柊小説

2006年03月11日(土) アカイヌクモリ  ―――�察檻粥宗�

 話を聞き終えた後も、店を出る時も、シラギを駐車場から見送る時も、母親は一度も言葉を発しなかった。ただ喪服を着た時のように静かに頭を下げるだけだった。そしてカフェを出た時、時刻は十六時を回り空は黒い雲に蔽われているせいか、薄暗くなっていた。また、帰宅ラッシュと重なってしまったために、車は渋滞にはまってなかなか進まなかった。
 車に乗り込んでからも相変らず母親は無言で、おまけにカーステレオの音もきられてしまい、車中は完全な無音状態だった。そのせいか、外からのエンジン音やクラクション、街全体が奏でる騒音がやたらと僕の耳を刺激していた。

 大きな交差点をいくつか通過し、ようやくスムーズに流れてきたと思った時だった。突然車が左ウインカーを点滅させながら、ガードレールに向かってスピードを緩めた。そして、ガードレールすれすれで停まると、その点滅はハザードランプに変わった。フロントガラスからは、邪魔だ!と言わんばかりに何台もの車が追い越してはチリのように小さくなり、やがて消えていく光景が続いた。
 静粛に包まれた車中。僕の右目ギリギリの視界に映る母親は、俯き、太腿に両手を添えたまま全く動かなかった。そして、激しくクラクションを鳴らしていく車にも意識を傾けることはなかった。そんな時、母親が突然僕の肩を両手で掴み上半身を自分の座る運転席に向かせた。それから、あの身体のことを躊躇いながら話した時のような上目遣いで顔を近づけてきた。──視線を逸らさない母親に異変が起きたのはこの時だった。
呼吸困難に陥ったように肩は小刻みに揺れ、茶色のふたつの目からは不規則に小さな粒が零れ落ちた。──信じられなかった。歪みきっている表情をしたその女を、僕は母親だと思うことがしばらくできなかった。
 辛い過去を背負っているということもありながら、それまで涙を見せるどころか、弱音すら吐いたことがなかった母親。けどこの時は、とても小さくて弱々しく見えた。強いと思い続けていた人間が崩れていく姿を見た時に抱くいたたまれなさは計り知れないほど大きなもので、それが自分と血の繋がった人間ならば尚更なのかもしれない。
そして、僕の肩を掴み直視したまま嗚咽交じりの声で母親は言った。
「シド……大きくなったね──」
�爐笋瓩蹐茵帖帖A瓩�、帰って飯の支度を──��
母親が涙を流したという現実を、僕は受け入れたくなかった。また、通り過ぎていく車や歩行者はこの�猗↓瓩涼罎瞭鷽佑鬚匹鵑別椶埜�ていたのだろう?
 母親は僕と自分のシートベルトを外し、手の甲で涙を一度拭きとった後、その濡れた手を今度は僕の痩けた頬に添え、続けた。
「……お願い。シド、お願いだから絶対に死なないで!ね、約束して。この身体のままでもいいから……!もう何も望まないから……。私、シドがいなきゃ生きていけない!だからお願い……生きて──!」
僕は母親の腕の中に包まれた。すごくいろいろな感情が込められている気がした。怒り、悔しさ、悲しさ──。また、僕の耳元でやむことなく一段と激しくなる嗚咽は、それまでどれほど母親が多くの感情を押し殺して僕に接していたのかを物語っていた。
「ごめんね……。私今まで勉強教えてあげたり、何か話を聞かせてあげたりだとか、そういう母親らしいことを何ひとつしてあげられなかったけど、本当に愛してたよ……。生意気言いながら成長していくシドを見てるのが毎日楽しくてしょうがなかった。私の生きがいだった。──ねえ、こんなことされるのうっとうしい?そう思ってるんなら言って……。あの頃みたいに。触んじゃねーよバカ!って。言って引っ叩かせてよ──!」
……僕にはもう、そんなことを思う気力もなかった。何故ならこの時、僕には母親が母親ではなく�爛泪罐澂瓩箸いΠ貎佑僚�に見えていたからだ。
「もう少しだけ泣かせて……。そしたら帰ろ」
僕とマユミはそれから星が数を増やし始める頃まで、オレンジ色のよっつのランプで輝く�猗↓瓩涼罎如△修譴泙農犬�てきた日々には存在しなかった妙な時間を過ごした──。


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