2002年12月17日(火)
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読んでも気持ちが遠くに居るまま。
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本を読んでいないわけではないのだが、感想がなかなかUPしない。 本棚の整理を兼ねて、片っ端から再読しているのだけれど、昔のエッセイとかって、 あまりに心がシンクロしないので、感想がかけない。
貰ったっきり読んでないエッセイで、題名は『幻想の現代』っていうやつなんだけど、初版が1966年。 生まれる前の現代。
これが、見事にわけわかんない。 共感とか、もしくは、なんか気にいらないなーとか、いう感想以前に、異質なのだ。 作者の心が全く読めない。
本気で書いているのか、反語的表現なのか、しゃれてるのか、批判しているのか、 賞賛しているのか、まぁ見事にわからない。
ここ最近出たやつは、あほくさーとか読んでて思うものは色々あるけど、何を言いたいのかはわかる。 論旨が破綻していたとしても、ある事象について、作者がそれを好きなのか?嫌いなのか?ということは、 まず絶対にわかる。 それすら、わからないのだ。ちょっとSHOCKだった。
60年代、70年代にかかれた本を、数冊読んでたんだけど、なんつーか、 気持ちが曇りガラスに隔てられて、とおーくにいて、なんとか読み終えても、遠くにいるままだった。
一概に昔だから、ってことはないと思うのね。 夏目漱石の永日小品なんか好きだもん。
というか、時代性を超えて心の奥に共鳴する文章だからこそ、古典なのかもしれない。 社会を構成するグッズや常識がどんなに変わっても揺るがない、 もしくは矯正不可能な、人間の心というもの。
文学って名作って、それ何?とか思ってたけど、それはつまり人そのものなのかもーって、思った。
なんかやけに眠い。ので、今日は寝ます。おやすみなさい。
alain
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