黒い海に投げ込まれ、深海に沈んでいく。深海魚が全身を覆っているせいか、温かかった。そして、水深が深くなるに連れて無音になり体は圧縮され、そのうち跡形もなくなった──。
それから一瞬、深海から高速のように現実という水面へ引き揚げられた。
そこでは親父とカオリ、それに通報を終えて戻ってきた母親が僕の名前を呼んでいた。その叫び声に答えようとした時、僕は再び深海に吸い込まれるように、今度は引き上げられることなく……意識を失っていった。
それは、朝日が顔を出し始めたのとほぼ同時だった──。


 < 過去  INDEX  未来 >


柊大地 [MAIL]

My追加