| 2006年03月09日(木) |
アカイヌクモリ ―――�察檻押宗� |
僕と母親が市街地の小さなカフェについたのは、一月九日の十五時過ぎだった。この日は正午前まで晴天だったものの、その後急激に雲行きが怪しくなっていったのをよく憶えている。 ここへ到着するおよそ四時間前、僕と家事を一段落させた母親はリビングでテレビをつけたまま互いに物思いに耽ていた。当然僕は、ヒトミの気持ちを悟ろうとすることに精を注いでいた。 すると、電話の呼び出し音がリビング中を金きり声のように響かせた。母親は、うるせー!と一喝してソファーから腰を上げた。そして受話器を耳元に当てた瞬間、表情が微妙に硬くなりかしこまったような口調で、時々電話機に向かって頭を下げていた。 会話は三分にも満たない短い時間だったけど、母親は受話器を戻した後鼻で深い溜息を二度吐きそれから煙草に火をつけると、しかめっ面をしながら時計に目をやり言った。 「ねえシド……十四時になったらデートに行こう」
カフェが建っている周囲にはこれといって何もなかった。通りの激しい道から一本外れた静かな住宅街にひっそりと佇んでいる感じだ。ログハウスのような造りで僕は一目で、リニューアルをする必要がある、と思った。顧客は地域住民と店に深く馴染みのある人間くらいだろうと、妄想にしろ勝手に経営困難にさせていると、 「えーっと、今日は大事な人に重大な話があると言われてここへ来ました。その大事な人とは──?会ってからのお楽しみでーす」 母親はここにつくまで電話の内容を一切口にしなかった。それでも、あの溜息にしかめっ面──。�狢膸�な人�瓩�誰なのかは大体見当がついていた。それは……僕にとっても大事な人だからだろうか。いや、もしかしたら……。
薄暗い店内に入ると、オレンジ色の照明を浴びた古い木製のカウンターが目に飛び込んできた。そして、車椅子が左に向きを変えると、テーブル席がよっつ並べられていた。 「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」 髭を伸ばし、渋い雰囲気を漂わせた中年の男がエプロンで手を拭きながら言い寄ってきた。 「いえ、待ち合わせなんですが──」 母親が僕の真横で腕時計を見ながら言った。 「あちらの方(かた)で──?」 男が手のひらをテーブル席の奥に向けた。 母親は首を伸ばして確認してから、そうです、と男に会釈をして僕を押し、突き当りのテーブル席で止まり、 「遅れました。すいません」 と頭を下げた。そして、 「──あっ、いや、とんでもない。私も今来たばかりなんですよ」 落ちついた様子でシステム手帳を閉じるとシラギは僕と母親に向けて笑顔を見せた。 僕の思惑通り、母親の言った�狢膸�な人�瓩箸鷲堽兪蠎蠅任發覆韻譴仭杏廚任發覆ぁ⊆膽0紊離轡薀�だった。このオッサンにはもう何度も会って見慣れていたけど、僕はその度に、�爐海涼砲倭農欧蕕靴�ジェントルマンだ�瓠△隼廚辰拭K佑�親父以外の中年男をリスペクトするのはシラギだけだった。四十代半ば、白髪交じりでうねり癖のある髪に、浅黒く彫りの深い顔。少年のような何かに飢えているギラついた目。そして、どんなことでも冷静且つ親身に接する献身的な態度。シラギはそんな、ドクターと呼ばれるに相応しい人間だ。この日はがっちりした体型に合ったダークグレーのスーツを着ていた。
「コーヒーふたつ」 シラギはウエーターにそう告げると、今度は向かい合っている僕に身を乗り出して言った。 「明けましておめでとう。気分はどうだい?」 �爐泙◆△椶舛椶舛任広� 僕の言葉がシラギに通じることがないにしても、このオッサンには忠実でいよう、と思う気持ちは会う度に強くなっていた。そして、隣に座る母親は絡まっている点滴の管を直しながらシラギに訊いた。 「ここにはよく来られるんですか?」 シラギは僕と母親を交互に見ながら答えた。 「そうですね。ここは私が今の病院に入った時からあったんです。……ですからもう、通い続けて二十年以上になりますね。今はもう亡くなってしまいましたけど、ここのマスターに若い頃いろいろ相談に乗ってもらいました。──多分、この店の造りと照明でしょう、私をそそらせているのは──心が休まる。客の入りも激しくないから余計ですかね。それが何年経っても変わらないから、いつまでも来ることができるのだと思います」 「──素敵ですね。それで、あの、電話でおっしゃっていた重大な話って──」 「コーヒーがきてからでもよろしいですか?時間が押しているとかでなければ……」 「あっ、はい。大丈夫です」 店内は僕ら以外の唯一の客である二人組のOLの微かな話し声と、洒落たジャズだけが響いていた。そして、コーヒーが運ばれてくるまでの間、シラギは僕の顔をじっと見て母親に、シドくんはどんな少年なんですか?と訊いた。母親は少し考えてから口を開いた。──不思議な答え方だった。 「バカな子ですけど、年のわりには何かといろいろ考えてる子ですよ」 シラギも母親も、僕を過去形にすることがなかった。それは意識的にではなく、もちろん現実逃避して狂っているわけでもなく、本当に自然と言っているようだった。 二人がこの店自慢の挽きたてコーヒーの一口目をすすった時、それまで躊躇いがちだったシラギの口から、重大な話の第一声が静かに吐き出された。
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